新約聖書譬喩略解/第十八 夜半に餅を借るの譬
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第十八 夜半 に餅 を借 るの譬
[編集]また
- 〔註〕
此 譬 は弟子 の中 にいかなる祈祷 を以 て教 たまふやと問 るによりてイエス彼 等 に祈祷 の文 を教 たまひ またかやうに心 を用 ひばその祈祷 に益 あることを教 たまへるなり蓋 し祈祷 はその心 を懇切 に用 ひてよくその応験 を得 べきことなれば別 て譬 を設 て説 たまへるなり この譬 と路加 十八 章 不義 なる審司 の譬 と似 たり いづれも祈祷 は懇切 になすべきことを説 たまへることなれども其中 また分別 ありて不義 の審司 の譬 は公義 を乗 らんことを求 め此 譬 は恩典 を施 さんことを求 む また不義 の審司 の譬 は自己 のために求 め此 譬 は他 人 の為 に求 むるなり ユダヤの人 は極 て炎暑 の時 に當 ては往往 夜 の陰凉 を待 て遠 行 をなせり且 旅舘 も至 て少 ければ大約 朋友 の家 に就 て宿 を借 るもの多 し たまたま家 に食物 の儲 なきにおりあしく友 の宿 借 ることは常時 なり この時 夜間 なれば往 て沽 ことならざれば隣家 にゆき貸求 めてその困乏 に供 ざることを得 ざるなり此 譬 の本 意 は(隣 )とは眞 の神 を指 し(旅 して来 る客 )とは他 人 を指 し(友 に代 て食物 を求 る)は我 儕 人 に替 て祈祷 をなすことを指 す世 の中 に人 に求 ること有 てもその求 を准 ざるは或 はその煩 しさを嫌 へるに因 り それは此處 に我 を煩 はすなかれ兒曹 は我 と牀 にありといふと同 じ或 はその時 に後 れて合 ざるを嫌 へるによりて否 むことあり それはここに門 すでに閉 たりといへるに同 じ求 ること懇切 なるによりて遂 に彼 の准 せるは我 の懇切 なること彼 の否 むに打勝 しゆへ已 を得 ず勉強 てその求 に従 ふなり天 父 もときによりては我 等 の求 ることを允准 たまはざることあるは人 と異 ことなきに似 れどもその實 は我 等 の非 なるによれり請所 の理 に合 しことは天 父 更 に否 たまふことなし允准 たまはざるは全 く我 等 の心 の誠 なるや否 を試 たまふなり ケナンの婦 イエスにその女 を醫 すことを求 めしがイエス彼 に兒曹 の餅 を狗 に投 るはいまだ善 からずと曰 たまへるは是 れ時 ありて允准 たまはず其 心 を試 みたまふ明徴 なり人 の愛心 薄 して始 は准 ざることも終 にには准 さるべし况 て天 父 は慈悲 の主 なれば允 したまはざることあらんや故 にイエス此 譬 を説 完 たまふ後 また彼 に語 たまひて求 れば則 得 尋 れば則 遇 ふ門 を叩 けば則 啓 るといへり また凡 そ求 る者 は得 なりと曰 たまひしなり何 れの人 何 れの事 を限 らずその求 べきことを求 れば必ず准 されざることの理 なし されば祈祷 は必 ず懇切 を緊要 となし必 ず多次 を緊要 となさばその允准 を得 べきなり イエスのここに説 たまふ言 は三層 に分 ち看 ときは殊 に意義 あり(求 る)とは心 のうちに得 んことを思 ひ願 ひ望 ことなり(尋 る)とはさまざまの術 を以 て遇 を冀 ふなり(叩 く)とはすでにその在 る所 を知 れども尚 阻隔 あれば聲 を揚 て疾 呼 その内 に進 入 んことを要 なり この三 のものは相 因 て一 をも欠 て叶 ざることなり然 れば吾 儕 の祈祷 は始 め誠 の心 を籠 て懇 に求め継 てまた方法 を設 て時々 尋 覓 めその門 を尋 得 たれども尚 阻隔 あるを知 たらば呼龥 ことを歇 むなかるべし人 の門 を叩 てやまざるが如 くその開 くまでは半 途 にて廃 べからず只管 その自 然 にまかすことの不可 なるを知 るべきなり此 譬 の大旨 は総 て懇 に祈 をなししばらく倦 ざることを教訓 たまへるなり我 等 すでに信者 なり都 て天 父 に求 めんとすることあらばこの譬 を熟読 して深 く考 ふべきなり