通俗正教教話/望を得る方法

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通俗正教教話下巻(望と愛の巻)  加島あきら編

のぞみのこと

(一)のぞみる方法[編集]

(祈祷と眞の教)

問 ハリスチヤニンつねつてりますところのぞみんなのぞみございますか。

答 わたくしどもしんじゃのぞみは、神様が人々のためおもんばかってくださあがなひと人類にやくそくなさったさいはひとをかたこころしんじて神様をひとへたのんでこころやすんずることなのでございます、聖書にこののぞみのことをやうもうしてございます『しゅイイスス・ハリストスわれのぞみなり』〔テイモヘイ前書一の一〕『ゆえなんぢこころこしつかね、けいせいしてイイスス・ハリストスあらはれときなんぢたまところおんちようまったのぞめ』〔ペトル前一の十三

問 ではそんさいはひのぞみるにはいたしましたならばよろしいのでございませうか。

答 それるにはづ第一にはたうをなし、第二にはさいはひきたまことおしへまごころもつしたがふのでございます。

問 神様にたうささぐることがのぞみひとつしかたることはせいしょしるしてございますか。

答 しるしてございますしゅイイスス・ハリストスおほせられましたことばうちもんございます。
もとめよしからばなんぢあたへられん、たづねよしからばはん、もんたたけよしからばなんぢためひらかれん、けだおよもとむるものたづぬるものひ、もんたたものにはひらかれん』〔マトフェイ七の七、八またなんぢわがりてもとめんものわれおこなはん』〔イオアン四の十四〕『もとむる』とはたううちもとむることなのでございます。

問 たうふのはうことなのでございますか。

答 たうふのはちえこころを神様にけますることで、これそとあらはためいろいろうやまひことばべるのでございます。

問 それではちえこころを神様にけてことをしなければなりませぬか。

答 第一には神様がなにごとにもそくなきりっぱいたってえんまんかたることをたたへ第二には神様がわたくしどもくださおんめぐみおんいつくしみたいしてれいもうしげ、第三には自分がこのおくるに必要くべからざるものたまはやうねがいたすのでございます、それございまするからたうにはさんやう(ほめあげ)とかんしゃおれい)とせいがんおねがひ)との三つのものくてはならぬものなのでございます。

問 たうなにございますか。ことばさずこころうちできないものでございますか。

答 いいえことばくちさなくともちえこころもつて祈祷しらるるのでございます、たとへば旧約時代のモイセイがイズライリ人をひきつれてアラヒヤこうかいわたりまするときしました祈祷はこころなかの祈祷でけつしてくちことばしたものではございませぬ〔エギペトをいづるき四の十五〕。

問 そんな祈祷はなんとかべつりますのでございますか。

答 ございます、そんな祈祷を『こころなかたう』又は『もくたう』ともうしてります、で、くちことばしましたりいろいろかたちをしまする祈祷はこれくちたう又はおもてたうもうします。

問 こころなかの祈祷をせずただおもてばかりの祈祷をすることができませうか。

答 できますとも、すこしもまじめこころたずただうはそらで祈祷をしたならばそれおもてばかりの祈祷で、そんな祈祷は神様のこころもちわるくするほかにはなんかひもないのでございます、神様はそんうはそらの祈祷をする人をいかつてせいしょうちまうされてります『たみくちにてわれちかづきくちびるにてわれうやまへどもそのこころとほわれはなる』〔馬太十五の八〕。

問 それではわたくしどもおもてあらはるる祈祷をせずにこころなかの祈祷ばかりをったならばそれじゅうぶんではございませんか。

答 いいえけつしてじゅうぶんではございません、なんとなればにんげんもうしまするものはたましひばかりのものではからだたましひあひがつしてはじめてできあがってるものでございますから祈祷をしまするにはただこころばかりでなくからだこころともに祈祷しなければなりませぬ、こころことくちうはべあらはるる〔馬太十二の三十四〕のはしぜんで、たましひからだつねあひともなってくものでございます、でございますからわがしゅイイスス・ハリストスそのちちに御祈祷をなさいましたときには、ただこころばかりの祈祷でなくつねことばいだすがたただしくし、てんあふひざかがまたふふくしてごきたうをなさったのでございます〔イオアン十七の一、ルカ二十二の四十一、馬太二十六の三十九参照〕。