Page:尋常小學國史 上巻 1934.pdf/21

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せ申しあげようと、聖徳太子の御子孫をほろぼし、はては自分の家を宮、その子らを王子と呼ばせて、少しもはばかるところがなかつた。蝦夷父子のやうなものは、朝廷を恐れたてまつらぬ不忠の臣といはねばならぬ。 中大兄皇子鎌足と入鹿をお除きになつた

中臣鎌足は、この有様を見て、大いに怒り、朝廷の御ために、どうかして入鹿父子をほろぼさうと決心した。この頃、舒明天皇の御子中大兄皇子も、またかねてから蘇我氏のわがまゝなふるまひをおにくみになつてゐたので、鎌足は、何とかして自分の心を皇子にうちあけたいものと思つてゐた。ところが、ある時、皇子の蹴鞠の御遊にまゐりあひ、御そば近くにゐると、皇子の御靴がぬげた。これをとつてさし上げたのが縁となり、これから皇子にお親しみ申して、ひそかに、同じ志の人々といつしよに、謀をめぐらしてゐた。けれども、入鹿は、なかなか用心深くて、家のめぐりに池を掘つて城のやうにかため、出入の時には、大勢の人々を従へ、少しもゆだんをしなかつた。たまたま皇極天皇の御代に、三韓