第四 酵種の譬[編集]
- 馬太十三章三十三節 路加十三章二十一節
又譬を彼等に語けるは天國は麪酵の如し 婦これを取り三斗の粉の中に藏せば悉く脹發すなり
又いひけるは我神の國を何に譬んや麪酵の如し 婦これを取て三斗の粉の中に納せば盡く發出すなり
- 〔註〕この譬は芥種の譬と同じく神の国の長大なることを説り しかれども重覆にあらず その意を細に察するに上の條には神の国の大なるに至るは外に現れたる上にていへり ここにいふ神の国の大なるにいたるは内に隠れたるをいへり またその上に一意を添へて教會の婦人は神の国のために力を盡すべきことを説り 上の條の播種をいへるは田畑の働きにて男子の業となせり 酵を取るといふは庖厨の働きにて婦人の職を盡すことなり イエスの道初めて傳はり十二弟子の外には只五六人の婦ありて供事り〔路加八章三節〕ポーロ遠方に往きて傳道せしまた五六輩の婦プリッキラにゆくものポーロと共に勤て福音を傳播しなり〔腓立比四章三節〕イエスの道しきおこなはるるに及ては男女おのおの職をなせり 男は往て男を教へ女は往て女を教へ力を盡して主に仕べし かの麪酵の性は脹發しやすく酵の入りたる麵を以て許多の粉の中に雑ゆるときは酵なき麵を変じて酵と性質を同ふせしめたり この處の外にも聖書に酵を以て譬となせども大抵は悪根の發るることを指せり イエスの法利賽の酵といへるは偽善を指したまへり〔路加十二章一節〕またポーロの爾まさに舊き酵を浄く除くべしといへるは舊悪を指せり〔哥林多前五章六節八節〕酵を借りて悪に喩るはいかにといふにその味酸く変りて正味を失ひ且浮て脹たるを以て人の驕誇に似たればなり しかるに其性發大しまた変化するときは善にも喩ゆべきなり ここに酵を借て天国に比ぶるは善に就きていへるなり 福音聖道はよく人の心を化し風俗を移改ることポーロの基督にあるものは新に造る人となり舊きものすでに逝みな新しきをなせりと〔哥林多後五章十八節〕いへるが如く人既に救主の恩をその心に得るときは好む所の事念ふ所の情および往来する所の人望む所の福みな常時と異なることあり 此心の変る所なり 常に主の恩に頼て禱を倦ざれば善徳日々に増しその應許を篤信ぜば必ずよく世俗の敗を脱れて共に神の性に與るべし〔彼得後書一章十四節〕イエスの道行るる所の国々は徒に教會を設るにあらず 人々信じ従ひいつとなく移改りて聖経の益を獲刑罰もかむし人の残忍に似ず税斂も昔の貪婪におなじからざるやうになり未だ道と盡くは合孚ざることありと雖も其政ごとは廉明になりて次第によく治れり また醫院を設け学校を大に開らき貧民に施し癈疾を憐み貲を涓力を出しすべて己を推て人におよぼさんことを願へり 衆の論は日々に公平に進み衆の情はますます親睦み所謂酵を麪の中に藏すとはこれらの事をさして謂へるなり ここに(婦人取て)といふを見るに酵は發大やすきものといへども しかもまた人の為に藉ることを知るべし されば福音の道廣く傳ること全く眞道の力によるといへども人各その力を用ひずして天父に諉け其自然に任すといふべからず(三斗の麵)といふにまた説あり 或は中等の人家の一日の糧といひ〔創世記十八章六節〕或は普く世界の人はみなノアの三子の後裔なれば三斗の麵ひとしく發大といふはこの三の人種のみな信仰して眞道の行るることは中外を分ざるの意を指すといへり 或は三斗の麵を以て人の霊と性と身との三を指とせり 其譯は人の智識と嗜好と行為とみな常日に異なりポーロの爾きよくして且爾の霊爾の性爾の身を守り悉く我主イエス基督のきたらん時責なからしめよといへる如きなりと〔帖撒羅前書五章三十三節〕以上の説はいづれも三の字の義を指し明して確なりといへり その説通ぜりと雖もしかも三の字に泥みてしかいへるに過ぎずただ均酵の脹發るを以て譬の肝要となすべきなり 福音聖道の普く行れて滞ることなきときは世の中と人の心とを論ぜず均くその風気を改めその性質を変へ舊染汚俗咸與維新と謂ふが如きなり 我儕の此譬を読者はすこしの酵のすべての麵を酵發すことを知り我教會は唯この數人にて斯の世の悪俗を改ることを得んやと自ら疑を起さず會内皆心を一にしてイエスに倚り力行て眞道を彰さば神の福を蒙り必ずよく大に教會の門を開べし また我の才情甚だ弱ければ天下の元黎を感じ格すことを得ずと疑ふことなかれ 力を盡し心を盡し眞の神に禱らば智慧日々に益れて善行著れ必ず衆の人に信仰をなさしむべし 爾の光まさに人の前に耀すべし 彼爾の善行を見ば榮を爾の天にいます父に帰するを致すべしと〔馬太五章十六節〕吾主の曰ひ給るが如きなり