新約聖書譬喩略解/第十 二子の譬

提供:Wikisource

第十 二子ふたりのこたとへ[編集]

馬太二十一章二十八節より三十三節

なんぢいかにおもふや或人あるひと二人ふたりありしが長子あにきたりいひけるは今日けふわが葡萄ぶだうえんゆきはたらこたへいないひしがのちくひゆきたり また次子おととにもまへごといひければこたへきみわれゆくべしといひしがつひゆかざりきこの二人ふたりのものいづれちちむねしたがひし かれいひけるは長子あになり イエスかれいひけるはまことなんぢつげ税吏みつぎとりおよび娼妓あそびめなんぢよりさきかみくにるべし


〔註〕イエスここにみつたとへまふけ書士がくしゃ長老としよりなどにその悔改くひあらためうけがはしんしんぜざるつみとききかしめり みつたとへうちはじめたとへはまづつみかろきものをあげきたまへり 書士がくしゃ法利はりさいともがらいふのみにしておこなはざれば〔馬太二十三章三節これめらるるなり その意味いみひと両等ふたしなわかひとつみづかおのれぜんたのむものひとつあらはあくをなすものなり まへひとつ学者がくしゃなどの外貌うはべにはれいかざくにおきてまたは郷里むらざとれいをばおかさざれども其悪そのあくみなこころうちかくれてつねめだたずつみおかひとこれらしめざればたふとま自己じぶんもまたつみなしとせり のちひとつ税吏みつぎとり兵卒へいそつ郷里むら無頼あぶれものなど博奕ばくちをなしさけこのもくよくほしひままにしゆうこのみ闘很せめぎたたかひさまざまのあくをなしてにくまれたればみづかそのしきことをれり この両等ふたつひとそとよりればひとりぜんひとりあくといふにたれども其実そのじつはみな悪人あくにんなり そのあくほかあらはれたるものは挽回ひきめぐらすことかへつてやすけれどもあくこころかくれたるものは救正すくひただすこともっとかたし そはあくあとあらはざればおのれもそのあくおぼへずひともまたむべきなければなり ゆえぜんへいあらはあくをなすものにくらぶればもっともはなはだし たとへばやまひあるもののごとし その病毒びやうどくすでにあらはるればそのやまひいえがたきことなし どくうちかくれたるはかならざうやぶ性命いのち保全たもちがたし このゆへひとおのれあやまちらざるはおほひなるあやまちなり おのれあくわするるはまことあくなり ここにたとへたまふ二人ふたり一人ひとりちちめいさかふといへどのちにはくゆこころあり 一人ひとりちちことばしたがへどもついにそのことおこなはず これおすによくちちむねしたがふはかうたれども當面まのあたりことかうとはさだめがたし われイエス弟子でしなれば衆人ひとびとまへ悔改くひあらたてんふくするにあらず もとより天国てんごく良民れうみんなればかならかみむねしたがてん喜悦よろこびべきなり かみむねわれ十誡じっかい恪守ただしくまも基督きりすとよらしむることなればわれそのおしへたしかしたがふべし もしその約束やくそくふまざればこの次子おととことなることなし イエス書士がくしゃともがらわれまことになんぢ税吏みつぎとり娼妓あそびめなんぢ先立さきだちかみくにすすまんといひたまへり 税吏みつぎとり娼妓あそびめとはおほ自己じぶんあくりたればそのあやまちあらたやすし これ長子あにさきちちめいさかへどものちにはそのあやまちくゆるとおなじ 書士がくしゃともがらみづかとなせども名目めうもくのみにしてそのじつおこなひなし ヨハネ義路ただしきみちひとおしへしかども書士がくしゃともがらなほこれしんぜず税吏みつぎとり娼妓あそびめとみなイエスみちしんずるをイエスみちのよくあくくわぜんうつることはくはしくりたれどもみづからおごりたかぶりたればこの税吏みつぎとり娼妓あそびめともがらかたならぶることをいさぎよしとせざればそのおしへしんぜざるなり ゆへイエス其既そのすでときおくれたるになほいまだ悔改くひあらためしんぜざるをたまひてかれたとかみくにすすむことをるともかなら税吏みつぎとり悪人あくにんしりへにあらんといひたまへり イエスこのことばるに書士がくしゃともがらかならかみくにすすむことはざるといふにあらず もし卑順へりくだり自己じぶんつみぜんいた悔改くひあらたむるときは天国てんごくさかへるべし 驕傲おごりたかぶることもとごとくにして税吏みつぎとり娼妓あそびめしりへしたがはざればおそらくは天国てんごくがたきこと駱駝らくだ針孔はりのめど穿うがつごときなり イエスすなはちみちなりわれによりてすすまば天国てんごくらんといひたまへり さればあらはかみいましめおか税吏みつぎとり娼妓あそびめごときも驕傲おごりたかぶること書士がくしゃともがらごときもみなイエスしたがつつみゆるしもとむべし イエスほかてんひとうちわれ倚頼よりたのみすくはるべきたまはざればなりと聖書せいしょことばまことにしんずべきなり