卷の明槧の寫本と云へば、阮元の「依㆓舊鈔㆒影寫」と云へる者︀と同本なるべし。その本は、標題ヘウダイも無ナく、誤字ゴジ 脫字ダツジ 多オホしと云へば、十二卷の今本に劣オトれりと見ゆ。されども帕剌的兀思パラヂウスは、漢︀字と蒙古語とを知れる人には、この本を蒙古字の原文に復カヘすこと難︀カタからずと云へり。又 淸人シンジンは、十二卷本を元槧と名づけ、錢大昕すら原本 譯本の別ベツを混コンじ、卽ち脫必赤顏トビチヤンなるかと疑ひて、元の藝文志に入れたる程なるに、獨ヒトリ 帕剌的兀思パラヂウスは、逸︀速イチハヤく明譯 明槧と見定ミサダめたり。「蒙古史を硏究ケンキウする人に大なる裨益ヒエキを與アタふる古代 蒙古文のこの珍書チンシヨ」は、今 珀帖兒不兒古 大學ペテルブルグ ダイガクの圖書館︀トシヨクワンの藏書ザウシヨとなれり。蒙古 語學に熟達ジユクタツせる敎授ケウジユ 頗自捏也富ポズネエフPozdneyeffは、その書の現形ゲンケイのまゝに、卽ち蒙古文を漢︀字にて寫せるまゝに、露西亞文の飜譯 注釋ホンヤク チウシヤクを加クハへて、出板せんことを企クハダて、一八八七年、光緖 十三年、明治 二十年、その序文と本文卽ち蒙古文の過半クワハンとを石印板セキインバンにて印刷インサツして學生ガクセイに頒ワカてり。その業ゲフ 成れりや否イナやは、我ワレいまだ知らず。露西亞は、軍イクサには負マけたれども、かゝる硏究ケンキウに掛カけては、我が日本よりは遙ハルカに勝マサれる國クニなり。實ジツに軍イクサと內政ナイセイとの失敗シツパイを除ノゾきては、東方 經略トウバウ ケイリヤクの事コトに善ヨく行屆ユキトヾきて、大英國タイエイコクと共トモに、亞細亞アジアの諸︀部落シヨブラクを綏懷スヰクワイすべき資格シカクある大國タイコクなり。
聖武 親征錄セイブ シンセイロク 喇失惕ラシツド集史シフシの來歷ライレキ。
聖武 親征錄セイブ シンセイロクは、蒙古 祕史に關係クワンケイ 多き古書なり。四庫 全書 提要