Page:尋常小學國史 上巻 1934.pdf/11

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た。しかし、長髄彦の手下のものどもが、いつしやうけんめいに戦ふので、御軍もたやすく勝つことが出来なかつた。時に、空がにはかにかきくもり、雹が降出した。すると、どこからともなく、金色の鵄が飛んで来て、天皇のお持ちになつてゐる御弓のさきにとまつて、きらゝと強くかゞやいた。そのため、わるものどもは、目がくらんで、もはや戦うことが出来なくて、まけてしまつた。長髄彦も、まもなく殺された。 やがて、天皇は、宮を畝傍山の東南にあたる橿原にお建てになり、はじめて御即位の禮をお擧げになつた。この年をわが國の紀元元年としてゐる。さうして、二月十一日は、またこのめでたい日にあたるので、國民はこぞつて、この日に紀元節のお祝いをするのである。 天皇は、また御孝心の深い御方で、御先祖の神々を鳥見山におまつりになつた。かやうに、天皇は、天照大神のお定めになつたわが帝國の基を、ます〃固めて、おかくれになつた。そのおかくれになつた日に毎年行はれる御祭は、四月三日の神武天皇祭である。


第三 日本武尊


神武天皇が大和におうつりになって後は、天皇の御威光はおひおひ四方にひろがっていった。けれども、都か