聖金口イオアン教訓下/第41講話

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第41講話[編集]

<<温柔おんじゅう>>


かみんとほつするものは、くしるだけ温柔おんじゅうじゅんなるものとなるべし、さればひとよりなにじょくをうくるとき大量たいりょう忍耐にんたいすべし。しゅいはく『なんぢあだあいし、なんぢにくものくし、なんぢ迫害せめかつ譏誚そしものため祈祷いのれ、しからばなんぢてんにいますなんぢちちものとなるべし、かれ善人ぜんにん悪人あくにんとのうえのぼし、義者ぎしゃ不義ふぎしゃとのうえあめふらしたまふなり』〔ルカ六の廿七、廿八馬太マトフェイ五の四十四、四十五〕。「ハリステアニン」にぞくする徳行とくこう許多あまたありといへども、温柔おんじゅうはあらゆる徳行とくこうよりおほいなり、けだし温柔おんじゅうもつひかところものハリストスかみならものづけたまへり。けだしわれ主宰しゅさい救世主きゅうせいしゅみづからもはづかしめられ、むちうたれ、くぎして十字架じゅうじかにかけられしも、猶太イウデヤじん狂暴きょうぼう温柔おんじゅうにして忍耐にんたいたまへり、かつ救世主きゅうせいしゅ不法ふほうものばつすべきちからゆうすれども、ばつたまはず、かへつかれちからふるはすと、死者ししゃ復活よみがへらすと、太陽たいようかくしてひるよるとならしめたるとによりあらはして、温柔おんじゅうじんとをば不法ふほうものうちたれをもばつせざるにおいてあらはしたまへり、これ主宰しゅさいむかつてつみなるをあぐる人々ひとびと狂暴きょうぼうしゃをたやすくばつべきをらしめんがためなり。かれはかくのごとくたやすくふるはし、その命令めいれいによりて太陽たいようくらくせり、しかれどもかれ温柔おんじゅうなるにより無法むほうもの狂暴きょうぼう温柔おんじゅうにして忍耐にんたいせり、かつかれ自己じこ十字架じゅうじかくぎつけて、悪言あくげんしたるもの温柔おんじゅうにして堪忍かんにんせしのみならず、無法むほうもの天上てんじょうとうぜざらんことをちちいのたまへり。ゆえなんぢおもくしてへがたきじょくにあひ、忿然ふんぜんとしていかりはつするときハリストス温柔おんじゅうおもふべし、さらばたゞちに温柔おんじゅうじゅんなるものとならん、しかればなんぢ温柔おんじゅうによりみづかだいえきをうくるのみならず、てきにもえきあたへ、かれをしてまた善良ぜんりょうなるものとならしめん。けだしてきなんぢはなはだしきじょく温柔おんじゅうにして忍耐にんたいし、いかりおさふるをときは、かれたゞちに謙遜けんそん善良ぜんりょうなるものとなり、いきどほりてゝなんぢ温柔おんじゅうならものとならんことをほつすればなり。