- 此に廣氏は信子は豐壽が今際の枕許に結ばれし夫婦の緣といひ之を海外に伴はずして空に打過ぎぬるは日頃心苦しく思ひ居りし所なるに今彼方より遥々の波路を越えて我を尋ね來るとは嬉しき真心と信子より日本を出帆の電報に接せしより俄かになつかしさの愈增り着船の日を指折り數へて待ちわびしがいよ〳〵其日も近づきしにかくて桑港に待ち合して知らぬ異境に上陸せし信子のいかに心細さを感ずるならんと態々着船の數日前シヤートル迄出迎へに赴き船影波路の末に見ゆるより早くも波止場に立ち出でゝ艀舟の着くを今や遲しと待つ夫のやさしさ心盡しを信子は知るや知らずや軈て艀舟は岸に着してドヤ〳〵と立出づる一群の船客、廣氏は信子は何處と見廻せどもそれらしき影も見えず漸くにして他の客は上り切りし最後に見知らぬ紳士に手を引れながら上陸せし信子はさまで船中の疲勞の狀も見えず何か樂しげにもの打語りつゝ近くに廣氏は案外の思ひはしながら却りて其健康を喜び其傍に近付きて絕えて久しき面會に長き航途の面窶れせし樣もなきは何よりなり船中は定めて心細き事なりしならんなどかにかくと慰め問へば信子は天外にこの良人に逢ひし程の喜びの色も浮べず俄かに打萎れたる樣裝ひて物も碌々に得云はずに只この人に船中にて一方ならぬお世話を受けしとのみいひて彼の事務長の武井を紹介せしに廣氏は猶武井に厚く禮を陳べ兎に角宿も取りあれば其家に至りて寛々休息すべしと先に立ちて案内すれど信子の顏は猶晴れやらず一種の面白からぬ色は見ゆれど廣氏の眼には映らざりしならん斯てこの異樣なる夫妻は只ある海岸のホテルに投じて打解けたる物語もあるべきに廣氏の至り盡せる親切の慰めにも信子は一言の嬉しき言葉を報ゐず一日二日と經る内に彼の武井事務長は再々訪ひ來りしが信子は船中よりの病気は異境の風土異りより一層重りしとて床に就くばかりの有樣に廣氏の心配は大方ならず土地の醫師に診察せしめといへど信子は堅く拒みて廣氏に對ひて、とてもかゝる病身のこの地に留まる程ならば醫藥の費用も莫大にて只々夫の患ひとなるばかりなれば折角こゝまで來りしかど此まゝ此船にて立歸り身に適へる日本の風土に今暫し靜養し壯健の身となりて再び渡航する事をしたしと流石に氣の毒げに言出しに廣氏も繊弱き女の身と思へばかく云ふも無理ならずと餘りに勝手なる言分も深くは咎めず外國とは云へこの地は季候も日本と大差なければ長けて歸國は思ひ留り此地にて醫師にかゝらばいかに、妻となり夫となりて醫藥の斟酌はいらぬ他人行儀なりと言葉を盡して留めれど信子は更に聞入れるべくもあらず枉げて歸國したしと言張るにさまでは廣氏も引留え難く終には其請を許して直ぐ鎌倉丸にて歸國せしむる事となれり
この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
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