第五十聖詠
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神や爾の大なる憐に因て我を憐み爾が惠の多きに因て我の不法を抹し給へ
屡我を我が不法より洗ひ我を我が罪より清め給へ
盖我は我が不法を知る我の罪は常に我が前に在り
我は爾獨爾に罪を犯し悪を爾の目の前に行へり爾は爾の審断に義にして爾の裁判に公なり
夫れ我は不法に於て姙まれ我が母は罪に於て我を生めり
夫れ爾は心に眞實のあるを愛し我が衷に於て智慧を我れに顕せり
「イソプ」を以て我に沃げよ然せば我れ潔くならん我を滌へよ然せば我れ雪より白くならん
我に喜と楽とを聞かし給へよ然せば爾に折れし骨は欣ばん
爾の顔を我が罪より避け我が盡くの不法を抹し給へ
神や清潔き心を我れに造り正直き霊を我の衷に改め給へ
我を爾の顔より逐ふこと勿れ爾の聖神を我より取上ること勿れ
爾が救ひの喜を我れに還し主宰たるの神を以て我を固め給へ
我れ不法の者に爾の道を教へん不虔の者は爾に帰らんとす
神や我が救ひの神や我を血より救ひ給へ然せば我が舌は爾の義を讃揚げん
主や我が唇を啓けよ然せば我が口は爾の讃美を揚げんとす
盖爾は祭を欲せず欲すれば我れ之を献らん爾は燔祭を喜ばず
神に喜ばるるの祭は痛悔の霊なり痛悔して謙遜なるの心は神や爾軽じ給はず
主や爾の惠に因て恩をシオンに垂れイエルサリムの城垣を建て給へ
其の時に爾義の祭献物と燔祭を喜び饗けん其の時に人々爾の祭壇に犢を奠へんとす
- 問 この聖詠は何時何人が作りしものなるや
- 答 この聖詠は聖預言者ダウィド王の作にて聖王が嘗て敬虔なるウリヤを殺して其妻ウィルサーウェヤを取りし大罪を改悔せしときこの聖詠を作りしなり
- 問 何故この聖詠は痛悔の祈りと称せらるるや
- 答 これ此聖詠は罪を犯せしことを深く悔いその罪の赦しと神の恩恵とを熱心に祈り求むるの心を現すが故なりされば我儕罪人は常にこの聖詠を誦して罪の赦しを願ふべきなり
- 問 『神や爾の大なる憐に依りて云々』以下の言は何事を神に願ふの祈祷なるや
- 答 この言にて神が特別なる其の仁慈に依りて我儕の罪を赦し給はん事を神に願ふなり
- 問 『盖我は我が不法を知る我の罪は常に我が前に在り云々』の言は何を意味するや
- 答 これ我儕が能く己れを省み我儕の良心を苦むる罪を認め知ることなり
- 問 『爾は爾の審断に義にして爾の裁判に公なり』とは何の意味ぞや
- 答 これ我儕は神の前に多くの罪を行ふものなるに神は常に公義にましませば其我儕を審判し給ふも定めて厳重なることを意味するなり
- 問 『我は不法に於て姙まれ我母は罪に於て我を生めり』とは何の意味ぞや
- 答 この言にて我儕は生れながら罪悪に傾くの性質あることを述べて罪の赦すを願ふ意なり
- 問 『我が衷に於て智慧を我に顕せり』とは何の意ぞや
- 答 これ神が眞の教と人々が天国を得るの道とを我儕に示し給ふことなり
- 問 『イソプを以て我に沃げよ云々』の言はいかなる意味なるや
- 答 これ神が恩寵を降し給ふて我儕の罪を潔くせられんことを願ふなり
- 問 『折られし骨は悦ばん』とは何の意味ぞや
- 答 これ罪は唯り人の霊を傷むるのみならず人の骨肉を害するものなれば初より罪の赦すを得れば良心の安きを覚ゆるのみならず肉体の骨の傷も直りて恰も悦ぶが如くならんとの意なり
- 問 『我を爾の顔より逐ふこと勿れ』とは何の意味ぞや
- 答 神は我儕を遠かるることなく常に我儕を護り給へと云ふ意味なり
- 問 『主宰たるの神を以て我を固め給へ』とは何ぞや
- 答 これ神が聖神の能力を以て我儕を善徳に堅め給はんことを願ふなり
- 問 『我不法の者に云々』とは何の意味ぞや
- 答 これ我儕が聖王ダウィトの例に法りて神より罪の赦免を得たるを感謝せんがため不法なる人々に神の道を教へて神に帰せしめん事を約するなり
- 問 『我を血より救ひ給へ云々』とは何の意味ぞや
- 答 これ聖ダウィト王がウリヤを殺したる血を指して我儕がかかる残酷なる罪に陥らざらんことを願ふなり
- 問 『爾は燔祭を喜ばず』とは何ぞや
- 答 これ神は人々の献ずる燔祭を喜び給ふも更に御旨に應はせ給ふは心の祭即ち痛悔と善行美徳なることを云ふものなり
- 問 『爾の惠に因て恩をシオンに垂れ云々』とは何の意味ぞや
- 答 これダウィトがイエルサリム城並にイウデヤ人のために罪の赦すを願ひたる言にして聖王はこの願の心を以て聖殿を建立せり
- 問 『爾義の祭献物と燔祭を云々』とは何ぞや
- 答 これ神に献する祭物の種類を示すものなり
- 問 以上の朝夕の祈祷の外に平常信徒の心得べき教は何ぞや
- 答 この外に信徒が毎日読みて一時も忘るべからざるものあり教會の十二端の信経並に十戒これなり