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聖詠講話中編/第百二十九聖詠講話

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第百二十九聖詠講話

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しゅよ、われふかところよりなんぢぶ、しゅよ、こゑたま〔一節〕。


。 ふかところより』とはなんなるか。 たん口舌こうぜつもつぶのみならず、すなは非常ひじょうなる注意ちゅういおほいなる熱心ねつしんとをもつこころ深所ふかみたましひそこよりのなり。憂愁ゆうしゅうあるたましひくのごときものなり、すなはかかたましひ衷心ちゅうしんよりするおほいなる傷咸しょうかんもつかみまねぎつゝまつた震撼ふるひうごかさるゝなり、かれとうれらるゝはこれためなり。かかとう仮令たとひあく大胆だいたんなる攻撃こうげき遭遇そうぐうすとも錯乱さくらん動揺どうようせずしておほいなるちからゆうす。ふか地中ちちゅうれるけんなる樹木じゅもく暴風ぼうふうげき反抗はんこうするも、そのふかからざる樹木じゅもくふうによりて動揺どうようし、稍々やや強風きょうふうへばただちに根底こんていよりかれて地上ちじょう顛覆てんぷくさるゝがごとく、たましひふところよりで、たましひそこゆうするとうまたけんにしてよわらざるものとなり、種々さまざまなる雑念ざつねんあく諸軍勢しょぐんぜいよせるともうごかざるなり、れど口舌こうぜつよりで、たましひふかよりしょうぜざるとうは、祷者とうしゃ注意ちゅういによりてかみのぼることさへあたはず、なんとなればもっとしょうなるげきかれみだし、もろもろ騒擾そうじょうとうよりにそのこころてんぜしむればなり――たとひそのくちおとはつすとも、こころむなしく、智慧ちゑまたたのしまざるなり。聖人せいじんくのごといのらざりき、すなは全身ぜんしんをも傾注けいちゅうしたるほど熱心ねつしんもついのれり。ふくたるイリヤとうせんとして閑静かんせいなる場所ばしょもとめ、つぎかうべひざあひだおほいなる熱心ねつしんもやし、くしてとうおこなへり〔第三列王紀十八の四十二[1]〕。なんぢ真直ますぐとうてるものんとほつせば、かれてんむかひててんよりくだりしがごと直立ちょくりつしてとうせしときおいふたたかれよ〔第三列王紀十八の三十六〕。またかれ嫠婦やもめ復活ふくかつせしめんとほつしたるとき吾人われらごと放心ほうしんせず、欠伸あくびをなさず、すなはせつなるとう熱衷ねつちゅう全力ぜんりょくそそぎて復活ふくかつせしめたり。れどかれなんためイリヤおよ諸聖人しょせいじんきてふか。


われ屡々しばしばざいをつとあるいめるぢょためなみだそそたましひ深底そこよりいのり、とう目的もくてきたつしたるじんたり。じんぢょざいをつとため熱心ねつしんとうすとも、もしそのをつとにしてかつなくせるがごとこころもついのらば、かれ其罪そのつみゆるさるべきか。吾人われらとうのち屡々しばしばむなしく〈聖堂を〉づることあり。アンナ如何いか衷心ちゅうしんよりいのりしか、如何いかなみだながししか、とうもつ如何いか高上こうじょうしたるかをけ〔第一列王紀一の十[2]〕。くのごといのものねがひしものをくるよりも、とうによりておほいなる幸福こうふくく、すなはすべての情慾じょうよくしづめ、いかりやはらげ、嫉妬しっと放逐ほうちくし、肉慾にくよくあつし、ぶつたいするあいよわめ、たましひおほいなる平安へいあんしめ、てんのぼらしむるなり。あめかたちてこれやはらげ、てつやはらかにするがごとく、くのごととう情慾じょうよくによりてがんとなりしたましひを、よりもつよく、あめよりもやはらこれ湿うるほすなり。たましひ柔軟やはらかにして感受性かんじゅせいあるものなり、しかれどもイストルみづ屡々しばしば寒冷かんれいによりていしごと凝結ぎょうけつするがごとく、吾人われらたましひまたつみ注意ちゅういとにより、凝結ぎょうけつしていしとなるなり。ればたましひこうやはらぐるにはおほいなる熱心ねつしんようす。とうことこれ完成かんせいす。ればなんぢとうするときただねがひしものをくることのみならず、とうさいおのれたましひもっときものとさんことをおもんばかれ、とうをも成就じょうじゅすればなり、くのごとくにしていのものすべてのものゝうへち、おのれ智慧ちえばしめ、おのれ念慮ねんりょかろからしめ、如何いかなる情慾じょうよくためにもとらはれざるなり。しゅよ、われふかところよりなんぢぶ』ここ預言者よげんしゃふかところより』およぶ』てふふたつの表現いひあらはしもちひたりぶ』とはこゑおとにあらず、たましひ状態じょうたいふなり。しゅよ、こゑたまへ』吾人われらこのことばよりふたつのしんまなぶことをだい一、吾人われらみづか當然とうぜんのことをなさゞればかみより何物なにものをもくるをず、れば預言者よげんしゃまへもつふかところよりべり』といひ、しかのちたまへ』といへり。だい二、熱心ねつしんなるとう傷咸しょうかんなみだたされたるとうかみをして吾人われらとうくるにかたむけしむるほどおほいなるちからあり、れば預言者よげんしゃあたかあるおほいなることをなし、およみづか適當てきとうなることをしてとうするがごとしゅよ、こゑたまへ、ねがはくはなんぢみみいのりこゑれん』〔二節〕とつづけたり。かれ才能さいのうみみつけ、しかうしてこゑもとふたた呼吸こきゅうおとにあらず、叫声さけびごゑにあらず、すなはたましひ伸張しんちょうせる状態じょうたい意味いみせり。


しゅよ、なんぢはふたださば、しゅよ、たれたん』〔三節〕。何人なんびとか、われすうあくみたされたり、如何いかかみちかり、かみとうし、かみぶことをんやとはざらんためかかうたがひからしめんため預言者よげんしゃしゅよ、なんぢはふたださば、しゅよ、たれたん』といへるなり。たれか』てふことばは、ここに「何人なんびとも」のなり、なんとなればかれ厳重げんぢう吾人われらこう穿鑿せんさくせば、何人なんびとつねれん仁愛じんあいとにへざればなり。


。 吾人われらこれふは、なんぢたましひ注意ちゅういわたされんためにあらず、すなは失望しつぼうおちいりしものはげまさんためなり。『たれわれこころきよめ、つみきよめられたりといひるや』〔箴言二十の九〕。しかれどもなんためにんきてふか。われパウェルいだしてかれよりそのこうきて厳重げんぢうなる責任せきにん要求ようきゅうしなば、かれまた堅立けんりつすることをざりしならん。実際じっさいかれ何事なにごとるか。かれ勤勉きんべんにしてしょ預言者よげんしゃしょまなび、国法こくほう熱心者ねつしんしゃにしておこなはれし休徴きゅうちょうたるも、窘逐者きんちくしゃとなりしょうひておそるべきこゑけるまで騒乱そうらんかいこととせり。しかれどもかみなほこれにもかかはらず、かれまねぎておほいなる恩寵おんちょうさづけたり。またこうペートルすうせき休徴きゅうちょうけ、かいしょうとをあたへられたるのちおもつみおちいりしにあらずや。しかれどもしゅこれにもかかはらず、かれてゝだい一の使徒しととなせり。ればしゅは『シモンよ、シモンよ、よ、サタナなんぢむぎごとふるはんことをもとめたり。しかれどもわれなんぢために、なんぢしんきざらんことをいのれり』〔ルカ福音二十二の三十一、三十二〕といへり。かみ容赦ようしゃなく審判しんぱんし、厳重げんぢうなる責任せきにん要求ようきゅうするにきたりたらんには、衆人しゅうじんかなら罪人ざいにんとしてほろびたりしならん。ればよ、パウェルも『けだしわれうちかへりみてむべきなしといへども、これもつとせられず』〔コリンフ前書四の四〕といへり。しゅよ、なんぢはふたださば、しゅよ』預言者よげんしゃむなしく重複ぢうふくことばもちひたるにあらず、しゅおほいなる仁愛じんあいそのげんげんと、その恩寵おんちょう徴表しるしもちひたるなり。たれたん』かれたれんやとはずして、たれたん』といへるは、堅立けんりつすることすらあたはずとのなり。しかれどもなんぢゆるしあり』このことばなに意味いみするか。ばつるは吾人われら善行ぜんこうるにあらず、なんぢじんる、なんとなれば審判しんぱんまぬかるゝはなんぢじんかんすとのなり。吾人われらこのじんくるにへざれば吾人われらこう吾人われらこう吾人われららいいかりよりすくふことあたはざるなり。


。 かみみづかこれ解明ときあかしつゝ預言者よげんしゃもつて『われなんぢざいさん』〔イサイヤ書四十三の二十五〕といへり、すなは行事ことなり、ぜん仁愛じんあい作為わざなり、なんぢこうにして仁愛じんあいがつせざればなんぢばつよりすくふことをずとのなり。かれまたわれなんぢはん』〔イサイヤ書四十六の四〕といへり。われなんぢためしゅのぞみ、たましひしゅのぞみ、われかれことばたのむ』〔四節〕。ある訳者やくしゃなんぢ律法おきてために』〔シムマフ〕となし、ある訳者やくしゃなんぢことばるがために』〔訳者不明〕となせり。これことば意味いみごとし、なんぢかみ仁愛じんあいためなんぢ律法おきてためわれすくひてり――なんとなればわれおのこうたらんにはひさしくのぞみうしなひしならん、しかれどもいまわれなんぢ律法おきてなんぢことば注意ちゅういしつゝのぞみやしなふとなり。如何いかなることば注意ちゅういするか。仁愛じんあいことば注意ちゅういするなり、なんとなればしゅみづから『てんよりたかきがごとく、おもひなんぢおもひよりもたかく、みちなんぢみちよりもとほし』〔イサイヤ書五十五の九〕といひ、預言者よげんしゃまたてんよりたかきがごとく、しゅかれおそるゝものそのあはれみかためたり』といひ、またひがし西にしよりよほきがごとく、しゅほうわれよりとほざけたり、』〔聖詠百二の十一、十二〕といひたればなり、すなはわれ善行ぜんこうおこなひしものすくひしのみならず、罪人ざいにんをもあはれみ、またなんぢほうおこなあひだ保護ほご配慮はいりょとをなんぢしめせりとなり。ある訳者やくしゃなんぢおそるべきものとなり、われしゅたんために』〔訳者不明〕といへり。何人なんびとためおそるべきものとなるか。てきためあくあるものためわれたいして敵害てきがいするものためになり。なんぢために』とはなんなるか。こころは、われたと罪人ざいにんにしてすうあくたされたりとも、なんぢなんぢはづかしめられざらんため吾人われらほろぶることをゆるたまはざるをるとなり。ればかみみづかイエゼキイリしょうちに『われなんぢためこれすにあらず、ほうおいけがされざるようためにするなり』〔イエゼキイリ書三十六の二十二〕といへり、すなは吾人われら救贖きゅうしょくあたらず、またおのこうためなにぜんをもつことあたはず、すなはなんぢため救贖きゅうしょくたん、この救贖きゅうしょくぼう吾人われらそんせりとなり。或訳者あるやくしゃわれおそれためしゅてり』〔アキラ及フェオドチオン〕といひ、或訳者あるやくしゃわれ律法りつぽふためしゅてり』〔シムマフ〕となしたましひなんぢことばたのむ』〔訳者不明〕となす、すなはわれかみ仁愛じんあいれん預知よちおよかた約束やくそくせいなるいかりとしてゆうするがゆえ失望しつぼうせずとなり。


番人ばんにんあさつよりはなはだし、ねがはくはイズライリしゅたのまん』〔五節〕、すなは全生涯ぜんしょうがいおいすべてのとなくひるとなくつのなり。失望しつぼうおちいりしものにはつねしゅむかしゅのぞむがごとなにものもしんにかく救贖きゅうしょくしむることをざるなり、かいすべからざる墻壁しょうへきみだすべからざる安全あんぜんたれざる城砦じょうさいなり。是故このゆえ縦令たとひ事情じじょうもつおどし、あるいけんあるい全然ぜんぜんたる亡滅ぼうめつもつおどすとも、かみのぞかみすくひたのむことをむるなかれ、かみためすべてはよう便べんにして、かれまぬかるべからざる事情じじょううちよりも吾人われらすくればなり。ただなんぢ行事ぎょうじ好運こううんなるときかみ佑助たすけくることをのぞむべきのみならず、こと暴風ぼうふうとうとき非常ひじょうなるけんなんぢおどときかみたのむべし、かかときかみことおの能力のうりょくあらはたまへばなり。くのごと預言者よげんしゃことば意味いみは、つねすべてのとき全生涯ぜんしょうがいおいかみたのまざるべからずとなり。


けだしあはれみしゅにあり、おほいなるあがなひかれにあり、かれイズライリそのことごとくのはふよりあがなはん』〔六節〕。けだしあはれみしゅにあり』とはなんなるか。ここあはれみとは宝蔵ほうぞうつねながるゝ仁愛じんあいいづみとなり。仁愛じんあいのあるところには救贖きゅうしょくまたそんす、ただ救贖きゅうしょくのみならず『おほくの』救贖きゅうしょくおよ仁愛じんあい無量むりょうなる深淵しんえんあり。れば仮令たとひつみ吾人われら亡滅ほろびわたすとも、吾人われらげんそうして失望しつぼうすべからず。れん仁愛じんあいとのあるところにはつみため厳重げんぢうなるせめけず、裁判者さいばんしゃそのおほいなるれん仁愛じんあい処置しょちによりておほくのものをゆるすにる。かみかか裁判者さいばんしゃにしてつねあはれみて赦免しゃめんあたへんとす。かれイズライリそのことごとくのはふよりあがなはん』かみくのごとものにして到処いたるところそのおほいなる仁愛じんあいたまふとせば、そのたみすくひてばつよりあがなふのみならず、つみよりもこれあがなふやうたがひなし。吾人われらこれりてかみび、かみねが何時いつ退しりぞかざらん、らば吾人われらあるいけ、あるいけざらん。あたふることにしてかみ権内けんないにあらば、あたふべきのときまた其権内そのけんないにあらん、かれまさしくあたふべきときる。れば吾人われらかれ慈憐あはれみ仁愛いつくしみとをねがひ、いのたのみ、また何時いつおのれ救贖きゅうしょく失望しつぼうせずして吾人われらみづか適當てきとうなることをなさん、らばかみまたうたがひなくすべきことをなさん、光栄こうえいちち聖神せいしんともする吾人われらしゅイイスス ハリストスれん仁愛じんあいとにりて吾人われらくべきふべからざる慈惠めぐみ無量むりょう仁慈いつくしみとはことごとかれにあればなり。アミン。


参考

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第百二十九聖詠せいえい

1 しゅよ、われふかところよりなんぢぶ。
2 しゅよ、こゑたまへ、ねがはくはなんぢみみいのりこゑれん。
3 しゅよ、なんぢはふたださば、たれたん。
4 しかれどもなんぢゆるしあり、ひとなんぢまへつつしまんためなり。
5 われしゅのぞみ、たましひしゅのぞみ、われかれことばたのむ。
6 たましひしゅつこと、番人ばんにんあさち、番人ばんにんあさつよりはなはだし。
7 ねがはくはイズライリしゅたのまん、けだしあはれみしゅにあり、おほいなるあがなひかれにあり、
8 かれイズライリそのことごとくのはふよりあがなはん。


へん第130篇(文語訳旧約聖書)

1 ああヱホバよわれふかきふちよりなんぢをよべり
2 しゅよねがはくはわがこゑをききなんぢのみみをわが懇求ねがひのこゑにかたぶけたまヘ
3 ヤハよしゅよなんぢもしもろもろの不義ふぎをとめたまはばたれかよくたつことをえんや
4 されどなんぢにゆるしあればひとにおそれかしこまれたまふべし
5 われヱホバを俟望まちのぞむ わが霊魂たましひはまちのぞむ われはその聖言みことばによりてのぞみをいだく
6 わがたましひは衛士ゑじがあしたをまつにまさり まことにゑじがあしたをまつにまさりてしゅをまてり
7 イスラエルよヱホバによりてのぞみをいだけ そはヱホバにあはれみあり またゆたかなる救贖あがなひあり
8 ヱホバはイスラエルをそのもろもろの邪曲よこしまよりあがなひたまはん

脚注

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  1. 投稿者註:列王紀略上を指す。第三列王紀は正教会の呼び方。
  2. 投稿者註:サムエル前書を指す。第一列王紀は正教会の呼び方。