Page:尋常小學國史 上巻 1934.pdf/15

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(三韓) 三韓といつた。中でも、新羅は一番わが國に近くて、その勢いはたいそう強かつた。それで熊襲がたびたびそむくのは、新羅がこれを助けるためであるから、新羅を従へたなら、熊襲はしぜんと平ぐであらうと、皇后はお考へになり、武内宿禰と御相談になつて、御みづから兵をひきゐて新羅をお討ちになつた。時に紀元八百六十年である。 (三韓を従へなさつた) 皇后は船軍をひきゐて、対馬にお渡りになり、それから新羅におし寄せられた。軍船は海にみちみちて、その御勢はたいそう盛であつたから、新羅王は非常に恐れて、「われは、日頃東の方に日本という神国があつて、天皇と申す御方がいらつしやると聞いてゐる。