Page:尋常小學國史 上巻 1934.pdf/16

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今攻めて来たのは、きつと日本の神兵にちがいひない。さうとすれば、どうしてふせぐことが出来よう。」といつて、すぐに白旗をあげて降参し、皇后の御前に来て、「たとひ太陽が西から出、川の水がさかさまに流れるやうなことがあつても、決して毎年の貢はおこたりません。」とおちかひ申しあげた。ほどなく皇后は御凱旋になつたが、その後、百済・高麗の二國もまたわが國に従つた。 (皇后の御てがら) これから、朝鮮も朝廷の御威徳によくなびいたので、熊襲もしぜんにしづまつた。また第十五代應神天皇の御代に、王仁といふ学者などの職人もつぎつぎに渡つて来て、これらの人々によつて、わが國はますます開けた。これは、全く神功皇后の御てがらによるものである。

第五 仁徳天皇 (人民をおはれみになつた) 第十六代仁徳天皇は、應神天皇の御子で、御なさけ深く、いつも人民をおあはれみになつた。天皇は、都を難波におさだめになつたが、皇居はいたつて質素な御つくりであつた。天皇は、ある日、高い御殿におのぼりになり、四方をおながめになると、村々から立ちのぼるかまどの煙が少なかつたので、これはきつと不作で食物が足らないためであらう。都に近いところでさへこんな有様である