通俗正教教話/信経/第八か條
表示
< 通俗正教教話
(八)第八か條
[編集]- 『
又 信 ず、聖神 、主 、生 を施 す者 、父 より出 で父 及 び子 と共 に拝 まれ讃 められ、預 言者 を以 て嘗 て謂 ひしを』
- 『
問
- 答
是 は神 子 を主 と申 しましたと同 じ意味 で御座 いまして、神 と謂 ふ意 を表 す言 で御座 います。
問
- 答
其 は神 聖神 は神父 及 び神 子 と共 に人々 に生 を御 與 へになる御 方 で御座 いますので斯 様 申 したので、聖書 に其 聖神 が人 に與 へる霊 の生命 に就 て左 の様 に申 して御座 います、『人 若 し水 と聖神 とに由 て生 るるに非 ざれば、神 の国 に入 る能 はず』〔イオアン三の五〕。
問
- 答
此事 に就 ては主 イイスス ハリストスの御 言 が唯一 の拠 り所 で御座 います、主 は其 門 徒 に申 されましたには『我 が父 より爾 等 に遣 さんとする撫恤者 、真実 の神 、父 より出 づる者 は来 らん時 、彼 我 の事 を證 せん』〔イオアン十五の二十六〕。
問
- 答
左様 です決 して出来 ません、何故 かと申 しますれば此 教 は私 共 の救主 なる主 イイスス ハリストスが口 から其 お弟子 にお傳 へになった教 で、又 第 二 回 目 の全 地 公会 に集 った多 くの聖 師父等 の堅 く動 かすべからざる教 と認 めたもので御座 います、而 して此 教 を動 かしたり、此 に附加 をなすことに就 ては第三 全 地 公会 に於 て定 められた規 則 の第七か條に於 て堅 く禁 じられて御座 います。
問
- 答
其 はイイスス ハリストスの『父 と子 と聖神 の名 に由 て洗礼 を施 せ』〔馬太二十八の十九〕と門 徒 に仰 せられた言 によって明 かに知 ることが出来 ます。
問 『
- 答
之 は神 聖神 は又 預 言者 の口 を藉 りて様々 なる預 言 を人 に傳 へたものであると云 ふことを顕 す言 で御座 いまして、此 言 を特 に信経 に加 へましたのは、預 言 を録 した旧約 聖書 は人 の考 へ出 したもので、神 聖神 の意 を受 けて書 いたもので無 い、などと謂 ふ様 な不 敬 な教 師 の謂 ふ教 を排斥 する為 で御座 います。
問
- 答
否 、書 いて御座 います、聖 使徒 ペトルの書 の内 に斯 う謂 ふ言 が御座 います『預 言 は未 だ嘗 つて人 の旨 に由 りて出 でしにあらず、乃 神 の諸 聖人 が聖神 に感 じて之 を謂 ひしなり』〔ペトル後書一の二十一〕。
問
- 答
御座 いますとも、先 駆 イオアンが主 に洗礼 をお授 け申 した時 には鳩 の形 を以 てイオアンにお顕 れになり、主 のお昇天 の後 五十日 には御 門 徒 のお集 りになって居 る処 に火 の舌 の形 を以 てお顕 れになったので御座 います。
問
- 答
眞 の信者 なれば常 に其 お惠 に浴 することは出来 るので御座 います。此事 に就 て聖書 に申 して御座 いますには『爾 等 豈 知 らずや、爾 等 は神 の殿 にして神 の神 爾 等 の中 に居 ることを』〔コリンフ前三の十六〕。
問
- 答
其 は信者 たる善 き行 をなし篤 く神様 を信 ずる事 は勿論 のことで御座 いますが、尚 ほ其 と同 時 に神様 に御 祈 祷 をして聖神 のお惠 を願 ひ、教会 で行 ふ機 密 に與 らなければなりませぬ、聖書 に申 して御座 いますには『聖神 は即 神 之 をイイスス ハリストス我 等 の救 い主 に由 りて豊 に我 等 に注 げり』〔ティト三の六〕『天 に在 す父 は之 に求 むる者 に聖神 を與 へざらんや』〔ルカ十一の十三〕。
問
- 答
聖 預 言者 イサイヤの数 へました所 では、尤 も普通 な聖神 のお惠 は六 つ御座 います即 ち第一は『聡明 』第二は『智慧 』第三は『謀略 』第四は『剛気 』第五は『智 識 』第六は『神 を敬 ふ心 』で御座 います。〔イサイヤ十一の一、二、三参照〕