通俗正教教話/望を得る方法
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通俗正教教話下巻(望と愛の巻) 加島あきら編
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望 のこと
(一)望 を得 る方法
[編集]- (祈祷と眞の教)
問
- 答
私共 信者 の希望 は、神様が人々の為 に慮 って被下 る救贖 と人類に御 約束 なさった幸福 とを確 く心 に信 じて神様を一重 に頼 んで心 を安 んずることなので御座 います、聖書に此 希望 のことを左 の様 に申 して御座 います『主 イイスス・ハリストスは我 等 の望 なり』〔テイモヘイ前書一の一〕『故 に爾 等 の心 の腰 を束 ね、敬醒 してイイスス・ハリストスの顕現 の時 に爾 等 に賜 ふ所 の恩寵 を全 く望 め』〔ペトル前一の十三〕
問 では
- 答
其 を得 るには先 づ第一には祈 祷 をなし、第二には幸福 を来 す眞 の教 に誠心 を以 て従 ふので御座 います。
問 神様に
- 答
記 して御座 います主 イイスス・ハリストスの仰 せられました言 の内 に此 う謂 ふ文 句 が御座 います。 - 『
求 めよ然 らば爾 等 に與 へられん、尋 ねよ然 らば遇 はん、門 を叩 けよ然 らば爾 等 の為 に啓 かれん、葢 し凡 そ求 むる者 は得 、尋 ぬる者 は遇 ひ、門 を叩 く者 には啓 かれん』〔馬太 七の七、八〕又 『爾 等 の我 名 に因 りて求 めん者 は我 行 はん』〔イオアン四の十四〕『求 むる』とは祈 祷 の内 に求 むることなので御座 います。
問
- 答
祈 祷 と謂 ふのは智慧 と心 を神様に向 けまする事 で、之 を外 に表 す為 に種々 な敬 の言 を述 べるので御座 います。
問
- 答 第一には神様が
何事 にも不 足 なき立派 な至 って円満 な御 方 で有 ることを讃 め称 へ第二には神様が私 共 に被下 る御 恩恵 と御 慈愛 に対 して御 礼 を申 上 げ、第三には自分が此 世 を送 るに必要欠 くべからざる物 を賜 る様 に御 願 ひ致 すので御座 います、其 で御座 いまするから祈 祷 には讃揚 (ほめあげ)と感謝 (御礼 )と請願 (御願 )との三つの物 が無 くてはならぬ物 なので御座 います。
問
- 答
否 、言 を口 に出 さなくとも智慧 と心 を以 て祈祷し得 らるるので御座 います、例 へば旧約時代のモイセイがイズライリ人を引率 れて阿拉比亜 の紅海 を渡 りまする時 に為 しました祈祷は心 の内 の祈祷で決 して口 に言葉 を出 したものでは御座 いませぬ〔埃及出記 四の十五〕。
問
- 答
御座 います、其様 な祈祷を『心 の内 の祈 祷 』又は『黙祷 』と申 して居 ります、で、口 に言 を出 しましたり種々 な形容 をしまする祈祷は之 を口 の祈 祷 又は外貌 の祈 祷 と申 します。
問
- 答
出来 ますとも、若 し少 しも真面目 な心 を持 たず只表 の空 で祈祷をしたならば其 は外貌 許 りの祈祷で、其様 な祈祷は神様の御 心 持 を悪 くする外 には何等 の甲斐 もないので御座 います、神様は其様 な表 の空 の祈祷をする人を憤 つて聖書 の中 に斯 う申 されて居 ります『斯 の民 は口 にて我 に近 づき唇 にて我 を敬 へども其 心 は遠 く我 に離 る』〔馬太十五の八〕。
問
- 答
否 、決 して充分 では御座 いません、何 となれば人間 と申 しまするものは霊魂 許 りの物 では無 く身体 と霊魂 が相 合 して初 めて出来 上 って居 るもので御座 いますから祈祷をしまするには只 心 許 りでなく身体 も心 と共 に祈祷しなければなりませぬ、心 に在 る事 が口 に出 て外貌 に表 るる〔馬太十二の三十四〕のは自然 の理 で、霊 と体 は常 に相 伴 って行 くもので御座 います、で御座 いますから我主 イイスス・ハリストスも其父 に御祈祷をなさいました時 には、只 心 許 りの祈祷でなく常 に言 を発 し姿勢 を正 くし、目 を挙 げ天 を仰 ぎ膝 を屈 め又 は俯伏 して御祈 祷 をなさったので御座 います〔イオアン十七の一、ルカ二十二の四十一、馬太二十六の三十九参照〕。