Page:尋常小學國史 上巻 1934.pdf/22

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から貢物をさし上げることがあつて、大極殿で行はれる式に、入鹿も参列するから、その折をさいはひに、これをほろぼすこととなつた。皇子は、ご自身でほこをお持ちになり、鎌足らは、弓矢や劔などを持つて、御殿のわきにかくれてゐた。しかし、人々は、入鹿の勢に恐れて、ためらつてゐた。皇子はたまりかねて、をゝしくもまつさきにお進みになつた。そこで、人々もこれにつゞいて、とうとう入鹿を斬り殺してしまつた。皇子は、あらためて天皇の御前に進み、つゝしんで入鹿の不忠を申しあげられた。 蘇我氏がほろびた この時、蝦夷は家にゐたが、入鹿が殺されたことを聞くと、すぐに人々を呼集めて、皇子と戦はうとした。皇子は、さつそく人をやつて、わが國には昔から君臣の別があつて、これをみだすのは不忠であるわけを、ねんごろに説聞かせられたので、人々はちりぢりに逃去り、蝦夷も、家に火をつけて自害した。 武内宿禰ー蘇我石川・・・・・・・・馬子ー蝦夷ー入鹿

第八 天智天皇と藤原鎌足(つゞき) 大化の新政をおたすけになつた 皇極天皇は、ほどなく、御位を第三十六代孝徳天皇にお譲りになり、中大兄皇子は、皇太子にお立ちになつた。皇太子は、天皇をおたすけになつて大いに政治を改め、こ