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(一)公教会の必要
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予 備
〇今まで使徒信経の第何節を学びましたか……聖霊は天主の第何位ですか……天主様ですね……形を以てお顕れになった事がありますか……使徒等には何をして下さいましたか……唯今も何かして下さいませんか……よろしい、分りました。今度は使徒信経の第九節を言って下さい……すると第九節には、聖公会と諸聖人の通功と、二のことを教へてあるんですね……先づ聖公会の方から申上げますが、聖公会とは、聖なる公教会と云ふ意味です。覚えて置きなさいよ。
[目的指示] 今日はイエズス・キリスト様の教を万国万代に伝へるには、公教会が必要であると云ふ事をお話し致します。
〇イエズス・キリスト様が現世に天降って人となり、十字架に懸けられて御死去あそばしたの
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は何の為ですか。
△人を救はんが為でした。
〇たゞ其の当時の人ばかりを救はんが為でしたか。
△否、万国万代の人をも救はんが為でした。
〇万国ッて何んですか?
△すべての国、全世界です。
〇万代とは?
△すべての時代、世の終までと云ふ意味です。
〇その万国万代の人々が、イエズス・キリストの御死去の功徳を蒙り、救を得るが為には、何をせねばなりませんか。
△イエズス・キリスト様の御教を信じ、その御誡を几帳面に守らなければなりません。
〇イエズス・キリスト様は御自分の教を人々に伝へて、之に救霊を得させるが為に、何をして置いて下さいましたか。
△公教会をお建てました。
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〇イエズス・キリスト様は何の為、公教会をお建になりましたか。
△御教を万国万代の人々に伝へて、救霊を得させるが為です。
〇だからイエズス・キリスト様の御教を知るには、公教会に行って学ばなければならぬのですね。所でプロテスタント(新教)側の御方は之に反対なさるんです。イエズス・キリスト様の教は悉く聖書に記載せてある。謹んで聖書を読みさえすれば、信ずべき教も、守るべき誡もチャントと解かる。今更ら教会なんかへ行って教へて戴く必要は無いものだ、と斯う仰有るんです。実際さう云ふ訳のものでせうか。
△違ひます。
〇成るほど信ずべき教も、守るべき誡も大抵は聖書に記載せてあります。然し子供や、無学文盲な人は、何うして其聖書を読みますか。たとへ之を読みは読んでも、其意味を間違ひなく悟ることが誰にでも出来ますでせうか。聖書は死んだ文字で、人間は生きたものです。勝手に之が解釈を下し、甲が『然う』と云ふ所を、乙が『否』と打消すことも出来ませんか。
△出来ます。
〇出来る所ではない。現にプロテスタント側の人等は、毎日聖書をお読みになるが、夫でもそ
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の信ずる所は、十人が十人、百人が百人、違って居るのです。して見ると、聖書だけあっても、御教を間違なく万国万代まで伝へるのに足りますでせうか。
△決して足りません。
〇固より足りませんね。だからイエズス・キリスト様は生きた人間を教へるが為に、生きた公教会をお建になりました。弟子の中から十二使徒を選み、之を公教会の柱と定め、聖ペトロをその礎と建てられた。『汝等往って万民に教へよ』(マ テ オ二八ノ一九)、とは彼等に命じ給うたが、『聖書を読ませよ』とは仰有らぬでした。『教会に聴かない者は異邦人も同様に見做せ』(マ テ オ一〇ノ一七)とは仰有ったが、『聖書を読まないものを何んとかせよ』と仰有ったことがありません。して見るとイエズス・キリスト様の教は、何によって万国万代まで伝はるべきものだと思はねばなりませんか。
△公教会によって万国万代まで伝はるべき筈だと思ひます。
〇若し公教会がないならば、イエズス・キリスト様の御教も、何んなに誤り伝へられるか解らぬ。してみると御贖の御恵も忝うし、救霊を全うするのに、公教会は必要欠くべからざるものであります。
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〇イエズス・キリストは何を以て御教を万国万代まで伝へ給ふか。
△イエズス・キリストは公教会を以て御教を万国万代まで伝へ給ふ。
整 理
〇イエズス・キリスト様が人に生まれ、十字架上に御死去あそばしたのは何の為でしたか。△人を救はんが為です。
〇たゞその当時の人だけを救はんが為でしたか△否、万国万代の人をも救はんが為でした。
〇万国万代の人は何うして救はれますか。△イエズス・キリスト樣の御教を信じ、その御誡を守って救はれます。
〇イエズス・キリスト様は御教を萬國萬代の人々に伝へんが為、何をして置いて下さいましたか。△公敎会をお建てになりました。
〇するとイエズス・キリスト樣の御教を知るのは、何うせねばなりませんか△公教会へ行って教えて戴かねばなりません。
〇聖書を読みさへすれば、夫で沢山ぢゃありませんか△否、夫だけでも足りません。
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〇だって聖書の中には、信ずべき教え、守るべき誡がチャンと記載せてありませんか△記載せてはありますけれども、子供や無学文盲な人は読むことが出来ません。
◯読むことが出来たらば如何でせう?読むことは出来ても、その意味を間違いなく悟ることが誰にでもは出来ません。
〇何故?△聖書は死んだ文字で、人間は生きたものです。
〇生きたものだから何ですか△勝手に之に解釈を下し、甲が『然う』と云ふ所を、乙は『否』と打消すことも出来ます。
〇現に然うやって居る人等がありますか△ハイ、プロテスタント側の人達が然うやって居らっしゃいます。
〇其んな事にならない為、イエズス・キリスト樣は何をして置いて下さいましたか△生きた人間を教えるが爲に、生きた教会をお建てになりました。
〇実際ですか△ハイ、弟子の中から十二使徒を選び、之をその教会の柱と定め、聖ペトロを之が礎とお建てになりました。
〇彼らに何と命じなさいましたか△『汝等往って、萬民に教へよ』とは仰有っても、『聖書を読
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ませよ』とは仰有らぬでした。
〇『聖書を読まないものを何とかせよ』と命じなさいましたか△否、『教会に聴かない者は、異邦人も同様に見做せ』、とお命じなさいました。
〇左すれば、イエズス・キリスト様は、実際教会をお建てになったんですね△ハイ、夫に相違ありません。
[実例]
- イエズス・キリスト樣が、セザレアのフィリッポ市の附近においでになった時、或日、弟子たちに向ひ、『人々は私を誰だと言って居るかね』とお尋ねになりました。『洗者ヨハネと言う人があります。エリアと言ふ人があります。エレミア、或は古の予言者の一人が復活したのだ、と言いふ人もありまする』と弟子達は答えました。『然らば諸子は私を誰だと言ふのです?』主は重ねてお尋ねになりました。『御身は活ける神の御子、キリスト様です』とシモン・ペトロは少しの躊躇もなく答へました。キリスト様はペトロの答へをお喜びになりました。『福なるかな、ヨナの子、シモン、之を其方に啓示したのは、肉と血(人と云ふ意味)ではなく、実に天に在す我父でありますぞ。私もまた其方に言ひます。其方はペトロ(磐の意味)です。
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- 私はこの磐の上に我教会を建てませう。斯くて地獄の門は之に打勝つことが出来ますまい。叉私は其方に天国の鍵を授けませう。すべて其方が地の上にて繋ぐ所は、天に於ても繋がれ、叉すべて其方が地の上にて釈く所は、天に於ても釈かれませうぞ』と仰有った。聖ペトロをその教会の礎とお建になったのであります。