Page:尋常小學國史 上巻 1934.pdf/18

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は、よろこびいさんで、我先に、とはせ集り、夜を日についで、いつしやうけんめい工事にはげんだので、皇居はわづかの間に美しく出来上つた。 (産業をおすすめになつた) 天皇は、なほ人民のためをおはかりになつて、堤を築かせたり、池を掘らせたりして、農業をおすすめになつた。それ故、人々は、皆深く天皇の御恩に感じて、それぞれ自分のつとめにはげんだので、よのなかがよく治つた。

第六 聖徳太子 (政治をおとりになつた) 仁徳天皇から御十八代めの天皇を第三十三代推古天皇と申しあげる。天皇は女帝でいらつしやつたから、御甥の (摂政) 聖徳太子を摂政として、政治をおまかせになつた。 (十七条の憲法をお定めになつた) 太子は御生まれつき人にすぐれてお賢く、一時に十人の訴をあやまりなくお聞き分けになつたとさへ伝へられてゐる。その上、朝鮮の学者について深く学問をおをさめになつたので、進んだ御考をおもちになり、朝鮮や支那のよいところを取入れて、いろいろ新しい政治をはじめになつた。さうして、遂には十七条の憲法を定めて、官吏も一般の人民も、皆つねに心得ておかねばならないことをお示しになつた。 (使を支那におやりになつた) 太子は、また使を支那にやつて、外国とのつきあひをおはじめになつた。その頃、支那は國の勢が強く、学問など