りと知シりて、主兒扯歹ヂユルチエダイを兀嚕兀惕ウルウトを領ヰて遣ヤりぬ。遣ヤるに「翁吉喇惕オンギラトの民タミは「前サキの日ヒより女甥メイ者︀額の姿スガタ只孫にて、息女ムスメ斡勤の顏色カホバセ汪格にて」と云イはば、和ワするぞ。彼等カレラは、彼等カレラ(我等)の敵テキと云イはば、戰タヽカふぞ、我等ワレラ(明譯翁吉喇オンギラ
§177(06:20:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
統格 小河トンゲ ヲガハの駐營チウエイ
そこに翁吉喇惕オンギラトを降クダらしむると、往ユきて統格 豁囉罕トンゲ ゴロカンの(統格 小河。卷一の統格黎克 小河とは異なり。明譯文は、誤りて統格黎 小河と譯せり。親征錄董哥 澤ドンゲ タク 脫兒合 火兒合トルカ ホルカ。董哥 澤、は統格 納兀兒にて、脫兒合 火兒合は、統格 豁囉罕の訛なり。蓋 この小河は、湖と接して、湖と名同じきなり。今 因果荅 河に入る小河に唐噶 河あり。巴勒主納 湖に近し。)
王罕ワンカンの背信を責むる成吉思 汗チンギス カンの二使
東ヒガシに下馬ゲバして、阿兒孩 合撒兒アルカイ カツサル(親征錄 元史阿里海︀アリハイ)、速格該 者︀溫スゲガイ ヂエウン(卷三の速客該 者︀溫)二人フタリに傳言デンゴンせさするには「統格 小河トンゲ ヲガハの東ヒガシに下馬ゲバせり、[我等ワレラ。]それの草クサも好ヨくなりき。我等ワレラの騸馬センバども肥コえたり。我ワが罕 額赤格カン エチゲ〈[#「額赤格」は底本では「額亦格」。昭和18年復刻版に倣い修正]〉(罕なる父)に言イへ」とて言イはく「我ワが罕 額赤格カン エチゲ。何ナニの怒イカリにて我ワレを恐オソれさせたる、爾ナムチ。恐オソれさするならば、惡アシしき子コども惡アシしき婦ヨメどもを安眠ヤスイせさせて何ナンぞ恐オソれさせざる、爾ナムチ。坐スワ丁撒兀恢れる床ユカを低サげさせて、上ノボ迭額克石り出イづる煙ケムリを散チらして、何ナンぞ かく恐オソれさせたる、爾ナムチ。(親征錄與ヨリハ㆔其驚ソノオドロカシ㆓畏オドサン我ワレヲ㆒、何ナンゾ不ザル㆕使シメ㆘我眾ワガシウニ煬アタヽメテ㆑爨カマドヲ而息イコヒ、安ヤスクシテ㆑榻タフヲ而臥フサ㆖、使シメ㆔我ワガ癡子オロカナルコ癡婦オロカナルヨメニ得エ㆓寧寝ヤスクイヌルヲ㆒乎ヤ。)我ワが罕 額赤格カン エチゲ。傍カタヘ合勒只兒忽の人ヒトに刺サ合惕忽黑荅されたらん、爾ナムチ。橫ヨコ款迭列都︀の人ヒト