Page:尋常小學國史 上巻 1934.pdf/23

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れまで勢いのあるものが、たくさんの土地をもつて、勝手に人民を使つてゐた習はしをやめさせ、これらの土地や人民をすつかり朝廷にをさめさせられた。この新しい政治を大化の新政といふのである。 年号の始 大化とは、この時お定めになつた年号である。これが年号の始で、その元年は紀元一千三百五年にあたつてゐる。 百済をおすくはせになつた 孝徳天皇がおかくれになると、皇極天皇がふたたび御位にお即きになつた。第三十七代斉明天皇と申しあげる。中大兄皇子は、なほ皇太子として、引きつゞいて政治にあづかつておいでになつた。この頃、支那は唐の代で、勢がたいへん盛であつたから、新羅はその助をかりて百済をほろぼさうとした。百済の人々は、朝廷にすくつていただきたいと願つてきた。皇太子は、天皇に従って、すぐ九州に下られたが、天皇が行宮でおかくれになったので、その御あとを受ついで、御位にお即きになつた。第三十八代天智天皇と申しあげる。天皇は、兵を出して百済をすくはさせられたが、運わるくわが軍が戦にまけたので、百済はやがてほろびてしまつた。そこで、天皇は、このまゝ、わが軍をながく海外にとゞめておいても、何の利益もないとお考へになつて、とうとうこれを引きあげさせられた。まもなく、高麗もまた唐にほろぼされたので、新羅がひとり勢をを振るふやうになり、これから朝鮮は、全