Page:尋常小學國史 上巻 1934.pdf/10

提供:Wikisource
このページはまだ校正されていません

所お立寄りになり、そのあたりを平げつゝ、長い間かゝつて難波におつきになつた。 天皇は河内から大和へお進みにならうとした。わるものどものかしらに長髄彦というものがゐて、地勢をりようして御軍をふせぐので、これをうち破つて大和へおはいりになることは、むづかしかつた。そこで、天皇は、道をかへて、紀伊からおはいりになることになつた。そのあたりは、高い山や深い谷があり、道のないところも多かつたので、ひととほりのお苦しみではなかつた。しかし、天皇は、ますます勇気をふるひおこされ、八咫烏を道案内とし、兵士をはげまして、道を開かせながら、とう〃大和におはりになつた。 天皇は、それから、しだいにわるものどもを平げ、ふたたび長髄彦をお攻めになつ