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  • 金崎落城(五五三) 義貞戰死(五六〇) 勾當內侍(五六五) 畑時能(五六七) 義興義治(五七一) 義宗(五七二) 評論(五七六) 足利氏系圖(五八三) 直義の議(五八七) 尊氏歸官軍(五八七) 六波羅攻(五八八) 護良と尊氏(五九〇) 尊氏據鎌倉(五九一) 義貞と尊氏(五九一) 尊氏決志(五九三) 京師戰亂(五九四)…
    4キロバイト (3,651 語) - 2023年10月30日 (月) 03:01
  • 時、越後に来り、細川大夫晴元を頼み、牢人分にて罷在候処に、三好・松永逆意に付、上方に仕へ難く候故、謙信を頼み入り申すなり。謙信、長時・同息次郎貞慶・直義二人を客分にて、越後に逗留。天正六年三月、謙信死去に付、金津へ越え、星野味庵が処に旅宿、三年ある処に、長時の妾に、家来坂西と心を合せ、長時を殺し申す。其時、家【…
    3キロバイト (18,944 語) - 2024年3月24日 (日) 14:42
  • 蒲生・今福・花知田を過ぎて、今津の辺迄敗れぬ。佐竹義宣も、森河内より旗本を押出し、今津の近くに牀几を居ゑられけるが、既に旗本迄乱立つを、木村自身、今福の在家涯にて、敵を二騎突いて落して首を取る。後藤も二の手より入立ち、蒲生堤の右の方を廻りて、佐竹旗本を切崩さんと仕る所に、蒲生
    283バイト (27,286 語) - 2023年12月2日 (土) 18:35
  • つて和睦なり。右両上杉の由来は、足利尊氏一男竹若丸は、駿州浮島原にて、北条高時に殺され給ふ。二男直冬は、外戚腹にて、舎弟直義の養子となり、備後の鞆に差置かれ、中国の探題なり。直義と一味して、尊氏公へ逆意あつて追放せられ、義満公の治世の時、之を許され、石見国に居られ、応永七年三月卒す。其子孫、中国の…
    248バイト (20,106 語) - 2023年12月2日 (土) 18:35