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通俗正教教話/幸福を得る御教

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(三)幸福さいわいおんおしへ

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真福しんぷく九端きゅうたんのこと)

問 基督教徒ハリスチアニンつねしたってりまする救贖すくいさいわい希望のぞみまするにはとうほかに又何様どのようなことをせなければなりませぬか。

答 それまえにももうしましたとほ幸福さいわいきたまことおしへごころもつしたがひ、そのいましめただしくおこなはなければなりませぬ、聖書にもうして御座ございまするには『およわれしゅしゅよとものただいたづらに神様に祈祷をなす様な者)はかならずしも天国てんごくるにあらず、ただてんいま我父わがちちむねおこなものらん』(馬太七の二十一


問 それではそのわたくしどもしたがふべきまことおしへ何様どのようおしへ御座ございます。

答 それ我主わがしゅイイスス・ハリストスもっと簡約かんやくべられました九箇くかじょうおんおしへ御座ございます
一 こころまづしきものさいわいなり天国てんごくかれものなればなり、
二 ものさいわいなり彼等はなぐさめんとすればなり、
三 温柔すなほなるものさいわいなり彼等はがんとすればなり、
四 かわものさいわいなり彼等はくをんとすればなり、
五 矜恤あわれみあるものさいわいなり彼等は矜恤あわれみんとすればなり、
六 こころきよものさいわいなり彼等はかみんとすればなり、
七 へいおこなものさいわいなり彼等はかみづけられんとすればなり、
八 ため窘逐きんちくせらるるものさいわいなり天国てんごくは彼等のものなればなり、
九 ひとわれためなんぢののし窘逐きんちくなんぢこといつわりてもろもろしきことばはんときなんぢさいわいなりよろこたのしめよてんにはなんぢむくひおほければなり、(馬太五の三 - 十二


問 このおしへを正しく解釈しまするにはこと最初はじめこころけねばなりませぬか。

答 それこのおしへけつして神様の命令めいれいではなく神様のおすすめでるとことふかこころおさめて私共わたくしどもすすんで、たれにもいられずこのいましめふくさなければなりませぬ。
幸福さいわいの第一誡命かいめい
<<こころまづしきものさいわいなり天国てんごく彼等かれらものなればなり>>


問 私共わたくしどもまこと幸福さいわいるがために守るべき第一の誡命いましめどん誡命いましめ御座ございますか。

答 それは『こころまづしくすること』なので御座ございます。


問 『こころまづしくする』ともうしまするとふことなので御座ございますか。

答 それは人間とふ人間にはたれにも自惚うぬぼれこころのぞいて、只管ひたすら神様のちからたのみますることでほかことばもつもうしますれば謙遜へりくだることなので御座ございます、つまびらかこれもうしますれば『こころまづしくする』とは自分がって才能さいのうとかとみとか、ちからとかをすこしもたのまず、これすべて神様の被下くださったもので自分の手でつくしたものでないとおもこころひくふしてつねに神様をたのむことで御座ございます。


問 それでは金満家かねもちも『こころまづしくすること』が出来できるので御座ございますか。

答 ろんのことで御座ございます設令たと幾萬いくまん幾億いくおくの財産をってりまする富豪かねもちでも、其人そのひとつね聖書せいしょうちもうして御座ございまする『ひとぜんかいるともおのれたましひそこなはばなんえきかあらんそもひとなにあたへてそのたましひあがないとなさんや』(馬太十六の二十六)とことばこころうちとどめて、自分のってたからこのばかりのもので、こころ幸福さいわいるには一文いちもんあたひもなきものでるとふことをさとり、熱心に神様をたのむなれば設令たと其人そのひと幾億いくおくの財産がってもこころばかりはまづしくしてられるので御座ございます。


問 それではこのまづしくくらすことは『こころまづしくする』うえなにかの効能こうのうるので御座ございますか。

答 『こころまづしくする』といなとは其人そのひと心掛こころがけで、かならずしもまづしい生活くらしをしてるからこころまづしくなるとわけいので御座ございます、しかしながら基督教徒クリスチヤニンみづかすすんでごころからとみはしねんててまづしき生活よわたりえらんだならば、そのまづしい生活くらしたしかに『こころまづしくする』うえおいだいえきるので御座ございます、我主わがしゅイイスス・ハリストス富者ふうしゃもうされましたことばうちようなことが御座ございます、『なんぢ完全かんぜんならんとほつせばきてなんぢ所有もちものりて貧者ひんしゃほどこしからばざいてんたもたんかつきたりてわれしたがへ』(馬太十九の二十一


問 それでは『こころまづしきものに』何為なぜ神様は天国てんごく約束やくそくなさったので御座ございますか。

答 それすでもうしましたとほこころまづしきものおのれてて神様をはかたのんでひと御座ございますから、其様そんひとこころうちには又神様をしんずるこころざしと、来世らいせいおいじんくべき神の国の幸福こうふくに対する希望が充満みちみちしたがって其人そのひとこころなかには天国てんごく種子たねこのおいすでめざしにるので御座ございます、神様がこころまづしきひと天国てんごくをお約束なさったのはじつそれためなので御座ございます。


幸福さいわいの第二誡命かいめい
<<ものさいわいなり彼等かれらなぐさめんとすればなり>>

問 ここに『もの』ともうして御座ございまするのはなんためひとなので御座ございますか。

答 それは神様のまえつねぶん大罪だいざいおかしてることをおもいだしては心からそのつみあらためてなみだながあるいおのが神様につかふること疎略おろそかなるをかんがしてうれいしづひともうすので御座ございます聖書せいしょ其様そのようひとすくいることをもうして御座ございますには、『かみためにするうれいくやみなき悔改かいかいしょうじてすくいせしむ、ただうれいいたす』(コリンフ後書七の十


問 神様が其様そのようつねおのれつみひてかなしんでひとにお約束なさいました『なぐさめ』とはそれでは何様どのような『なぐさめ』で御座ございますか。

答 そのなぐさめふのは『つみゆるし』と『こころへい』で御座ございます。


問 何為なぜそれではつねかなしんでひとむかってことこのお約束をなさったので御座ございませうか。

答 それ此様このようひとがちあまかなしんで其為そのためつひまった絶望ぜつばうをしてまうようなことにらないようため此様このようなお約束やくそくをおあたへになったので御座ございます。


幸福さいわいの第三誡命かいめい
<<温柔おんじゆうなるものさいわいなり彼等かれらがんとすればなり>>

問 『温柔おんじゆう』とはこともうすので御座ございますか。

答 『温柔おんじゆう』とはこころたいらかにしつねおのれつつしひとうやまひ、みだりにひといかったり物事にげきしたりなどせぬこともうすので御座ございます。


問 それでは基督教徒クリスチアニンまもるべき温柔おんじゆうとは例令たとへおこないをしたならばよろしいので御座ございますか。

答 づ神様をうらまず、ひととがめず、設令よしやひとのするところおのれこころかなはずともそれいからず、してまた自分のおこないを人の前でほこる様なことをなさぬ事で御座ございます。


問 神様が温柔おんじゆうものにお約束やくそくなさいました『』とはなにを意味するもので御座ございますか。

答 この』ともうしますることばには二つの意味いみるので御座ございます、ひとつ永遠えいえんかぎりなき神様の国のおめぐみのことで、この種々いろいろなるよろこびさいわいとを意味いみしたもので御座ございます、それ御座ございますからこのことば今一いまいちこまかもうしますれば、『神様をうらまずひととがめずつね温柔おんじゆうなるものこのおいてはこのさいわいよろこびを受け、らいおいては又らい幸福さいわいくることが出来できる』とふことなので御座ございます。


幸福さいわいの第四誡命かいめい
<<かはものさいわいなり彼等かれらくことをんとすればなり>>

問 『かはく』とはなんこと御座ございますか。

答 それあたかひとえた時に食物しょくもつのぞみ、かはいた時にみづしたふ様に人々が神様のよみたまふ『』にあこがれることなので御座ございます、神様のよろこたまとはロマしょ所謂いはゆるイイスス ハリストスしんずるにりてことごとくの信者しんじゃてがらなくして啻々ただただハリストスあがないによりて神様のたまふ』(ロマ三の二十二 - 二十四参照)ところつみゆるしことなので御座ございます。


問 それでは『かはく』ひとおこないさねばなりませぬか。

答 それこのんでおこないながらみづかそのおこないなるものとせず、ぶんつねに神様の前につみありあやまちあるものおもって一向ひたすらイイスス ハリストスめぐみたより、ぶんつみきよめられてとせらるることちょうえたもの食物しょくもつのぞむ様にしたあえことなので御座ございます。


問 『かはものに』神様の約束やくそくなさいました『くこと』とはなにくことなので御座ございますか。

答 それたましひたましひ食物しょくもつることなので御座ございます、一体いったいこのことばたましひえたひとたとへてもうしましたこたば御座ございまして、食物しょくもつえたもの食物しょくもつりますればじょう安心あんしんいたしまするとどうに、また身体からだせいくので御座ございます、それおなじく神様のかはいてひとそのたならばふべからざる安心あんしん喜悦よろこびとをかんずるばかりでなく一層いっさうすすんで神様によろこばるる様なおこないやうとげんしてるので御座ございます、ここもうして御座ございまする『くことをる』とは其様そのよう安心あんしんよろこびとげんとをることなので御座ございます、しか畢竟ほっきょうするに其様そのようよろこびただ一時的のものでけつして充分じゅうぶんなものでは御座ございませぬから、神様はろんかはひと』に其様そのようこのよろこびどうまたらい完全かんぜんよろこびをもあはせておあたへになることをお約束やくそくなさってるので御座ございます。


幸福さいわいの第五誡命かいめい
<<矜恤あわれみあるものさいわいなり彼等かれら矜恤あわれみんとすればなり>>

問 ここもうして御座ございまする『矜恤あわれみ』とはこと御座ございますか。

答 それ鳥渡ちよつと一言いちげんあかすことは中々なかなか困難こんなん御座ございます。たんに『矜恤あわれみ』ともうしましてもそのはんせい金口きんこうイオアンもうしてりまするとほり、まことに『ひろかぎりなきもの』(馬太第十五講話)で御座ございまするからこれくはしくべまするにはうしても『矜恤あわれみ』を『物質しなものうえ慈善あわれみ』と『こころうえ慈善あわれみ』とにけてかなければなりませぬ。


問 それでは『物質しなものうえ慈善あわれみ』ともうしまするとことしてもうしまするので御座ございますか。

答 それ飢餓うえせまってもの食物たべものあたへたり、かはきになやんでものみづませたり、ものひとものめぐんだり、つみ監獄かんごくつながれてものなぐさめてやったり、病人をそれしたしくかんして出来できだけやまい全快ぜんかいちからつくしてったり、旅人たびびと親切しんせつとりあつかって出来できだけ便べんあたへてやったり、まづしくしてんだもの世話せわをして葬式とむらいすませてやったり、かく何事なにごとにまれ、くるしんでものかなししんでもの充分じゅうぶん扶助たすけあたへることなので御座ございます。


問 それでは『こころうえ慈善あわれみ』ともうしますると何様どのようなことなので御座ございますか。

答 これ種々いろいろりますが、ここふたべてませうならば、悪人あくにん邪道じゃだうから反正はんせいせしめて人間にんげんにしたり、愚昧おろかにしてつねまよってもの真理まことみちまことおしへさづけたり、友人ともだち知人しりびとまたにんあぶなところ種々いろいろはかりごとめぐらしてやって其人そのひとがいからのがれしめてったり、ひとためつねおもってひとさいわいかみねがったり、鬱々うつうつとしてたのしまぬものなぐさめてったり、ひと侮辱あなどりゆるしてったりなどすること御座ございます。


問 それでは法律ほうりつって罪人ざいにんばつすることはこのいましめそむいてはらないので御座ございませうか。

答 いいえけつしてそむいてはらないので御座ございますうかして罪人ざいにんあらためさせやうとかあるいつみなきたみ保護ほごしやうとかこころもつ刑罰けいばつおこなふのはすこしもこのいましめそむかないので御座ございます。

問 神様が『矜恤あわれみ』をおこなものにお約束やくそくなさいました『矜恤あわれみ』とはふ『矜恤あわれみ』なので御座ございますか。

答 それひと死後しご神様からこのおこなったおこない審判さばきけまするときに神様からたまはおん矜恤あわれみのことで、つねに『矜恤あわれみ』をほどこしてひと其時そのときこそ神様の矜恤あわれみ永遠えいえんさだめらるべき神罰しんばつからのがるるので御座ございます。


幸福さいわいの第六誡命かいめい
<<こころきよものさいわいなり彼等かれらかみんとすればなり>>

問 『こころきよもの』とは如何いかなるひともうすので御座ございますか。

答 それえずこころいましめてこころうちおこじょう思念おもいり神様をたのんでこころつねれいにしてひとなので御座ございます。


問 神様がこころきよものにお約束やくそくなさいましたほうの『かみる』とことことなので御座ございますか。

答 『かみる』とふことはかみかたわらかれるとふこととおなじことなので御座ございます、屡々しばしばまえにももうしましたとほり神様はわたくしどもただひとつのぞみ御座ございますからわたくしどもにしてその希望のぞみなる神様のそばかれ、神様と直接ぢきぢきまみゆることが出来できたならばわたくしどもれよりさいわいなことはいので御座ございます、『かみる』とふことは一言ひとこともうしますれば『さいわいる』とふことで御座ございます。


幸福さいわいの第七誡命かいめい
<<へいおこなものさいわいなり彼等かれらかみづけられんとすればなり>>

問 ここもうして御座ございまする『へいおこなもの』とは何様どのようひとのことで御座ございますか。

答 それ他人ひと交際つきあふにつね友愛ゆうあいもつ交際つきあひ、ひとあらそひ原因もととなるやうなことこころけてきわめてくる様にし、其様そのようけても他人ひととのあいだ不和なかたがい出来できましたならば其時そのときぶんしょくはづかしまた他人ひとがいおよぼぼさぬかぎりは他人ひとゆづってひとぼくする様な、ひと御座ございますにんどうあらそいなかはいってその仲直なかなおりにじんりょくするひとまたへいおこなふ』ひと御座ございます。


問 神様が『へいおこなもの』にあたへる約束やくそくをなさいました『かみづけられんとす』とのほうふことを意味するので御座ございますか。

答 そのことばじつへいおこなものどくおほいなることとそのほうはれぬほど立派りっぱなものでることをしめしたもので御座ございます。
神様はじつへいおこなひとを、わたくしどもつみあがないためこのにおくだりになったその独子ひとりごおんなぞらへになり、『神の子』と御名みなをさへ其者そのものさづけになったので御座ございます、此事このことっても『へいおこなもの』が如何いかほどだいなる幸福さいわいけるとふことは大抵たいていさつせられるので御座ございます。


幸福さいわいの第八誡命かいめい
<<ため窘逐きんちくせらるるものさいわいなり天国てんごく彼等かれらものなればなり>>

問 『ため窘逐きんちくせらるるもの』とはひとことなので御座ございますか。

答 それまことみちためには如何いかなる困難なんぎふともそれしのび、すこしもそのこころざしえぬ様な忍耐にんたいつよひともうすので御座ございます。


問 それでは神様は其様そのような『ため窘逐きんちくせらるるもの』に褒美むくい約束やくそくなさったので御座ございますか。

答 『天国てんごく』で御座ございます、神様がかれに『天国てんごく』を御約束なさいましたのはかれこのおいためあらゆるくるしみしのびましたのでそれおぎなため充分じゅうぶんなる幸福さいわいあたへやうと思召ぼしめしなので御座ございます。


幸福さいわいの第九誡命かいめい
<<ひとわれためなんぢののし窘逐きんちくなんぢこといつはりてもろもろしきことばはんときなんぢさいわいなりよろこたのしめよてんにはなんぢむくひおほければなり>>

問 ここもうして御座ございまする『われため窘逐きんちくせらるる』とはたれためなので御座ございますか。

答 それかみためしゅハリストスめ、しゅおしへためもろもろ迫害くるしめふことで御座ございます、其様そのよう迫害くるしめって、つひいのちおとしたひとのことを教会では命者めいしゃもうしましてじんうちかぞへてじょう尊敬そんけいいたすので御座ございます。


問 しゅ其様そのようものにお約束やくそくなさいました『てんけるむくい』とはむくい御座ございますか。

答 それ特別とくべつ安楽あんらく幸福さいわいとで御座ございます。