聖金口イオアン教訓下/第20講話

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第20講話[編集]

<<まづ敬虔けいけんまもることをつとむべし>>


われおのれ霊魂たましいかためん、しかとき仮令たとへわれとみををうしなふのうれひふとも、仮令たとへすとも、たゞたれ敬虔けいけんわれよりうばひるものあらずんば、われことごとくのひとよりさいわいなり。ハリストスこれ誡命かいめいたまへり、いへらく『へびごとなるべし』〔マトフェイ十の十六〕。へびはたゞかしらをさへすくふならば、全体ぜんたいうしなはんとほつす、かくのごとなんぢもたゞ敬虔けいけんをさへまもるならば、仮令たとへとみうしなふとも、仮令たとへ身体からだをうしなふとも、仮令たとへ現生げんせいをうしなふとも、仮令たとへ一切いっさいをうしなふとも、うれふるなかれ、けだしなんぢこれをもつるときは、かみ一切いっさいおほいこうにしてなんぢかえすべく、身体からだおほい光栄こうえいにして復活ふくかつせしむべく、とみへていかなることばもいひあらはすことのあたはざる幸福こうふくなんぢあたへんとす。約百イオフ千次せんたびひんして、もっともくるしき生涯しょうがいおくり、裸体はだかにしてふんうえせしにあらずや。さりながらかれ敬虔けいけんてざりしにより、健康けんこうも、身体からだも、むらがるどもも、財産ざいさんも、すべてぜんにありしものをふたゝあまるをもつてうけたり、こと重要ちょうようなるはかれ忍耐にんたいひかりかゞやく栄冠えいかんをうけたりき。たとへばごとし、仮令たとへたれ果実とももぎるといへども、仮令たちへことごとくの枝條えだきりるといへども、もしそんするあらんには、あらたにすべて完全かんぜんに、かつさられい成長せいちょうせん、かくのごとわれにも敬虔けいけんそんするあらんには仮令たとへとみうばはるゝとも仮令たとへ身体からだそこなはるとも、すべてはさらおほいなる光栄こうえいもつわれまたかへらん。