- 武井勘三郎は歸宅してよりもそは〳〵して落着ず大方っは家を外にして信子の宿にのみ入浸り居り信子は又外國より歸り來りし事さへ何方へも通知せざるばかりか渡航の際いろ〳〵世話を爲せし人々にも顏出しせず又歸りしを聞傳へて訪ひ來る人にも面會せず只對山舘の一室に身を隱して武井と快樂に耽り居たるが其内信子は婦人病にて大學病院に入院せしに武井は朝八時より夜の十二時まで其傍に附き切りの世話介抱は殆ど至れり盡せるものなれど家事向の事は一切放擲して顧みずとめ子は漸く信子との仲の疑ひを堅くしそれとはなしに夫に異見せし事度々なれど勘三郎は其都度空耳走らして聞入れざるのみかとめ子に對する處置は次第に手荒くなり何事にも目角立て叱りつけつひには手を下して打ち叩く事もあり二言目には離緣するなどの事を口走るに至れるがとめ子は子に惹さるゝ女の情何事にも我慢に我慢して柳に風と受け流しゐたるを勘三郎は中々に齒痒く思ひいかにせばとめ子が愛想盡して自分より離緣話を持出さんかとその仕向けに苦心し信子との關係も今は隱さんともせず現在の妻の前にて其情交の程を公言するに至りとめ子を邪魔者扱ひにすれどそれすらとめ子は堪へ〳〵て何一つ口應へせず唯々と聞居るには張合拔け却つて勘三郎の憎しみは增すに至り其後は多くは家へ歸りし事もなく信子が病氣全快して退院するを待ち芝公園の靑龍寺といふに信子の名前にて家を借りしは昨年十二月中の事なりき其後も勘三郎は我家の家財道具より夜具布團の類に至るまで目欲しき品は殘らず運び來りしがとめ子は夫が万一の改心を氣長く待たんと諦めてこれにも拒みさへ爲さゞりし其心中を察すれば憐れなり妻がかくまでやさしき心懸けも戀に魅せられし勘三郎の鬼心は少しも思ひやりの情なくしてそれよりは一切我家には歸らず音信不通に打過ぎしがとめ子は幸いに我が手一つにて自活の道の立ち居れば母子二人の活計を立つるにはさまで困難をも感ぜず至ちて節儉しく暮し居れば相應の貯蓄も銀行に預けあり情けなき夫の心のいつかは和らぐ時もあらんと子を相手に心細く過す内勘三郎はこれまでの酷さ仕向けに慊らでや叉もや一日臆面なく我家に歸り來り妻を欺きて金を持出せし一話あり
この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
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