浮世の有様/3/分冊1
【天保七年の年柄】天保七丙申年風水の天変ありて、世間一統騒々しき事なりし。元来去る癸巳の違作ありてより、米価下直なる時と雖も、百目以下八九十匁よりは下る事なかりしにぞ、米価の次第に高くなりて、糊口の患あらん事を恐れぬる処より、何国の人も同じき心にて、此年は外々の作物を減じて多くの麦を蒔きしといふ。されば当年に至りても、春よりして時候犬に不順にして、三月の末より雨繁くて如何あらんと思ひしに、麦は大抵に実のりしかば、精麦一石にて直段銀四十匁位にて売らんといひぬれ共、之を取合ふ商人もなき程の事なりしかば、米価も夫れにつれて、少々宛下落せる様子なりしかば、姦商・悪農等が是迄一己の利を得んとて、密に買占めて之迄隠持てる米を追々に売出せしかば、価も一と頃は余程下直になれる勢なりしに、打続き風水の変ありて、暑中帷子を著する事稀にて、其上打続いて雨降りぬる事なれば、自ら【 NDLJP:8】溝の悪穢なる物を流し、上よりしては日の旱り付く事稀なりしかば、蚊の生ずる事も少くして、終に一度も蚊帳を垂れし事なかりし程の事なりしかば、姦商時を得て米価も下落せず、四十匁に売らんといひし麦も六十匁にても手に入るゝ事難き様になりぬ。先づ当年の時候天変の有様左の如し。
正月元日・二日は天気も穏なりしが、三日に至りて風雨烈しく少し雪降る。【当年の時候天変】以後時々晴雨不定と雖も時候常の如し。二月十五日未明より雨、辰の刻より初更迄大風雨、諸国共海上大荒にて破船・人死数知れずといふ。廿日大風吹く。昨今の時候猛烈なる事厳寒より堪難し。廿二・廿三両日共江戸大火。三月十六日川崎駅に於て鍋島侯へ対し、一橋殿家来狼藉をなし御仕置となる。四月廿一日初更前、雨無くして雷鳴する事三声。【五月大洪水】五月八日より十日迄北風烈しく寒気堪へ難し。九日には尤大風雨にて洪水出づ。十九日洪水出で込水にて地形低き村々は、水家の床に至り田畠一面の水と成る。三十石船多く覆り人多く死す。淀川筋の通船十一日止、又連日の大雨にて六月七日洪水出る事一丈余、村々下地の込水未だ引かざる処へ、又大に込水を増す、引続き雨降り込水愈〻増しぬる故、上福島の寺にて早鐘を撞く。市中にても西国橋・九条の橋落ちて九条村は申すに及ばず、摂・河・泉は申すに及ばず、所々の堤切込み、同日より三十石の船止まる事十二日。米価次第に上り、十八日頃には百目余となり、廿六日頃には百二十匁位となる。当十一日の洪水は諸国共同様の事也。石州津和野にては十一日・十二日二日の間雨一滴も之なくし〔てカ〕、大雷鳴止まず。両日共鳴通しにて、十二日初更城辺の山崩れ、大水沸蕩し家を流す事四百余。人死凡六百余といふ。此節雲州も至つて洪水の由、同所にては海上を働く漁猟共三五日漁を止めて、石州より海上へ流来りし家財・雑具を拾取りしといふ。同日周防・長門も同様の洪水にて、家数百軒流亡し、人死其数知れず田畠をも多流せしといふ。され共石・防・長共山川の事にて、海に近き故水は速に引去りしが、一時は水にて家根を隠す程なる洪水なりといふ。され共前にいへる如く、何れも海に近き事なれば、田畠の損じは大抵其川筋計りなりといふ。其外安芸・備中・筑前・筑後等至つて洪水なれ共、川筋計りの損じにて何れも格別の事はなかりしといふ。何分にも三月下旬よ【 NDLJP:9】り八月に至る迄も、至つて雨繁く度々の洪水なりし故、自ら山々も崩るゝ様に成りて、国々共大小山の崩れざる所とてはなく、勝山領にても月田村といへる所の山崩れて、家三軒を押流し人死あり。備中の親見領にても同様の事あり。其外五畿七道共、多少水の災なき国とてはなかりしといふ。同月十四日松平周防守殿竹島の一件にて、当所・小豆島・芸州・播州にて十人召捕られ、家老両人切腹にて大変の事あり。【七月大水】七月朔日大風雨打続き雨降る。六日洪水・八日洪水にて、又々村々の水未だ引かざる上に水浸となり、大道の水人の腰を過ぐる程なれば、陸地を船にて往来す。十三・神崎・森口・牧方・江口・山崎・八幡・高槻辺尤甚し。如㆑此に雨繁き事なれば、盆前後の時候八月下旬の如し。十八日関東筋は申すに及ばず、奥羽・北国等迄大風雨にて大荒の由。八月三日大江橋に富家并に米屋等を打潰す由の張紙をなし、其後に至りても淀屋橋・老松町御奉行所の門抔へ、右様の張紙をなせしといふ。御奉行所よりは種々御心配にて、諸人の難渋を御救の御手当にて、御救米を下され、厳しく堂島の米問屋其外小売米屋等へ仰渡され、不正の商は申すに及ばず。聊にても米買占の者なき様に御糺之有り、酒屋等へも御触渡にて、当年は酒の仕込三分一造りに仰出され、市場へも常に役人の出張之有り、不正の商は〔〈申すに脱カ〉〕及ばず、少しにても米を過分に買ふ者あれば忽に召捕らる。如㆑此なれば聊の米たり共津留にて、他邦へ出す事を禁ぜらる。然るに是迄連日の雨天続きにて、川水終に常水に減る事もなき上に、十一日未の刻より雨頻に降出し、十三日の二更迄盆を傾くるが如く、其上同日申の刻より大風吹出で、家を倒し樹木を折り甚しき事也。明る日に至り洪水九尺余、在々の是迄水に
日本無性に 豊年順気価価六十四州【洒落文その一】
第一米の相場のぼせ引下げ、諸国の津留を緩め、人気ををさめ、上は健かにして、下下の痛をよく和らげ、借家のつかへ、家賃の滞なし。諸国買占せんきによし。
本家調納所 二百十日風雨いむ、其外さし合なし。京都一日に三升通諸国段々下る町 安井米穀
売弘所 諸色次第に下る町 餅屋万作
取次所 大方安堵寺町にて売堺筋 福吉屋喜多六
土用中夕立相添申候。
高砂小謡【洒落文その二】高米や、此浦くれば豊年や、麦諸共に出し穂の、民のあはれはしばらくや、おゝおゝなる程出来過ぎて、はや杉形につきにけり〳〵。
天保八酉年大小【天保八酉年大小】大極正米ハ五斗ニ三十匁七分、 小九二付六十一匁四分、
十二月十日頃の事なりしが、盗賊方の与力大勢を引連れて、難波橋を通りしに、【盗賊方与方斬らる】四五人刀を抜連れて斬て懸かるにぞ、大に狼狽し、「我は町廻りの役人なり、
京都にては十二月初、両奉行より米三升・烏目三百文宛貧人共へ施行ある。亀山に【 NDLJP:16】ては度々救米出る。家中も夫々に上げ米をなして、之も救に出でしといふ。【京都亀山の救䘏】領分の中にても不作なる所は、千石の村にて漸〻米七石取れし所などありといふ。斯かる有様なれば、草根・木皮、実はいふに及ばず、糠・藁の類迄食物とす。され共救ひかなりに行届き、家中への扶持米は六年米を渡さるといへり。全く奥平与三左衛門が功といふべし。
播州室津 者に出会せし故、【播州の年柄】同国の様子を尋ねしに、姫路領は八分の作にて水損の患もなく、米は百二十匁の相場にて年貢上納し、領中難渋の者共へは百三十五匁にて、来る酉三月晦日納にて下げ米ありしといふ。又城下にて紅屋何某とやらんいへる者は、米一升百文宛にて貧人へ売遣すといふ。明石領は三万石の田地水損にて、大小難渋の事なりといふ。龍野侯には銀札にて領中の麦を悉く買上げて、直に銀札を潰せしといふ、不仁甚しといふべし。後に至り一統に歎出し、一揆も起れる勢なりしかば、一匁札を一分宛渡す様になりしといふ。【勝山侯年貢を免ず】又同人が咄に作州勝山は御小身なれ共至て賢君にて、当年は凶作に付き下方一統難渋の事なれば、一統に年貢上納するに及ばずと仰出されしかば、領中一統有難く恐入り、冥加の為なればせめて三歩通りは上納すべしと申出しといふ。斯かる時節なれ共如此明君もありとて感心して咄しぬ。
南部・白河等は大坂にて米を買込み、当月の初船にて積出せしに、忽に引戻し仰付けられしかば、是非に及ばず其米を又売払ひしといふ。又米買込みの者其追々に召捕られ、関所・追放等数多なる由、斯様の響にや、世間一統金詰りの故にや、廿二日仕舞相場迄には少々宛下落し、肥後一石百五十三匁五分、長門米一石百四十四匁位となる。四年前の米高直なる時には角力・戯場等大はずみにて、其外物見・遊山等に浮かれぬる者共も至て多かりしに、当年は左様なる事に浮かれ歩行者とても、至て稀なる事にて、【追懐談にふける】只打寄りさへする時は、何れも米価は申すに及ばず、総ての物の高直なると、変死・行倒・盗賊・追剥等の噂のみにして、大に陰気なる事共なり。其中にても可笑しきは、或屋敷の留守居五六人の家来を引連れ、夜中玉江橋を通懸り、追剥に出会ひ丸裸にせられ、衣類・大小・懐中物に至る迄悉く奪取られしといふ可笑事なり。【 NDLJP:17】町家の男女・医師の類剥取らるゝ事是にて思ひ遣るべし。肥後にては白米一升七十五文にて、米国中に充満すといふ。【九州中国筋豊年】総て九州・中国筋何国も多くの米を貯へ乍ら、何れも津留にて米を他国へ出す事なしといふ。され共右の如くに沢山なる米なれば、何れに売払はぬ事のあるべき。来年に至り三月の末より四五月の頃には、必定仰山なる米を大坂目当に積登せぬる事ならんと思はる。然るに如此に多くの米を占囲ひぬるは、諸人の咽占をなして一己の利を得んと思へるもあるべし。又来年の作物を案じて用意するもあるべし。又近年至て騒々しく、所々に一揆等の起れる事あるを見聞て、不意に備へんとて囲ひぬるもあるべし。され共何分にも沢山にある米の様子なれば、来年は必ず諸人安心するに至るべしと思ひ侍る。伊予は銅山の辺は白米一升六十文、其余少々違あれ共、国中大抵百文位といふ。土佐・讚岐・阿波等も米至て沢山にして、価も高からずといふ。【凶年は関東筋のみなり】実に難渋なるは関東筋より甲信の辺なりといふ。奥羽も凶作といへる中にも大に甲乙ありて、国中悉く飢餓すといふにはあらず。北国迚も同様の事なる由。
昨年のしまひ相場越年米の書付を見しに、【米価下落】凡百二十万俵なりしに、当年は漸、五十万俵に足らず。され共斯かる騒々しき年柄なれば、中人以上は何れも来年の飯米を、手当せぬ物はあるまじく覚ゆれば、諸蔵屋敷にある所の越年米少しとて、来年五月迄の喰ひ続け出来ぬ事はあるまじく思はる。諸国より夫迄には、囲米の虫喰に至らぬ先に売払はんとて、追々に米を積登せる様になりて、米穀思ひの外に沢山にあるべき事に思はるれば、さのみ恐れぬる事もあらず。只よく〳〵心を責め身を慎み行を顧みて、倹約を守れる事専らにすべし。さある時自ら天地の冥慮に叶ひて、飢餓の患を免るゝに至るべし。斯様なる年に当りて、相応なる禄を有てる身にして、飢に苦しみ又下々の患を救助する事能ざるは、全く平常に敖に長じ、分に過ぎたる行ひに金銭を費し、聊の米穀をも貯る事克はずして、大に恥を曝すに至るべし。【銭相場の下落】少しく心あらば恥思ふべき事なり。十二月下旬銭相場近来下直に付、下方の者共困窮に及び候に付、両替其外豪商共に銭買入申すべき由仰付けられしかば、直に相場上りて、廿八九日頃には銭百文と銀一匁と同様になる。然るに米穀其外の【 NDLJP:18】売物銭商ひ致候者共、諸色の附札を改めずして、下地の通りなる故、附札を相減じ候様御沙汰之ある。【寒気強し】当冬は近年に覚えぬ程の寒気にて、寒に入り候ては益〻烈しく、雪も折々降りて麦の芽さへも至て宜しく、其上前にもいへる如く桃畠・菜種畠等迄悉く麦を蒔きし事なれば、来年は定て豊なる事ならんと、之を頼に諸人思へるのみなり。当年万物の価高き事は前にも略いひぬれ共、尚聞きし儘再び爰に記置く者なり。
米一升大坂にては百八十五匁位、江戸にては二匁五分位、京都にては下米二匁一分・上二匁五分位、甲州にては四百文、奥州南部辺同断。 糠一升三十二文 大根一本大坂にては大六十四文、至て小なる処にて十五文位、近江にては百文 米洗汁一升北近江にては十六文の由 樫実一升但馬奥・丹波辺にては八十文位
綿は至て高価なりしが銘々食物に困窮し、夜具・衣類等を売払ふのみにて、買人は稀なる土、江戸大手支にて、大坂より積下せし綿を大方は積返しぬる故、後には余程下落する様になりぬ。紙類〈常よりは三割も高し〉其外万物安き物なし。只安き物とては端端の古家と古道具類なり。され共之を買ふ人なし。至て物淋しき事共なり。
大坂近在の者用事之有り、【若州飢饉の有様】若州小浜に到り、宿をとらんと思へ共、何れの宿屋にても断りて泊むる事なきにぞ、大に困り果てしが、漸〻と或宿屋にて「泊むる事は安けれ共、何も食物とてはなし。只泊る計りにても苦しからずば、兎も角もし給へ」といへるにぞ、大に力を得て漸、安心するに至る。斯かる時節なれば元より米の用意してありし故、一升計り取出し之をたきてよとて渡せしかば、男女打寄り米を久振りにて見しといひしとぞ〈若狭は別けて飢饉にて麦米の糠海草等にて漸〻命を繋ぐといふ〉飯も出来しかば、家内にも分与へぬ。此家に七歳の女子と三歳の男子あれ共、食はす物なければ二階なる長持へ二人共打込み、外より締めて死次第になしてある由を聞きしかば、余り不便の事なれば、「我は食せず共苦しからざれば、此所へ連来り、我が食物を与へよ」といひしか共、夫婦の者諾はず。今御蔭にて一飯を与ふる共、此後与ふべき者なし。故に今連出し哀れなる姿を見るも物憂き事にあればとて、固く辞しぬるにぞ、「然らば我に其子供を得さすべし。連帰りなん」といひしかば、夫婦大に悦び、直に二階なる長持の蓋を開きしに、二人の子供きやつと一声叫びて飛上りしが、三歳の男子は其儘に死す。姉【 NDLJP:19】の方は息も絶々なりしに、薬を与へ湯を飲ませ抔して、漸〻に救助けて之を貰受けて連帰りしといふ。
斯かる年を飢ゑず凍えず暮しぬるは実に有難き幸とこそ思へ
あめつちのめぐみに漏れし飢ゑ人は常の備の悪しきとぞ知れ
ンツ相通テツホウトヨムベシ天保の飢饉もはげしきふたつ玉を己申す人へと記し置きぬる 下略ニテキトヨムベシ
一、【大坂を永く商業の中心地たらしめんとす】当表の儀は国々取引の大都会にて、諸色の元立て、金銀融通は勿論繁栄の儀、無双の土地にて之有り、御府内入用の諸色も多分当表より積廻し、銘々安堵の致㆓渡世㆒候段、御国恩難㆑有可㆑奉㆑存候にて候。元来国々より相廻り候諸色引受・仕切等の取扱、差滞りの儀無㆑之、手広に売捌相成候故、荷主・船頭其気受宜く可㆑有㆑之候。畢竟国々より諸色相廻り候に付、商売向及㆓繁多㆒、金銀融通も宜しき儀に有㆑之処、当表へは是非共相廻し可㆑申儀にて、見込荷主の渡方に勝手の儘に取計候やにて、荷主・船頭の気受を損じ候に付、近来は兵庫・堺・貝塚等へ相廻し致㆑商、内々向も有㆑之哉、右箇所繁昌に及び候由、相聞く者沢山に無㆑之候にては、其土地衰微に及び商売人共を始、金銀融通向も行詰り、手狭の筋に成行不㆓容易㆒事に候、大都の当表を除き、脇外へ諸色持込候姿にては、外聞・実儀欲々浦〔山敷カ〕事に無㆑之や、外々へ相廻り来候品をも、当地へ持込候様仕成候こそ、土地の繁栄銘々の家業永続の心掛て候筋在㆑之候間、一分の利欲のみ不㆑抱、兎角に荷主:船頭の気向に不㆑障様平準の取引如何にも深切を一言可㆑申事に候。尤取引先により、前貸銀・不勘定又は不束の仕方有㆑之者迄も同様可㆓取扱而申聞㆒之儀とは毛頭無㆑之候。夫は別段の儀無㆓遠慮㆒相当の応対可㆑致候。物沢山候へば土地及㆓繁栄㆒、自ら銘々商売向も手広く相成、国々荷主共も弁㆓利宜㆒双方安堵之渡世可㆑致事に候。国々より諸色不㆓持込㆒候ては商売難㆓出来㆒を心得、致㆓取引㆒候へば、於㆓荷主㆒も当表の仕成を致㆓会得㆒、我一に取引向相進候道理にて、双方合体の処より諸色も沢山に相成り、高直の品も下直に推移候はゞ、諸民の助にも弥〻取引及繁多、土地の賑ひ無㆓此上㆒事に候。銘々心得も可㆑有㆑之候得共、中には心得違一分利徳に掛り、相当の直段より下直に買落候ては、遥々海上積登り候品故乍㆓迷惑㆒任㆓其意㆒候向向も有㆑之候へば、再度積登り候節は、直合に寄り脇外へ持込候様覚悟致し候やに【 NDLJP:20】相聞。さ候ては土地の景気にも関り候事に付、前条の意味厚く相弁、可㆑成丈け取引先を大切に心得、他国へ廻り候品も、当表へ持込候人気に帰伏致候様の懸引専要の事に候。然る上は土地弥〻増〻及㆓繁栄㆒銘々渡世も永続可㆑致候条、右之趣国々取引の商売人共、猶更の儀一向相心得、誠実の懸引可㆑致事に候。
一、【造船業の発展をさとす】廻船安くば川船等所々より註文を受け、当地に於て造立て候節、代銀の外筒建又は船卸抔と唱へ、誂主より祝儀銀貰受来り候由、然る処近来右祝儀銀相増し、別て遠国より註文の節は、誂主を田舎者と侮り、貪りがましき儀有㆑之候得共、一旦誂へ候儀違変も難㆑成、乍㆓迷惑㆒出銀致し候由にて、国々気受不㆑宜、他所に及㆓註文㆒候者追追有㆑之やに相聞候、是等の儀は船大工共を始め、其筋に携候者共心得も可㆑有之事に候。註文多引受候へば、船手の賑敷則土地の景気も宜きに候処、当座の利徳に関り、祝儀銀等多分に乞受候様にては、自ら註文少に相成り、渡世難㆓出来㆒様成行可㆑申候。成丈は入用向相減、註文多く引受候様仕成候。銘々渡世を相励に可㆑有㆑之候。兎角誂主の気受に不㆑障様心掛け候はゞ、註文相進み渡世及㆓繁華㆒、地の賑にも相成候事に候条、此旨船作事に携り候商人共篤と相心得、他所には造立候分も、当表へ引受候様懸引可㆑致事に候。
一、当表豪家之附人共は勿論、身元相応相商候者共、諸家へ立入り、依㆓頼蔵元㆒又は産物売支配等引請、用途をも相弁候儀は尤も其通りの事に候。金銀融通も宜く、双方便利の筋に有㆑之候。其家々を見込、年来多分の出金致候に付ても、勘定向万端一和の所引にて、数年相続仕来候儀に可㆑有㆑之候。然るに諸家の勝手により改法の趣を、数年来引受居候蔵元売支配等相断、外立入の者へ申付候儀、近来間々有㆑之、断受候町人共は年来の渡世に離候同前にて、出金の分は急度応□及び品により、出訴も可㆑致候得共、先柄の儀に付、乍㆓案外㆒其儘打過候やの取沙汰も有㆑之候。其者厘浦□し断受候程の不束の儀に候へば、無㆓是非㆒儀に候得共、さも無㆑之被㆓差除㆒出銀等の勘定向も延々相成候ては、不義理至極に候処、其辺不㆑及㆓勘弁㆒蔵元売支配等引請候を、手柄の様心得候向も有㆑之間敷事に候。尤も諸家風にもより候とは乍㆑申、町人共出銀の勘定向を始、蔵元売支配等迄も、無㆑故相断、余人へ申付候儀の無㆑之儀に候得共、【 NDLJP:21】若右様の儀有㆑之候ては、其町人共難㆓立行㆒豪家者共とても、手を縮候様成行、却て諸家の融通合 土地の景気にも抱り不㆓容易㆒事に候。諸家立入用向等承候者無㆑之候ては、双方共差支へ手狭の筋に付、夫を彼此可㆓申聞㆒候訳には更無㆑之候。蔵元売支配引受候儀は、前々引受人の成行により、勘弁可㆑致事に候、只改法などと申迄にて、不束の儀も無㆑之に、右引受来候儀を□酌放出し金の勘定不㆑致、応対等も及㆓迷惑㆒候儀を聞捨に致し、引受候ては他の者を奪取候に相当り、薄情不直の筋共可㆑申候。縦令其屋敷より申付候共、相来の儀斟酌筋勘弁可㆑致儀、実情に可㆑有㆑之候。右等の無㆓貪者㆒引受候様にては、俗に申す同士打ち我ものへらし候に可㆑有㆑之、又先操迷惑筋に可㆑陥も難㆑計、風儀にも差障候事に候。当表は繁華の地にて、御用途に相勤候儀に候処、諸家仕向の模様により、前々御用相勤候旧家の町人共、退転に至り候ては、実に土地の瑕瑾にも、相成候儀に右の趣申聞置候、銘々渡世を励候者素よりの事には候得共、人々難儀も存重候こそ、人情の道に叶ひ自然と渡世向永続可㆑致事に候条、能々相弁可㆑申事に候。
右箇条の趣触渡抔と申すには無㆑之、自分初入以来土地の様子及㆓見聞㆒候に就ては、何卒弥増に繁昌為㆑致度存候より、心付候趣を申聞候事に候間、第一は土地の賑ひ銘銘渡世向永続の為と致㆓会得㆒、聊心得違無㆑之様申諭置度事。未十二月
右御書取は、駿河守様厚き思召を以、被㆓仰出㆒候間、各〻より町人・借屋人に被㆑致㆓面会㆒、篤と可㆓皆々諭㆒候。当人幼稚にて親類・手代等家業致㆓取計㆒候向は、其親族・手代をも為㆑致㆓同道㆒、委可㆑被㆓申聞㆒候。
此御書取会所表へ張候訳にては無㆑之候事。
旧臘廿三日井伊掃部守殿御事、御大老職被㆓仰付㆒候旨、従㆓江戸㆒被㆓仰下㆒候条、此旨三里町中可㆓触知㆒申也。
讚岐
駿河 北組 総年寄へ
天保七年雑記 口達【 NDLJP:22】当夏以来雨繁く、【米価騰貴を制裁せんとす】不順の季候を見越し、作方を危ぶみ候人気より、堂島米相場直段追々引上げ候趣に相聞え候得共、未だ何れをか夭作と申す見極も之無き処、浮説を取留めざるのみに乗じ、景気抔と唱へ、買ひはやらせ候気配に推移り候ては、如何の事に候に付、米仲買共厚く申合せ、誠実を尽し此上平準の相場相立て、諸民安心致し候様可㆑致候。其外等の儀今般其筋の者へ申し諭し候儀にて、右に付き市中搗米屋共売出候小売米直段の儀、元付の割合も之ある儀とは申し乍ら、小売米高直にては、小前の者共難渋の儀に付、其次第を顧み、一分の利欲に
口達
吹直通用の金・銀引替の儀、追々御触有之。【古文字金引替の命令】古文字金銀通用停止をも被㆓仰出㆒候得共、引替残有㆑之趣相聞え、別けて古文字金引替方不㆓摂取㆒、尤残少に相成候儀には候得共、土地柄に付、古文字金入込も不㆑少可㆑有㆑之候。商売体に寄り見手本に残置候はゞ、纔の儀に可㆑有㆑之、通用停止の品余計に貯候は不益の事に候間、聊にても廻合に所持致候ては、早々引替所へ差出し、通用金と替引可㆑申候。別て両替店は勿論他国取引の者は、古文字金入込可㆑申儀に付、廻り次第多少に不㆑限替引可㆑申候。万一貯置候儀にては、心得違の至に候条、一町限年寄・町役人の者世話致し、格別に取調べ聊かにても引替所へ差出し、通用金と引替可㆑申候。右の通り訳て申聞候間、取引先へ申込み、古文字金有㆑之候はゞ、取寄せ引替候様可㆑致候。
右の通三郷町中不㆑洩様可㆓申聞㆒事。 申八月廿一日
此度触渡候通、【造酒に付いての触出】去る巳年以前迄造来り候酒造米高の三分二相減、三分一造立候酒米の儀、米仲買・米屋等より買入候砌、売主名前并米高共、其度毎、月両奉行所へ可㆓断出㆒候、尤も売渡候者も、右米高并買方名前可㆓断出㆒候。
一、酒造屋共当年の酒造仕入取懸り、并仕込共可㆓断出㆒候。尤も見分の役人不時にも可㆓差遣㆒候。過米は勿論如何の事等有㆑之候はゞ、本人は勿論所の者迄急度可㆑有㆓【 NDLJP:23】沙汰㆒候。
一、酒造人の内、勝手に依つて、当年相休候者は、其段可㆓断出㆒候。
一、酒造人の内、外に買受候酒有㆑之候はゞ、其段員数売り候者、買ひ候者より可㆓断出㆒候。
一、酒造道具売渡候か貸渡候はゞ、可㆓断出㆒候。尤も買候者并借り受候者よりも、可㆓断出㆒候。
右之通不㆑洩様可㆓相達㆒候事 申八月廿六日
口達
先月以来米価高直に候得共、【囲米売払に付いての御触】追々新穀沢山に可㆓相成㆒候間、兼て申付候通り、町々又は町人共囲米の儀買替に不㆑致、此節可㆓売払㆒役所へ断候不㆑及、尤他所へ直売致す間敷候。
右之通三郷町中不㆑洩様可㆓申聞㆒候事 申八月廿六日
演舌書
演舌書
当夏以来米価高直の年柄に見競候へば、市中穏にて、其上去臘以来火事沙汰も無㆑之、全三郷総年寄は勿論町役人共、厚く世話致候故、町人・借屋人共申合、宜しき故の儀と一段事に候条、此上火の元入㆑念、諸事穏に行届候様末々迄此旨可㆓申聞㆒候事。
右之通被㆓仰出㆒候間、此段承知可㆑有㆑之候。右様御演舌も有㆑之儀、此上猶火之元無㆓油断㆒入㆑念候様可㆑被㆓申付㆒候以上。
申九月三日 北組 総年寄
口達
通用銭の内銭に似寄候紛敷銭
右之通三郷町中不㆑洩様申聞可㆑置候事。 申九月五日
【夜番の注意】追々夜も長く相成候間、町々の内には夜を残引取候番人も有㆑之哉、右様の儀有㆑之候はゞ不㆑宜間、夜明迄番致候様精々可㆓申付㆒、猶又心を付け、等閑に無㆑之様可㆓申付㆒候事。申九月五日
今度内府様御歳も被㆑為㆑重候に付て、【前将軍西の丸へ隠居】御政務被㆑遊㆓御譲㆒、御本丸へ来西年四月可㆑被㆑為㆑移候。公方様被㆑遊㆓御隠居㆒、西の丸へ可㆑被㆑成㆓御移㆒候段、去四日被㆓仰出㆒候旨、従㆓江戸㆒被㆓仰下㆒恐悦の事に候。此旨三郷町中可㆓相触㆒者也。 申九月十四日
去四日松平伯耆守殿御事、【太田備中守連判仰付けらる】御移替に付き西の丸へ被㆓召遣㆒、太田備後守殿御事御懇の以㆓上意㆒、連判の列被㆓仰付㆒、大納言様へ被㆑為㆑附候旨、被㆓仰下㆒候条、此旨三郷町中可㆓触知㆒者也。
申九月十四日 山城駿河 北組 総年寄へ
口達
米価高直に付、末々者可㆑及㆓難渋㆒候に付、総年寄共取扱候三郷囲籾の内売払、白米に仕立、【米価高直に付き細民救済の術をなす】米屋共より下直に可㆓売渡㆒旨掛り総年寄共より申立、追々売捌申の処、猶又此度川崎御蔵囲籾の内をも白米に仕上げ、成丈け下直に為㆓売出㆒候様其筋の者へ申付候間、身軽の者は最寄米屋にて右米買受可㆓取続㆒候。尤も買受候節かさつの振舞致間敷候、其内新穀も沢山可㆓相成㆒候条、此旨三郷町中末々の者へ不㆑洩様可㆓申聞置㆒候事。九月十七日
今日御口達書を以被㆓仰出㆒候、【下直にて白米を頒布す】川崎御社倉囲米最寄米屋へ相渡、白米に致し下直に売渡候に付、右籾摺米買受度者へ、軒別に手印札一枚宛相渡候。尤も難渋の者相選み一町限手印札何枚入用の儀、明後十九日五つ時、年寄印形の分町代可㆑有㆓持参㆒候。
但本文手印札入用無㆑之町、其段も同時相断可㆑被㆑申候。以上半紙二つ折に認可㆑被㆓差出㆒候
申九月十七日酉中刻 北組 総年寄
口達
【 NDLJP:25】【酒価の暴騰を停止せしむ】酒造の儀追て及㆓沙汰㆒迄、造高の内三歩に相減、三分一酒造可㆑致旨相触候処、此頃酒直段格別高直に売出候趣相聞、俄に直段高直可㆓相成㆒謂無㆑之、不埒の至りに候間、右体の儀無㆑之正道の直段を以、売買可㆑致、若不㆑相㆓用㆒之者有㆑之ば、急度可㆑及㆓沙汰㆒候。
右之通三郷町中不㆑洩様可㆓申聞置㆒候事。 申九月十七日
川崎御蔵より籾摺米御売払に相成候分、【川崎御蔵の籾摺米を売払ふ】札相渡置、追々米相渡候、右之分代料不㆑及㆓御救に㆒被㆑下候間、掛り町々より承調受取候代銭夫々差返し可㆑被㆑置候。
一、右に付米方にて摺立運送并米屋にて搗賃等は、銀子にて御下げ相成候事。【米搗賃銀子にて払ふ】
一、将碁島囲籾の分摺立、囲米掛より先達て申売払候分は、【札にて囲米を売る】其通右此度札相渡候後より、代料に不㆑及。是伺の上川崎御蔵籾摺御救と同様救に相成候事。
一、札数夫々町々より書出候。【札数を町町より書出す】難渋人の高に応じ差遣有㆑之候得共、右高を以て於㆓町々㆒致㆓差略㆒、右書出候者に類し候者も有㆑之候はゞ、致㆓融通㆒候か、又は書出候者に限、其町々年寄心得次第宜方に致㆓勘弁㆒、少も末々安じ候様の取計肝要に候事。
一、此後川崎御蔵より御出の節、籾の儘にて、掛り町々へ御渡に相成候ては、籾摺不案内の儀に付、【園米を白米にして渡す】是迄の通米方年行事へ御渡し相成、積方罷出世話致し、御場所致㆓拝借㆒摺立、掛り町々罷出、米方より受取り夫々町々へ致㆓配分㆒、白米に致候儀手廻の上致㆓勘弁㆒、町々にて直に相渡遣可㆑申候。米屋にて為㆑搗候ては、売米と相紛可㆑及㆓混雑㆒候間、右心得方申合可㆓取計㆒候。尤諸雑費は被㆑下候事。
一、囲米掛りより出し候分は、【園米の遺され方】追々摺立に相成居候間、追て蔵出致候はゞ、一同に掛り町へ相渡。是又川崎御蔵と同様の振合に伺相済候間、掛り町々へ相渡次第肝煮町為㆓立会㆒取計可㆑被㆑申。尤米方年行司取扱、川崎御蔵と同様振合に候事、右此度御口達書を以仰出候に付、仕方相達候。御救被㆑下候儀、末々難㆑有奉㆑存候様此間限を相分置候、町々篤と被㆓相達㆒、米受取方其外割渡等迄の手筈取計置可㆑被㆑申事。
一、此間籾摺米世話掛り申付置候得共、尚又此度申上げ御救米掛り申付候間行届候様篤と被㆓申合㆒可㆑被㆓相勤㆒候事。
米価高直に付、【米穀救与に付いての注意】先達て町々難渋人相調候様申達候処追々に書出候に付、其分へは御救米被㆑下、右調候難渋人の内、実に極難の者名前・人別相調べ、子供の分は年脇書致【 NDLJP:26】し、年寄印形にて明後朝より五つ時総会所へ町代可㆑有㆓持参㆒候。右は極難の者へ施行致度段、申㆑之鳥目差出候向も有㆑之に付、相調候儀にて、先日相調べ難渋人に関り候儀には無㆑之候間、別段に相調可㆑被㆑申候。尤も鳥目相渡候節は、不㆓極難㆒の者本人呼出相渡候儀も可㆑有㆑之候間、其心得を以て取調可㆑被㆑申候。
但極難の者無㆑之町は、其旨年寄印形同時町代持参の事。本文の通有無とも半紙二一折に相認可㆓差出㆒候。
申九月廿九日期未中刻 北組 総年寄
口達
一、此節米高直にて、【不正の商売をなす者を誡む】下賤者難渋及候時節の処、米穀小売の者共別て心を用ひ、正路の商売可㆑致処、聊の利欲に関り、心得違の者共有㆑之哉不埒の至候。此夜高津五右衛門町の者、雑穀売方不正路の由にて及㆓争論㆒候より、多人数寄集騒動致させ、居宅損所も出来候段一同不届の事候、早速夫々召捕へ追々及㆓吟味㆒候条、右体不正路の商ひ不㆑致、買手の者疑念無㆑之様心を用可㆑申候。以後人集致し候儀は勿論、右等の場所見物にも罷越間敷候。組の者日夜為㆓見廻㆒候に付、自然寄集候風聞等も有㆑之候はゞ、早速可㆓召捕㆒候間、其段町々家持・借屋の者は勿論、召仕・下人・小者等迄も大体の儀無㆑之様、銘々家主又は主人より篤と可㆓申付置㆒候。右之趣町々末々迄不㆑洩様、急度相守候様早々可㆓申聞㆒候。
申九月廿五日 名代
諸家蔵屋敷 蔵元
用達
米売支配
諸家廻米、文化の夏三箇年平均高に不㆑抱、増廻米の儀并諸国に穀留等不㆑致㆓融通㆒、宜様可㆓取計㆒旨、追々被㆓仰出㆒候に付、当表廻米多分有㆑之、新穀の時節旁々俵数の蔵払に可㆓相成㆒候。米価高直にて諸民及㆓難渋㆒候折柄、万一売控・津留等有㆑之候ては、人気にも差障り不㆑穏場合に付、成丈け俵数増払蔵米有㆑之様取扱専要の事に候。物沢山相成候はゞ、人気相寛ぎ諸民安堵可㆑致候。売控決して有㆑之間敷候得共、時節柄の儀に付、米価下落に及び候はゞ、却て融通・人気にも響き可㆑申間、払米例よりも及㆓多分㆒候積、諸詰役人可㆓申訳㆒候。 申九月廿七日
【 NDLJP:27】 右は東御奉行跡部山城守於㆓御前㆒被㆓仰渡㆒候旨、御演舌写の事。諸国酒造の儀、【酒造者に悟す】去る巳年以前の造来高の内三分二相減、三分一酒造可㆑致旨被㆓仰出㆒。右に付取締方の儀、当八月触渡置候通、厳重相守可㆑申儀は勿論の事有㆑之候。然る処酒造屋共儀元米の外懸り米と唱、酒造仕込仕舞迄の内、右元米より追々差控候米の分をも、一時に手当致し置に付ては、土地の融通をも不㆑顧、手強くにせり買致し、自然と米直段引上げ候仕儀の至り、剰へ其後米直段の様子より、右手当米を酒造の方へは不㆓相用㆒、高直に他所売致し利徳を貪、替米の儀は前同様手強に買置候族、近来不㆑少由相聞候。酒造一通りにても相懸之徳用有㆑之処、米直段高下関り、不実の仕方を以、二重の徳用を貪取候族不埒有㆑之事に候条、以来左様の儀決て致間敷候。此節米価高直にて諸人難渋致居候次第をも弁へ、此後元米は格別懸米の儀は、一時に買取先繰入用の度毎に、夫程づつ買入可㆑申候、追々酒造米買入候時節に到候儀に付、厚く勘弁致し、米直段に不㆑障様懸引せしむべき事。
一、摂州灘目此外浦手最寄の村に於て、猥に問屋同前の及㆓所業㆒、大坂并に摂州・泉州堺其外兼て諸品受払仕来りの場所へ入津致、米品を手を廻し引寄、又は出買致し、不正の取組を以、他所売心掛け候族も有㆑之由相聞、是又不埒の事に候条、右体我儘の取計及㆓増長㆒候ては、諸品直段に障、此上諸人難渋の一基に有㆑之候間堅く相慎み、以来諸品せり取候儀は勿論、出買等致間敷候。
右の趣無㆓違失㆒相守可㆑申候。自然此後利欲に迷ひ、不埒の致㆓取計㆒候族相聞え候はゞ急度可及沙汰候。
申十月 山城 北組 総年寄
古金銀真字二歩割、【古金銀銭引替所を置く】古二朱銀・一朱金等引替所の儀、当申十月迄被㆓差置㆒候段、去る未年相触候処、今以引替残有㆑之、一朱金は猶更残高多く候間、引替所の儀猶又来る酉十月迄是迄の通り被㆓差置㆒候。
一、一朱金儀も頓て通用停止可㆑被㆓仰付㆒候間、此節精出引替可㆑申、并古金銀真字二歩判・古二朱銀等は通用停止の品に付、貯置候儀は無㆑之筈の事に候間、早々最寄替所へ差出、来十月を限、急度引替可㆑申間、遠国末々の者迄、相心得候様国々・在々、御【 NDLJP:28】料は御代官・私領は領主・地頭より入㆑念可㆑被㆓申付㆒候。右の趣可㆑被㆓相触㆒候。十月
右之通従㆓江戸㆒被㆓仰付㆒候条、此旨三郷町中可㆑触者なり
申十一月 山城 北組 総年寄
昨日被㆓仰出㆒候通用銭似寄并仙台銭一町限取調、前月の員数翌月六日年寄印形にて、案紙の通郷々総会所へ町代可㆑有㆓持参㆒候。廻合ひ無㆑之分も其段可㆓相断㆒候。
右之通以来篤と相調、来る十月より毎月断出可㆑申候。尤も是迄町人手元廻合ひ有㆑之候はゞ、当月十六日有無共書付振合を以可㆑被㆓断出㆒候。
右之通相心得取計ひ可㆑被㆑申候以上。 申九月六日
覚
【似寄銭仙台銭取替願の書式】一、通用銭似寄 何貫何百何十文 一、仙台銭 何貫何百何十文
右之通先月中廻合ひ町内会所に差置御座候、御指図次第差出可㆑申候。依㆑之御断申上候以上
何月何日 何町年寄印
総年寄中右半紙二つ折認候事
口達
都て組与力同心出役先にて支度は勿論、【遣物をする事を禁ず】酒肴・菓子其外金銭何に不㆑寄、聊たり共差出し申間敷、若下々の者共心得違貪がましく申懸候はゞ、可㆓訴出㆒旨天明七未年十二月・寛政元西年七月町入用取締箇条の内書加へ相触、猶又右出役召連候雨具持人足共草鞋銭と唱へ、会釈銀銭差出候儀致間敷き旨、文政二卯年十二月総年寄共より口達を以て為㆓触置㆒候趣等、摂・河・播村々同様相触候。就ては右三箇国に支配所・領分知行所有㆑之、諸家の用達共儀、組の者召連候家来、雨具持等に至迄出役先にて、謝礼の金銀差出候事の様心得違、村方により入用向を用達共相任候に付、右の内には利欲に抱り役筋の謝礼、其外多分の入用有㆑之趣取拵、金銀掠取候儀の風聞有㆑之、不届至極の事に候。以来の儀相聞候か、出役先にて聊たり共会釈の品差出候者、組の者より申聞候様、厳しく申渡置候間、其節に至り不㆑致㆓後悔㆒様急度可㆓相心得㆒候。若如何の筋相聞候者、当人は勿論所の者迄も可㆑為㆓越度㆒旨、文政五午年相触置候処、年月【 NDLJP:29】相立ち、其上此頃米直段引上げ、諸色高直にて難渋の者共可㆑有㆑之時節柄にて、村方入用等格別心を用、減少の取計居候儀に付、旁〻猶又此度摂・河・播三箇国触知候事に候間、前々の通弥〻以厳重可㆓相守㆒候。若如何の筋相聞候はゞ、吟味の上急度可㆑令㆓沙汰㆒候条、諸家用達町役人共は猶更の儀、末々の者共迄も不㆑洩様申聞可㆑置事。
申九月廿一日
演舌
公役銀并町入用銀の儀、近年追々相増候町分も有㆑之候由相聞、去る文化三寅年・同卯年・同辰年・文政元寅年・同卯年・同辰年、右の年に入用高一軒役に何程宛相減ずる哉、一箇年分限書記、町人共連印にて可㆓差出㆒候。尤も文政六未年三郷町々、年中諸入用取締被㆓申付㆒候儀に付、当時の入用高相減可㆑有㆑之候処、其後臨時入用高嵩又は町町により、自然取締追々猥に相成、新年寄抔と心配当惑にも可㆑及向も有㆑之候哉、右様の町人共申合勘弁致し、無益の失脚無㆑之様向後成丈け致㆓減少㆒、来る酉年入用の向翌戌年書出可㆑申候。但文化夏の頃より見競年寄共心を用、減少の分も可㆑有㆑之候。右等は一段の事に候間、其分も委細書出可㆑申候。
一、他町持借家多分有㆑之家守多、町々抔と取締も不行届の由、右等は別て年寄共無㆓油断㆒、外町見競厳重取締可㆓申合㆒候。
一、町代下役の者より取集候借家人出銭、入用向も是又厳重取㆓調集高㆒、来る酉年分翌戌年書出可㆑申候。
一、玉造町々の儀は、【玉造町々公役銀のこと】古町にて公役銀等外町々と見競候へば、行届間敷哉、年来衰微の町柄にて、町人共困窮罷在候由相聞え、公役銀減少候か、外助成可㆓相㆒筋可㆑有㆑之哉、総年寄共勘弁も可㆓申聞㆒候。御演舌書を以被㆓仰出㆒候公役町入用、其外取調候儀、伊勢村三左衛門・安井九兵衛・薩摩屋仁兵衛掛り被㆓仰付㆒、打込にて可㆑被㆓相勤㆒旨被㆓仰出㆒候間、其段可㆑被㆓相触㆒候。公役町入用等の高大半紙帳相認、町人共連判にて右掛りへ可㆑被㆓差出㆒候。
差上申一札之事
一、【鉄炮所持をとゞむ】鉄炮御改被㆓仰出㆒候に付、町内吟味仕候処。先年書上候外、預り鉄炮有㆑之と別紙【 NDLJP:30】証文差上候外、鉄炮所持の者無㆓御座㆒候。自今無㆓御断㆒鉄炮所持又は預り申間敷候。若不念の儀御座候はゞ、曲事可㆑被㆓仰付㆒候。為㆓後日㆒連判証文仍て如㆑件。
右之通鉄炮御改に付、証文被㆓差上㆒、慥に承知仕候。銘々鉄炮所持又は預り居候者無㆓御座㆒候。若隠置外より相顕候はゞ、我々共何様にも越度可㆓罷成㆒候。為㆓後日㆒如㆑件。 申十月十日
【唐産毛糸反物類売買取締】長崎より当地に登候唐紅毛糸反物類は、当表五軒の問屋共、手前に不㆓在合㆒品望の者有㆑之節は、若右問屋共より京都の問屋へ致㆓相対㆒、買取候様享保六丑年申渡置候処、近頃呉服屋共の内、出所紛しき糸物類致㆓売買㆒候由風聞有㆑之、不埒の至に候。先年申渡候通、右五軒問屋の外為㆓買取㆒申聞敷候。若出所紛敷反物類売買致す者於㆑有㆑之は、急度可㆓申付㆒候。且又反物仲買共も先年申渡候通可㆓相心得㆒候。右之通寛延元辰年・享保三支年・文政十亥年相触候処、年久しく相成候に、忘却候者も有㆑之哉、右問屋の外にて紛しき糸反物類致㆓売買㆒候風聞有㆑之、不埒の至に候。先年相触候通相守、呉服商買の者不㆑限、素人にても右糸反物類五軒問屋の外にて、一切売買致まじく候。若出所紛しき品売買致候者於㆑有㆑之は、急度可㆓申付㆒候。且又反物仲買共儀も、先年申渡候通可㆓相心得㆒候。右之趣三郷町中可㆓相触知㆒者也。
申十一月四日 山城 北組 総年寄
油絞草に相成候菜種・綿実両種物、【菜種綿実売買の規定】無株にては売買難㆓相成㆒旨、先年より度々触渡置候処、当申年綿不作の由にて、蒔種買入と唱へ、無株にて国々よりの註文引受、綿実致㆓売買㆒候由相聞、既に大坂両種物問屋ども見届訴出候も有㆑之、不埒の事に候。蒔種の儀は、近村等にて百姓相互に少々宛買入候儀は可㆑有㆑之候得共、他所へ売出候儀は、大坂・堺・兵庫三箇所の両種物問屋より、奉行所へ伺出候上売渡候儀有㆑之候条、註文有㆑之候共、猥に他所にも売渡候儀は勿論、買次等致まじく候。無㆑拠仔細も有㆑之候はゞ、最寄の両種物問屋共へ、可㆑及㆓対談㆒候。若無株にて綿実致㆓売買㆒候はゞ、急度可㆑令㆓沙汰㆒候。右之趣可㆓相守㆒者也。右之通三郷町中可㆓触知㆒者也。
申十一月五日 山城 北組 総年寄
内府様御移徙当日より、上様と奉㆑称、将軍宣下当日より、公方様と奉㆑称旨事。公方【 NDLJP:31】様西の丸へ御移徙当日より大御所様と奉㆑称事。御台様西の丸へ御移徙当日より大御台所様と奉㆑称、御簾中様御本丸へ御移徙当日より御台様と奉㆑称候事。
右之通従㆓江戸㆒被㆓仰下㆒候条、三郷町中可㆓相触㆒者也。申九月廿五日
米価高直には、【貧窮人調査の令】先達て町々難渋人相調候様申達候処、追々被㆓書出㆒候に付、其分へは御救米被㆑下、右調候難渋人の内、実に極難渋の者名前・人別相調、子供の分は年脇書致し、年寄・印形にて、明後朔日五つ時総会所へ町代可㆑有㆓持参㆒候。右は極難の者へ施行致度段申候に、鳥目差出候向も有㆑之に付、相調候儀にて、先日相調難渋人に抱り候儀には無㆑之候間、前段に相調可㆑被㆑下候。尤も鳥目相渡候節は、不㆓極難㆒の者本人呼出相渡候儀も可㆑有㆑之候間、其心得を以取調可㆑被㆑申候事、但極難渋の者無㆑之町は。其旨年寄・印形同時町代持参の事。
申九月廿九日未中刻 本文の通有無共半紙二つ折に相認可㆓差出㆒候。 北組 総年寄
口達
米価高直にて末々者可㆑及㆓難渋㆒儀儀付、総年寄共取扱候三郷囲籾并川崎御蔵囲籾の内をも、【米価高直にて細民の苦しむを救ふ】白米に仕上げ、成丈け下直に為㆓売出㆒候様其筋の者へ申付候間、身軽の者は最寄米屋にて、右米買受け取続可㆑申候。其内には新穀も沢山に可㆓相成㆒旨、去十七日口達を以触候筈、可㆑為㆓売出㆒候処、今以米直段高直にて、下賤の者共令㆓困窮㆒候趣に付、売渡の儀は差止、右囲米為㆓御救㆒三郷并端々迄被㆑下候間、冥加の至難㆑有奉㆑存、町町にて致㆓世話㆒、難渋人取調無㆓依怙㆒、末々迄不㆑洩様配立可㆑致候。尤是迄売渡候向も無㆑残可㆑致候間、此旨三郷町中末々迄、不㆑洩様可㆓申聞置㆒事。 申九月廿七日
口達
此節米直段至て高直に付、【普請する者をとゞめず】銘々倹約を用ひ候儀は、さも可㆑有㆑之事に候得共、中には普請等致度者も、時節柄を憚遠慮致候哉に相聞。さ候ては自金銀融通合手狭に相成、別て其節の日雇働候者は、稼方無㆑之難渋致し候趣相聞え候間、町家の者は勿論寺社普請向、又は砂持等に至迄、聊遠慮不㆑致様篤と可㆓申聞㆒候事。 申九月廿八日
米価高直に付、【貧民へ施行銭を渡す】施行致度旨、書面の通追々申立候に付、割渡候割方の儀は相調候、極難渋の者名前人へ三百文宛、家内の者へ一人百文宛、先達て相調べ、御救米被㆑下候。【 NDLJP:32】難渋人の分一人住の者へ二百文宛、二人住以上家内人数に不㆑関三百文宛割渡遣候間、難渋の趣申候、施行銭割渡を受け、難渋の者は相定候様存、家賃銀其外及㆓不沙汰㆒候儀ども不㆓相厭㆒様相成候ては、風儀にも関候間、実意を以施行銭割渡を受、聊疎略之不㆓相心得㆒様、精々年寄・家主より可㆓申聞㆒候。
但本文極難渋の向は、本人呼出申聞かせ候上、相渡候心得の候処、多人数の儀呼出候ては可㆑及㆓難渋㆒に付、御救米取扱掛り町へ向け、本文施行銭相渡、町別割渡候筈に候間、来る六日四つ時、郷々総会所へ町々年寄印形持参罷出可㆑被㆓受取㆒候。白米十七石五斗一升天満東西橋米屋、此分五合宛極難渋人へ割渡遣候。
右□々割渡方伺の上取計候以上。
申十月 北組 総年寄
覚【施行銭の控】一、銭千八百貫文 鴻池屋善右衛門 一、同 加島屋久右衛門 一、同千六百貫文 加島屋作兵衛 一、同七百貫文 米屋鉄五郎 一、同三百貫文 鴻池屋新十郎 一、同 鴻池屋作治郎 一、同五百貫文 辰巳屋弥佶 一、同百五十貫文 近江屋休右衛門 一、同三百貫文 炭屋安兵衛 一、同五百五十貫文 三井八郎右衛門 一、同三百貫文 舛屋平右衛門 一、同百五十貫文 島屋市兵衛 一、同百貫文 炭屋善五郎 一、同二百貫文 米屋嘉兵衛 一、同百貫文 天王寺屋忠二郎 一、同千貫文 住友甚兵衛 一、同三百貫文 和泉屋甚二郎 一、同九百貫文 近江屋半衛門 一、同三百貫文 鴻池屋庄兵衛 一、同 炭屋彦五郎
農人橋材木町一、同五十貫文 米屋武右衛門 一、同 天満一之町 一、同百貫文 本町二丁目 一、同三百貫文三井治郎右衛門出店預り 忠衛門 一、同十貫文 高麗橋一丁目 和泉屋久左衛門 一、同二十二貫文島田八郎右衛門出店預支配人 伊兵衛 舛屋鹿二郎代判次右衛門出店預支配人一、同二百貫 文庄右衛門
【 NDLJP:33】
右同人借屋一、同廿五貫文 蛭屋儀助 一、同十五貫文 越後屋新十郎 一、同 泉屋五郎兵衛 一、同十四貫文 西村屋橘次郎 一、同十三貫文 越後屋藤助 一、同十貫文 加島屋新衛門 一、同十貫文 越後屋重衛門 一、同八貫文 越後屋庄衛門 一、同五貫文 越後屋与衛門 一、同一貫六百文 片木屋善兵衛 一、同二百貫文 北久太郎町四丁目 松屋伊兵衛 一、同五十貫文 尼崎町一丁目 鴻池屋伊兵衛 一、同五十貫文 同 鴻池屋市兵衛 一、同五十貫文 今橋二丁目 鴻池屋伊助 一、同 同 鴻池屋徳兵衛 一、同五十貫文 瓦町一丁目 一、同五百貫文 長堀茂衛門町 蒲島屋次郎兵衛 一、同五十貫文 小堀屋武兵衛 一、同 増屋利兵衛 一、同 河内屋勘兵衛 一、同三十貫文 大豆葉町 一、同三百貫文 四軒町 平野屋仁兵衛 一、銀十枚 長堀茂衛門町町人之由申合 泉屋久兵衛 一、同十五貫文 住友甚兵衛 一、同十五貫文 小堀屋武兵衛 一、同 蒲島屋次郎兵衛 一、同 泉屋利助 一、同 増屋利兵衛 一、同 和泉屋久兵衛 一、同 河内屋勘兵衛 一、同 佐原屋伊助 一、同 大味屋久衛門 一、同三貫七百四十八文 亀屋伊三郎 一、同五貫文 和泉屋利衛門 一、同八十貫文 立売堀四丁目 近江屋権兵衛 一、同百貫文 備後町四丁目 一、同 平野町二丁目 一、同 南竹屋町 播屋喜兵衛 一、同百貫文囲米肝煎年寄 三木屋庄兵衛・趣屋佐兵衛主屋五兵衛島屋也兵衛・賀賀停半兵衛 一、同百貫文 南渡辺町 町人の内七人 一、同 出口町 町人之内三人 一、同百貫文 長堀茂衛門町 佐間屋小四郎 一、同五十貫文 小堀屋武兵衛 一、同 増屋利兵衛 一、同 雛屋町 天満屋六次郎 一、 備後町五丁目 塚口屋喜右衛門 一、同五十貫文 三田屋徳兵衛 一、同二十貫文 斎藤町 一、同百貫文 安土町二丁目 【 NDLJP:34】一、同八十五貫文 新靱町 万屋伊太郎 一、同二百貫文 内平野町二丁目 米屋長兵衛 一、同百貫文 南久太郎町二丁目 枡屋伝兵衛 一、同五十貫文 北久太郎町五丁目 大和屋源兵衛
周防町々人の内一、同五十貫文 備後町三丁目 一、同 安土町一丁目 一、同二十五貫文 南久太郎町二丁目 布屋安兵衛 一、金五両 高津五衛門町 因幡屋佶之助 一、同二十貫文 備後町二丁目 浅野権衛門 一、同百貫文 天満北富田町 鹿島屋清衛門 一、同二十貫文 高麗橋一丁目 大西屋利八
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