にて我ワが安荅アンダはあり。乃蠻ナイマンに往ユきしぞ。投トウぜんとして後オクれたり」と云イひき。(親征錄時トキニ札木合ヂヤムカ在アリ㆓幕下バクカニ㆒、日ヒ出イデヽ、望ノゾミ㆘見ミ汪ワン可汗カガン立タツル㆓旗幟キシヲ㆒非アラザルヲ㆗舊處モトノトコロニ㆖、馳往ハセユキ問トヒテ㆑之コレニ曰イハク「王ワウ知悉チシツセリヤ否イナヤ。我ワガ昆弟コンテイハ、如ゴトク㆓野鳥ヤテウノ依ヨルガ㆒㆑人ヒトニ、終必飛去ツヒニハカナラズトビサラン。余ワレハ若ゴトシ㆓白翎鵲ハクレイジヤクノ㆒也。棲セイ㆓息ソクシ幕上マクノウヘニ㆒、寧肯去乎ナンゾアヘテサランヤ。我嘗ワレカツテ言イヘリ㆑之コレヲ矣。」元史 本紀札木合ヂヤムカ言マウシテ㆓於汪罕ワンハンニ㆒曰イハク「我ワレハ於ニ㆑君キミ是ナリ㆓白翎雀ハクレイジヤク㆒、他人タニンハ是ナル㆓鴻雁カウガン㆒耳ノミ。白翎雀ハクレイジヤク、寒暑︀カンシヨ常ツネニ在アリ㆓北方キタノカタニ㆒。鴻雁カウガンハ遇アハヾ㆑寒カンニ、則南飛ミナミニトビ就ツカン㆑暖ダンニ耳ノミ。」
白翎雀ハクレイジヤクと吿天雀コクテンジヤク
意コヽロハ謂イヘル㆓帝心テイノコヽロ不ズト㆒㆑可ベカラ㆑保也タモツナリ。白翎雀は、豪語合余嚕合納カユルガナ、明譯 白翎雀兒、訶渥兒斯の重譯 雪鳥。搠米惕の字書孩喇合納カイラガナ、鷗と譯し、果勒思屯思奇の字書孩兒合納カイルガナ、海︀鷗と譯せり。今 元史に從へり。輟耕錄 卷の二十に「白翎雀、生㆓於烏桓朔漠之地㆒、雌雄和鳴、自得㆓其樂㆒」とあり。吿天雀は、蒙語必勒都︀兀兒ビルドウル、明譯 吿天雀兒、訶渥兒斯の重譯 野鵞 卽ち雁類︀、洪鈞の重譯 寒暑︀ 異棲 之 鳥、明の茅元儀の武備志なる韃靼 方言に叫天兒を賓︀堵兒と云ふとある賓︀堵兒は、卽ち必勒都︀兀兒なり。爾雅の釋鳥に「鷚、天鷦。」その郭注に「大如㆓鷃雀㆒、色似㆑鶉、好高飛作㆑聲。江東呼爲㆓天鷚㆒。」正字通に「鷚、俗呼㆓吿天鳥㆒。其鳴如㆑龠、形醜善鳴、聲高多㆑韻。」至順 鎭江府志に「噪天、又名㆓吿天㆒、似㆑雀而稍大。愈鳴、則飛愈高。力乏、則自㆑空投㆑地、伏㆓於草中㆒。」方濬頣の夢園 叢說に「叫天子、栖㆓海︀濱叢草之中㆒。遇㆓天中晴︀朗︀㆒、飛鳴直上㆓雲霄㆒、連緜不㆑已。翻㆑身而下、終朝若㆑是。」吿天雀も叫天兒も天鸙も天鷚も噪天も吿天も叫天子も、みな鷚の異名にして、我がひばり卽ち雲雀なり。元史の鴻鴈 訶渥兒斯の雁類︀にても文義は通ずれども、原語の意とは異なり。)札木合ヂヤムカのこの言コトバにつき、兀卜赤黑台ウブチクタイ(喇失惕の集史兀卜赤兒ウブチル、紅果の名。古𡂰 顏 赤きが故に號とせりと云ふ。)古𡂰 巴阿禿兒グリン バアトル(親征錄曲憐 拔都︀グリン バード)言イはく「諂ヘツラひて何ナンぞ彼カの善ヨき兄弟アニオトヽを讒ザンし言イへる」と云イへり。
§161(05:31:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
成吉思 合罕チンギス カガン、夜ヨルはすぐ其處ソコに宿ヤドりて、戰タヽカはんとて明日アスの朝日アサヒ 明アけて王罕ワンカンの陣處ヂンシヨを見ミれば、無ナくなられて、「此等コレラは、我等ワレラを燒飯︀ヤキメシしけり(明譯他カレハ將ヲ㆑我ワレ做ナシテ㆓燒飯︀般ヤキメシノゴトク㆒撇了ステタリ。喇失惕の史には、我 今 火坑の中に在るを王李 棄てたり。親征錄には此輩無㆓乃異志㆒乎)」と云イひて、そこより