有父之喪,如未沒喪而母死,其除父之喪也,服其除服。卒事,反喪服。
雖諸父昆弟之喪,如當父母之喪,其除諸父昆弟之喪也,皆服其除喪之服。卒事,反喪服。
如三年之喪,則既顈,其練祥皆同。
王父死,未練祥而孫又死,猶是附於王父也。
〈訳:NDLJP:1118535/231 父の喪ありて、如し未だ喪を沒へずして母死せば、其の父の喪を除くとき、其
の除服を服す、事を卒へて喪服に反る。諸父昆弟の喪と雖も、如し父母の喪に當
れば、其諸父昆弟の喪を除くとき、皆其喪の服を除く、事を卒へて、喪服に反る。如
し三年の喪には、則ち既に顈すれば、其練祥皆行ふ。王父死し、未だ練祥せ
ずして、孫又死せば、是を猶ひて王父に附す。〉
有殯,聞外喪,哭之他室。入奠,卒奠,出,改服即位,如始即位之禮。
〈殯有るとき外喪を聞けば、之れ
を他室に哭す。入りて奠し、奠を卒へて出で、服を改めて位に即く。始めて位
に即くの禮の如し。〉
大夫、士將與祭於公,既視濯,而父母死,則猶是與祭也,次於異宮。既祭,釋服出公門外,哭而歸。其它如奔喪之禮。如未視濯,則使人告。告者反,而後哭。如諸父昆弟姑姊妹之喪,則既宿,則與祭。卒事,出公門,釋服而後歸。其它如奔喪之禮。如同宮,則次於異宮。
〈大夫士將に祭に公に與らんとし、既に濯を視て、父母死
せば、則ち是れを猶ひて祭に與るなり。異宮に次す。既に祭りて服を釋ぎ、
公門の外に出で、哭して歸る。其の他は喪に奔るの禮の如し。如し未だ濯を視ざ
れば、則ち人をして告げしむ。告ぐる者反りて后〔ママ〕に哭す。如し諸父昆弟、姑姉妹
の喪には、則ち既に宿すれば則ち祭に與る。事を卒へて公門を出で、服を
釋ぎ、而して后〔ママ〕に歸る、其の他は喪に奔るの禮の如し。如し同宮なれば、則ち
異宮に次す。〉
曾子問曰:「卿大夫將為尸於公,受宿矣,而有齊衰內喪,則如之何?」孔子曰:「出舍乎公宮以待事,禮也。」
孔子曰:「尸弁冕而出,卿、大夫、士皆下之。尸必式,必有前驅。」
〈曾子問ひて曰く、卿大夫將に公に尸たらんとして、宿を受く。
而して齊衰内喪あらば、則ち之を如何。孔子曰く、出て公宮に舍し以て事を待
つは、禮なり。孔子曰く、尸は弁冕して出づ、卿大夫士皆之れに下る。尸は必ず
式す。必ず前驅あり。〉
父母之喪,將祭,而昆弟死;既殯而祭。如同宮,則雖臣妾,葬而後祭。祭,主人之升降散等,執事者亦散等。雖虞附亦然。
〈NDLJP:1118535/232 父母の喪將に祭らんとして、昆弟死せば、既に殯して祭る。如し同宮なれば、
則ち臣妾と雖も、葬りて而して后〔ママ〕に祭る。祭るには主人の升降散等す、事を執
る者亦散等す。虞附と雖も亦然り。〉
自諸侯達諸士,小祥之祭,主人之酢也嚌之;眾賓兄弟,則皆啐之。大祥:主人啐之,眾賓兄弟皆飲之,可也。
〈諸侯より諸士に達するまで、小祥の祭に、
主人の酢するとき之を嚌し、衆賓兄弟は、則ち皆之れを啐す。大祥には、主人之
に啐し、衆賓兄弟は、皆之れを飮みて可なり。〉
凡侍祭喪者,告賓祭薦而不食。
〈凡そ祭喪に侍する者は、賓に薦を
祭れと告げて、食はず。〉
子貢問喪,子曰:「敬為上,哀次之,瘠為下。顏色稱其情;戚容稱其服。」請問兄弟之喪,子曰:「兄弟之喪,則存乎書策矣。」君子不奪人之喪,亦不可奪喪也。
〈子貢喪を問ふ。子曰く、敬を上と爲し、哀之れに次ぎ、
瘠を下となす。顏色は其の情に稱ひ、戚容は其の服に稱ふべし。兄弟の喪を請
ひ問ふ。子曰く、兄弟の喪は、則ち書策に存せり。君子は人の喪を奪はず、亦
喪を奪ふ可からざるなり。〉
孔子曰:「少連、大連善居喪,三日不怠,三月不解,期悲哀,三年憂。東夷之子也。」
〈孔子曰く、少連、大連善く喪に居る三日怠らず、三月
解らず、期にして悲哀し、三年にして憂ふ、東夷の子なり。〉
三年之喪,言而不語,對而不問:廬,堊室之中,不與人坐焉;在堊室之中,非時見乎母也,不入門。疏衰皆居堊室不廬。廬,嚴者也。
〈三年の喪に言う
て語らず、對へて問はず、廬、堊室の中、人と坐せず、堊室の中に在るときは、
時に母に見るに非ざれば、門に入らず、疏衰には皆堊室に居りて、廬せず、廬は
嚴なるところなり。〉
妻視叔父母,姑姊妹視兄弟,長、中、下殤視成人。
〈妻は叔父母に視へ、姑姉妹は兄弟に視へ長中下殤は、
成人に視ふ。〉
親喪外除,兄弟之喪內除。
〈親の喪は外除し、兄弟の喪は内除す。〉
視君之母與妻,比之兄弟。發諸顏色者,亦不飲食也。
〈君の母と君の妻とを視
ふことは、之れを兄弟に比す、諸を顏色に發すべき者は、亦飮食せざるなり。〉
免喪之外,行於道路,見似目瞿,聞名心瞿。吊死而問疾,顏色戚容必有以異於人也。如此而後可以服三年之喪。其餘則直道而行之,是也。
〈喪を免しての外、道路を行くに、似たるものを見れば目瞿し、名を聞けば心瞿
す、死を弔し疾を問へば、顏色戚容、必ず以て人に異なるもの有るなり。此
の如くにして而して后〔ママ〕に以て三年の喪に服す可し。其の餘は則ち直道にして之
を行うて是なり。〉
祥,主人之除也,於夕為期,朝服。祥因其故服。
〈NDLJP:1118535/233 祥に主人の除くは、夕に於て期となし、朝服す。祥は其の故服に因る。〉
子游曰:「既祥,雖不當縞者必縞,然後反服。」
〈子
游曰く、既に祥すれば、縞に當らざる者と雖も、必ず縞す、然る後に服に反
る。〉
當袒,大夫至,雖當踴,絕踴而拜之,反改成踴,乃襲。於士,既事成踴,襲而後拜之,不改成踴。
〈袒に當りて大夫至れば、踊に當れりと雖も、踊を絶ちて之れを拜す。反
りて改めて踊を成し、乃ち襲す。士に於ては事を既へ踊を成し、襲して而して后〔ママ〕
に之を拜す。改めて踊を成さず。〉
上大夫之虞也,少牢。卒哭成事,附,皆大牢。下大夫之虞也,特牲。卒哭成事,附,皆少牢。
〈上大夫の虞には少牢。卒哭、成事、附には
皆大牢。下大夫の虞には、稙牲〔ママ〕。卒哭、成事、附には皆少牢。〉
祝稱卜葬虞,子孫曰哀,夫曰乃,兄弟曰某,卜葬其兄弟曰伯子某。
〈祝、葬虞を卜す
るを稱して、子孫には哀と曰ひ、夫には乃と曰ひ、兄弟には某と曰ひ、其の兄弟
を葬るを卜するには、伯子某と曰ふ。〉
古者,貴賤皆杖。叔孫武叔朝,見輪人以其杖關轂而輠輪者,於是有爵而後杖也。
〈古は貴賤皆杖つけり。叔孫武叔、朝す
るとき輪人其の杖を以て、轂を關つて輪を輠らす者を見たり。是に於て爵ありて
而して后〔ママ〕に杖つくなり。〉
鑿巾以飯,公羊賈為之也。
〈巾を鑿つて以て飯するは、公羊賈之れを爲せり。〉
冒者何也?所以掩形也。自襲以至小斂,不設冒則形,是以襲而後設冒也。
〈冒
とは何ぞや、形を揜ふ所以なり。襲より以て小斂に至るまでに、冒を設けざれば
則ち形る。是を以て襲して后〔ママ〕に冒を設くるなり。〉
或問於曾子曰:「夫既遣而包其餘,猶既食而裹其餘與?君子既食,則裹其餘乎?」曾子曰:「吾子不見大饗乎?夫大饗,既饗,卷三牲之俎歸於賓館。父母而賓客之,所以為哀也!子不見大饗乎!」非為人喪,問與?賜與?
〈NDLJP:1118535/234 或ひと曾子に問ひて曰く、夫れ既に遣りて其の餘を包むは、猶ほ既に食うて其
の餘を裹むがごときか。君子既に食へば、則ち其の餘を裹まんや。曾子曰く、
吾子大饗を見ずや。夫れ大饗は既に饗して三牲の俎を卷みて、賓の館に歸る。
父母にして之れを賓客とするは、哀を爲す所以なり。子、大饗を見ずや。人
の喪の爲に問るに非ざるか、賜ふか。〉
三年之喪,以其喪拜;非三年之喪,以吉拜。
〈三年の喪には、其の喪拜を以てし、三年
の喪に非ざれば、吉拜を以てす。〉
三年之喪,如或遺之酒肉,則受之必三辭。主人衰絰而受之。如君命,則不敢辭,受而薦之。喪者不遺人,人遺之,雖酒肉,受也。從父昆弟以下,既卒哭,遺人可也。
〈三年の喪に、如し之れに酒肉を遺ること或れ
ば、則ち之れを受くるに必ず三たび辭す。主人衰絰して之れを受く。如し君、命
ずれば、則ち敢て辭せず、受けて之れを薦む。喪者、人に遺らず。人之れを遺
れば、酒肉と雖も受く。從父昆弟以下には既に卒哭せば人に遺りて可なり。〉
縣子曰:「三年之喪,如斬。期之喪,如剡。」
〈縣
子曰く、三年の喪斬るが如く、期の喪は剡るが如し。〉
三年之喪,雖功衰不吊,自諸侯達諸士。如有服而將往哭之,則服其服而往。期之喪,十一月而練,十三月而祥,十五月禫。練則吊。
既葬,大功吊,哭而退,不聽事焉。期之喪,未喪,吊於鄉人。哭而退,不聽事焉。功衰吊,待事不執事。小宝緦,執事不與於禮。
相趨也,出宮而退。相揖也,哀次而退。相問也,既封而退。相見也。反哭而退。朋友,虞附而退。吊,非從主人也。四十者執綍:鄉人五十者從反哭,四十者待盈坎。
〈三年の喪は功衰と雖も弔せ
ず、諸侯より諸士に達す。如し服有りて將に往きて之れを哭せんとすれば、則ち其
服を服して往く。期の喪は十一月にして練る、十三月にして祥し、十五月にして禫
す。練すれば則ち弔す。既に大功を葬るときは、弔哭して退き、事を聽たず。
期の喪未だ葬らずして、郷人を弔するときは、哭して退き、事を聽たず。功衰
して弔するときは、事を待つ、事を執らず。小功、緦は事を執る、禮に與らず。
相趨るには宮を出づれば退き、相揖するには哀次にて退き、相問るには既に封
すれば退き、相見るには反哭すれば退き、朋友には虞附すれば退く。弔は主
人に從ふに非ざるなり。四十の者は、綍を執り、郷人は五十の者は從うて反哭
し、四十の者は坎に盈すを待つ。〉
喪食雖惡必充饑,饑而廢事,非禮也;飽而忘哀,亦非禮也。視不明,聽不聰,行不正,不知哀,君子病之。故有疾飲酒食肉,五十不致毀,六十不毀,七十飲酒食肉,皆為疑死。
〈NDLJP:1118535/235 喪の食は惡しと雖も必ず飢に充つ。飢ゑて事を廢するは、禮に非ざるなり、
飽きて哀を忘るゝは、亦禮に非ざるなり。視ること明ならず、聽くこと聰ならず、
行こと正ならざると、哀を知らざるとは、君子之れを病む。故に疾あれば、酒を
飮み肉を食ふ。五十は毀を致さず、六十は毀せず。七十は酒を飮み肉を食ふ。皆死
を疑るゝが爲なり。〉
有服,人召之食,不往。大功以下,既葬,適人,人食之,其黨也食之,非其黨弗食也。功衰食菜果,飲水漿,無鹽酪。不能食食,鹽酪可也。
〈服あるとき、人之れを食ふに召べば往かず。大功以下には、
既に葬りて人に適くとき、人之れに食せしむれば、其の黨には之を食ひ、其の
黨に非ざれば食はず。功衰には菜果を食ひ、水漿を飮む、鹽酪なし。食を食ふこ
と能はざれば、鹽酪あるも可なり。〉
孔子曰:「身有瘍則浴,首有創則沐,病則飲酒食肉。毀瘠為病,君子弗為也。毀而死,君子謂之無子。」
〈孔子曰く、身に瘍あれば則ち浴し、首に創あれ
ば則ち沐し、病めば則ち酒を飮み肉を食ふ。毀瘠して病を爲すは、君子爲さざ
るなり。毀せて死するを、君子之れを子無しと謂ふ。〉
非從柩與反哭,無免於堩。
〈柩に從ふと反哭とに非
ざれば、堩に免すること無し。〉
凡喪,小宝以上,非虞附練祥,無沐浴。
疏衰之喪,既葬,人請見之,則見;不請見人。小宝,請見人可也。大功不以執摯。唯父母之喪,不辟涕泣而見人。
〈凡そ喪は小功以上は、虞、附、練、祥に非ざれ
ば、沐浴無し。疏衰の喪には、既に葬りて人之を見んと請へば則ち見る。人
を見んことを請はず。小功には人を見んと請ふも可なり、大功には以て摯を執ら
ず。唯父母の喪には、涕泣を辟けずして人を見る。〉
三年之喪,祥而從政;期之喪,卒哭而從政;九月之喪,既葬而從政;小宝緦之喪,既殯而從政。
〈NDLJP:1118535/236 三年の喪には、祥すれば政に從ふ。期の喪には、卒哭すれば政に從ふ。九月
の喪は、既に葬れば政に從ふ。小功、緦の喪は、既に殯すれば政に從ふ。〉
曾申問於曾子曰:「哭父母有常聲乎?」曰:「中路嬰兒失其母焉,何常聲之有?」
〈曾
申、曾子に問うて曰く、父母に哭するに常聲ありや。曰く、中路にして嬰兒其の
母を失はば、何の常聲か之れ有らん。〉
卒哭而諱。王父母兄弟,世父叔父,姑姊妹。子與父同諱。母之諱,宮中諱。妻之諱,不舉諸其側;與從祖昆弟同名則諱。
〈卒哭して諱む。王父母、兄弟、世父叔
父、姑姉妹には、子と父と同じく諱む。母の諱は、宮中に諱み、妻の諱は、諸
を其の側に擧げず。從祖昆弟と名を同じくすれば則ち諱む。〉
以喪冠者,雖三年之喪,可也。既冠於次,入哭踴,三者三,乃出。
大功之末,可以冠子,可以嫁子。父,小宝之末,可以冠子,可以嫁子,可以取婦。己雖小宝,既卒哭,可以冠,取妻;下殤之小宝,則不可。
凡弁绖,其衰侈袂。
〈喪を以て冠す
る者は、三年の喪と雖も可なり、既に次に冠し、入りて哭踊す。三たびする
者三たび、乃ち出づ。大功の末には、以て子に冠すべく、以て子を嫁す可し。
父の小功の末には、以て子に冠す可く、以て子を嫁すべく、以て婦を取るべし。
己小功と雖も、既に卒哭すれば、以て冠し妻を取るべし。下殤の小功は、則
ち不可なり。凡そ弁絰は、其の衰は袂を侈にす。〉
父有服,宮中子不與於樂。母有服,聲聞焉不舉樂。妻有服,不舉樂於其側。大功將至,辟琴瑟。小宝至,不絕樂。
〈父、服有あ〔ママ〕れば、宮中の
子樂に與らず。母、服あれば、聲聞ゆれば、樂を擧げず。妻、服あれば、樂を其
の側に擧げず。大功將に至らんとすれば、琴瑟を辟く。小功至れば、樂を絶
たず。〉
姑姊妹,其夫死,而夫黨無兄弟,使夫之族人主喪。妻之黨,雖親弗主。夫若無族矣,則前後家,東西家;無有,則里尹主之。或曰:主之,而附於夫之黨。
〈姑姉妹は其の夫死して、夫の黨に兄弟なければ、夫の族人をして喪に主たらし
む。妻の黨は親と雖も主たらず。夫若し族なければ、則ち前後家、東西家ある
こと無ければ則ち里尹之れに主たり。或は曰く、之れに主として夫の黨に附すと。〉
麻者不紳,執玉不麻。麻不加於采。
〈麻しては紳せず。玉を執れば麻せず。麻は采に加へず。〉
國禁哭,則止朝夕之奠。即位自因也。
〈國哭を禁ずれば則ち
止む。朝夕の奠に、位に即くことは自ら因るなり。〉
童子哭不偯,不踴,不杖,不菲,不廬。
〈童子は哭するに偯せず、
踊せず、杖つかず、菲せず、廬せず。〉
孔子曰:「伯母、叔母,疏衰,踴不絕地。姑姊妹之大功,踴絕於地。如知此者,由文矣哉!由文矣哉!」
〈孔子曰く、伯母叔母の疏衰には、踊する
地
を絶たず。姑姉妹の大功には、踊すること地を絶つ。如し此れを知る者は文を由
ふるかな、文を由ふるかな。〉
世柳之母死,相者由左。世柳死,其徒由右相。由右相,世柳之徒為之也。
〈泄柳の母死す。相者左よりす。泄柳死す、其の
徒右より相す。右より相するは、泄柳の徒之を爲せるなり。〉
天子飯九貝;諸侯七,大夫五,士三。
〈天子の飯は九貝、
諸侯は七、大夫は五、士は三。〉
士三月而葬,是月也卒哭;大夫三月而葬,五月而卒哭;諸侯五月而葬,七月而卒哭。士三虞,大夫五,諸侯七。
〈士三月にして葬る。是の月や卒哭す。大夫は
三月にして葬り、五月にして卒哭す。諸侯は五月にして葬り、七月にして卒哭
す。士は三虞、大夫は五、諸侯は七。〉
諸侯使人吊,其次含、襚、賵、臨,皆同日而畢事者也,其次如此也。
〈NDLJP:1118535/237 諸侯、人をして弔せしむ。其次は含、襚、賵、臨、皆同日にして事を畢ふる者なり、
其の次此の如し。〉
卿大夫疾,君問之無算;士一問之。君於卿大夫,比葬不食肉,比卒哭不舉樂;為士,比殯不舉樂。
〈卿大夫疾すれば、君之れを問ふこと算なし。士には壹たび之
れを問ふ。君、卿大夫に於ては、葬る比肉を食はず、卒哭する比樂を擧げ
ず。士の爲には、殯する比樂を擧げず。〉
升正柩,諸侯執綍五百人,四綍,皆銜枚,司馬執鐸,左八人,右八人,匠人執羽葆御柩。大夫之喪,其升正柩也,執引者三百人,執鐸者左右各四人,御柩以茅。
〈升せて柩を正すには、諸侯は綍を執
るもの五百人。四綍あり、皆枚を銜む。司馬、鐸を執り、左に八人、右に八人、
匠人羽葆を執りて柩を御す。大夫の喪には、其の升せて柩を正すに、引を執る者
三百人。鐸を執る者は左右各〻四人、柩を御するに茅を以てす。〉
孔子曰:「管仲鏤簋而朱紘,旅樹而反坫,山節而藻梲。賢大夫也,而難為上也。晏平仲祀其先人。豚肩不掩豆。賢大夫也,而難為下也。君子上不僭上,下不偪下。」
〈孔子曰く、管
仲鏤簋して朱紘あり、旅樹して反坫あり。節を山にして梲を藻にす、賢大夫な
り。而れども上たり難きなり。晏平仲其の先人を祀るに、豚肩豆を揜はず、賢大
夫なり。而れども下たり難きなり。君子は上、上を僭せず、下、下に偪らず。〉
婦人非三年之喪,不逾封而吊。如三年之喪,則君夫人歸。夫人其歸也以諸侯之吊禮,其待之也若待諸侯然。夫人至,入自闈門,升自側階,君在阼。其他如奔喪禮然。
〈婦人は三年の喪に非ざれば、封を踰えて弔せず。如し三年の喪には、則ち君夫人歸
る。夫人其の歸るや、諸侯の弔禮を以てす。其の之れを待つや、諸侯を待つが若
く然り。夫人至れば、闈門より入り、側階より升り、君阼に在り、其の他は喪に
奔るの禮の如く然り。〉
嫂不撫叔,叔不撫嫂。
〈嫂は叔を撫せず、叔は嫂を撫せず。〉
君子有三患:未之聞,患弗得聞也;既聞之,患弗得學也;既學之,患弗能行也。君子有五恥:居其位,無其言,君子恥之;有其言,無其行,君子恥之;既得之而又失之,君子恥之;地有餘而民不足,君子恥之;眾寡均而倍焉,君子恥之。
〈NDLJP:1118535/238 君子に三の患あり、未だ之を聞かざるときは、聞くを得ざらんことを患ふるな
り。既に之れを聞けば、學ぶを得ざらんことを患ふるなり。既に之れを學べば、
行ふ能はざらんことを患ふるなり。君子に五の恥あり。其の位に居て其の言
なきは、君子之を恥づ。其の言有りて其の行なきは、君子之れを恥づ。既に之
れを得て、又之れを失ふは、君子之れを恥づ。地餘ありて民足らざるは、君子
之れを恥づ。衆寡均しくして倍するは、君子之れを恥づ。〉
孔子曰:「凶年則乘駑馬。祀以下牲。」
〈孔子曰く、凶年には
則ち駑馬に乘り、祀るに下牲を以てす。〉
恤由之喪,哀公使孺悲之孔子學士喪禮,士喪禮於是乎書。
〈恤由の喪に、哀公孺悲をして孔子に
之きて、士の喪禮を學ばしむ。士の喪禮是に於てか書せり。〉
子貢觀於蠟。孔子曰:「賜也樂乎?」對曰:「一國之人皆若狂,賜未知其樂也!」子曰:「百日之蠟,一日之澤,非爾所知也。張而不弛,文武弗能也;弛而不張,文武弗為也。一張一弛,文武之道也。」
〈子貢蜡を觀る。孔
子曰く、賜や樂しきか。對へて曰く、一國の人皆狂するが若し、賜未だ其の樂
しきを知らざるなり。子曰く、百日の蜡、一日の澤は、爾の知る所に非ざるな
り。張りて弛べざるは、文武能くせざるなり。弛べて張らざるは、文武爲さざる
なり。一張一弛は、文武の道なり。〉
孟獻子曰:「正月日至,可以有事於上帝;七月日至,可有事於祖。」七月而禘,獻子為之也。
〈孟獻子曰く、正月日至、以て上帝に事あ
るべし。七月日至。以て以て〔ママ〕祖に事あるべし。七月にして禘するは獻子之れを爲せ
るなり。〉
夫人之不命於天子,自魯昭公始也。
〈夫人の天子に命ぜられざるは、魯の昭公より始まるなり。〉
外宗為君夫人,猶內宗也。
〈外宗、君
夫人の爲にするは、猶ほ内宗のごときなり。〉
廄焚,孔子拜鄉人為火來者。拜之,士壹,大夫再。亦相吊之道也。孔子曰:「管仲遇盜,取二人焉,上以為公臣,曰:『其所與游辟也,可人也!』管仲死,桓公使為之服。宦於大夫者之為之服也,自管仲始也,有君命焉爾也。」
〈NDLJP:1118535/239 厩焚けたり、孔子、郷人の火の爲に來りし者を拜す。之れを拜するに、士には
壹たびし、大夫には再せり。亦相弔するの道なり。孔子曰く、管仲盜に遇
ひて、二人を取る。上げて以て公の臣と爲す。曰く、其の與に遊ぶ所のもの辟な
るなり。可なる人なりと。管仲死す。桓公之が爲に服せしむ。大夫に宦たる者
の之が爲に服するはなり。管仲より始まれるなり、君命ありて爾せるなり。〉
過而舉君之諱,則起。與君之諱同,則稱字。
〈過ちて君の諱を擧ぐれば則ち起つ。君の諱と同じきときは、則ち字を稱す。〉
內亂不與焉,外患弗辟也。
〈内亂には與からず、外患には辟けず。〉
贊,大行曰圭。公九寸,侯、伯七寸,子、男五寸。博三寸,厚半寸。剡上,左右各寸半,玉也。藻三采六等。
〈贊大行に曰く、圭は公は九寸、侯伯は
七寸、子男は五寸、博さ三寸、厚さ半寸、上の左右を剡ること各〻寸半の玉なり。
藻は三采六等。〉
哀公問子羔曰:「子之食奚當?」對曰:「文公之下執事也。」
〈哀公、子羔に問うて曰く、子の食奚當る。對へて曰く、文
公の下執事なり。〉
成廟則釁之。其禮:祝、宗人、宰夫、雍人,皆爵弁純衣。雍人拭羊,宗人視之,宰夫北面於碑南,東上。雍人舉羊,升屋自中,中屋南面,刲羊,血流於前,乃降。門、夾室皆用雞。先門而後夾室。其衈皆於屋下。割雞,門當門,夾室中室。有司皆鄉室而立,門則有司當門北面。既事,宗人告事畢,乃皆退。反命於君曰:「釁某廟事畢。」反命於寢,君南鄉于門內朝服。既反命,乃退。
〈廟を成せば則ち之れに釁る。其の禮、祝、宗人、宰夫、雍人、
皆爵弁純衣す。雍人、羊を拭ふ、宗人之を祝す。宰夫碑の南に北面し、東上
す。雍人羊を擧げて屋に升る、中よりす。屋に中して南面して、羊を刲す。血
前に流る、乃ち降る。門、夾室には皆鷄を用ふ。門を先にして夾室を後にす。其
の衈は皆屋下に於てし、鷄を割くは、門は門に當り、夾室は室に中す。有司皆室
に郷うて立つ。門は則ち有司、門に當りて北面す。事を既へば、宗人事畢ると告
ぐ、乃ち皆退く。君に反命して曰く、某廟に釁り事畢ると。寢に反命す。君、門
内に南郷し。朝服す。既に反命して乃ち退く。〉
路寢成則考之而不釁。釁屋者,交神明之道也。凡宗廟之器。其名者成則釁之以豭豚。
〈路寢成れば、則ち之を考して釁
らず。屋を釁る者は、神明に交るの道なり。凡そ宗廟の器は、其の名ある者成れ
ば、則ち之れに釁るに豭豚を以てす。〉
諸侯出夫人,夫人比至於其國,以夫人之禮行;至,以夫人入。使者將命曰:「寡君不敏,不能從而事社稷宗廟,使使臣某,敢告於執事。」主人對曰:「寡君固前辭不教矣,寡君敢不敬須以俟命。」有司官陳器皿;主人有司亦官受之。
〈NDLJP:1118535/240 諸侯、夫人を出せば、夫人其の國に至る比ひ、夫人の禮を以て行く、至れば夫
人を以て入る。使者命を將うて曰く、寡君不敏、從つて社稷宗廟に事ふること
能はず。使臣某をして、敢て執事に告げしむと。主人對へて曰く、寡君固より前
に教へずと辭せり。寡君敢て敬み須ち以て命を俟たざらんや。有司官器皿を陳
ぬ。主人の有司、亦官之れを受く。〉
妻出,夫使人致之曰:「某不敏,不能從而共粢盛,使某也敢告於侍者。」主人對曰:「某之子不肖,不敢辟誅,敢不敬須以俟命。」使者退,主人拜送之。如舅在,則稱舅;舅沒,則稱兄;無兄,則稱夫。主人之辭曰:「某之子不肖。」如姑姊妹,亦皆稱之。
〈妻出さるゝとき、夫人をして之れを致さし
めて曰く、某不敏、從つて粢盛を共にする能はず、某をして敢て侍者に告げしむ
と。主人對へて曰く、某の子不肖、敢て誅を辟けず、敢て敬み須ちて以て命を
俟たざらんや。使者退く。主人拜して之れを送る。如し舅在せば、則ち舅を稱
し、舅沒すれば則ち兄を稱し、兄無ければ則ち夫を稱す。主人の辭に曰く、某
の子不肖と。姑姉妹の如きも、亦皆之れを稱す。〉
孔子曰:「吾食於少施氏而飽,少施氏食我以禮。吾祭,作而辭曰:『疏食不足祭也。』吾飧,作而辭曰:『疏食也,不敢以傷吾子。』」納幣一束:束五兩,兩五尋。
〈NDLJP:1118535/241 孔子曰く、吾少施氏に食して飽けり。少施氏我に食するに禮を以てすればな
り。吾祭れば、作ちて辭して曰く、疏食祭るに足らざるなりと。吾飱すれば、作
ちて辭して曰く、疏食なり、敢て以て吾子を傷らずと。納幣一束、束に五兩、
兩たる五尋。〉
婦見舅姑,兄弟、姑姊妹,皆立於堂下,西面北上,是見已。見諸父,各就其寢。
〈婦、舅姑に見ゆるとき、兄弟姑姉妹、皆堂下に立ちて、西面北
上す。是れ見ゆること已るなり。諸父に見ゆるには、各〻其の寢に就く。〉
女雖未許嫁,年二十而笄,禮之,婦人執其禮。燕則鬈首。
〈女
未だ許嫁せずと雖も、年二十なれば笄して、之れを禮す。婦人其の禮を執る。燕には則ち鬈首す。〉
韠:長三尺,下廣二尺,上廣一尺。會去上五寸,紕以爵韋六寸,不至下五寸。純以素,紃以五采。
〈韠は長さ三尺、下の廣さ二尺、上の廣さ一尺、會、上を去
ること五寸、紕は爵韋六寸を以てし、下に至らざること五寸、純は素を以てし、
紃は五采を以てす。〉
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| 原文:
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