新約聖書譬喩略解/第十九 愚なる富者の譬
表示
< 新約聖書譬喩略解
第十九 愚 なる富者 の譬
[編集]
- 〔註〕イエス
宣道 したまふときそこに有 合 内 の一人 イエスに請 ひ己 の兄弟 に命 じて家業 を己 に分 予 んことを願 ひしによりて此 譬 を設 て語 たまへるなり その家業 はもとより己 れの得 べきものを分 ことなれども唯 世 の中 の情 に掛 念 して眞 理 に心 薄 くかつ衆人 の道 をきく礙 となりしことなればイエス先 これに貪 る勿 れと戒 しめたまへり人 の生命 は天 父 の尊旨 にありて飲食 の養 にあらず貨財 の多 きにもあらざれば蓄積 贏餘 ありとも生命 を保全 べき謂 なし イエス此事 を理 たまはざるは茲 に二 の故 あり一 はユダヤの人 常 にイエスを窺探 てその間隙 を尋 ね執 へんとせり儻 イエス稍 たりとも世事 に干預 ことあらばユダヤの人 之 を訟 へ権 威 を攬 り分 を僭 へて自 立 して王 たらんことを望 と謂 はん故 にイエス自 慎 み國 家 の事 に渉 たることは都 て何事 によらず關 たまはざるなり一 は國 家 を理 め世 の事 を審判 は小 事 にて神 の子 は之 を管理 したまはざるなり惟 人 の霊魂 を救 ひ死 を遁 れて生 を得 るは宗教 の大 事 にて力 を盡 してなすべきことなれば人 に眞 の道 の緊要 なることを知 て之 を忽 になすべからざることを知 らしめたまへり故 に今 請 ものを詰 て誰 か我 を立 て爾 等 の中 に司審 となせしやと言 たまひて其人 に悟 せり これ世 間 の事 はすでに理 るに足 らず心内 の事 こそ亟 に講 ずべきことなれば此 譬 に貪 るものの實 に愚 なることを表 はしたまへるなり ○此 譬 の心 は(或 富人 その田 畑 よく豊 ければ)といふは是 れ不義 の財 といふにあらず都 て貿易 して得 る財 は或 は欺騙 に出 ることあり官 に因 て得 るものは或 は刻剥 に由 ることあり田 地 の豊盛 に至 てはみな天 の賜 にもとづき公 ならずといふべからず しかれども其 醜弊 ただ貪 るにあり凡 そ人 の貪心 あるは困窮 によりて貪 るにあらず また折本 せしによるにあらず富 に因 て益 富 を求 め愈 貪 を生 ずるなり ソロモンは銀 を喜 ぶものは銀 の足 ることを知 らず豊盛 を喜 ぶものは豊盛 の足 ることを知 らずといへり〔傳道書五章五節〕また大學 に人莫知其苗之碩 と云 り みな茲 と意 を同 せり豊富 を見 ては人 の貪心 を止 ること能 はず反 てその貪心 増 てやまず隴 を得 て蜀 を望 むは人情 大抵 しかなりとせり人 の貪 る病 を愈 すは唯 大 なる虧折 あるを良薬 となすべし神 は人 の貪心 を除 きたまはんとするときは多 くこの法 を用 て醫 したまへり人 に世 の事 の虚浮 を知 り猛然 省悟 しむるときは其 病 愈 すべし况 てすでに富有 ときは尚 その財 を増 ことを欲 せざるも之 を保護 せんことを思 はば必 ず多 の掛 念 を生 ぜり故 にこの富人 我産 を藏 べき處 なしいかにせんと曰 り徜 富人 をして義 を知 らしめば必 ず此 言 を出 まじきなり その故 に藏 べき處 甚 だ多 し凡 そ世上 の孤児 の口 寡婦 の腹 および貧窮 疾 苦 ものの家 いづれの處 としてその産 を藏 べからざることなし且 この富人 は私 の心 ありて我物 は必 ず留 て我用 になさんとおもへり故 に我 が倉 を毀 て更 に大 なるものを建 て我 貨物 を藏 んとせり この人の謬 といふは心 の内 に思 ふやう霊魂 よ爾 多 の物 あり積 蓄 て多 年 の用 意 となし安然 として飲食 喜楽 べきなりと魂 適 て楽 み長久 なることみな富 によりて得 べしとその営謀 も全 く備 り處 置 も盡 く調 ひたれば詡々 としてみづから智慧 に矜 れり物産 は肉体 を養 べくも霊魂 を養 こと能 はず貨 は蓄 べく藏 べくも歳月 は必 ず蓄 がたく藏 がたきを知 らず自 矜 て智 となせども神 には之 を視 て愚 となしたまひ彼 に愚者 よ今 夜 爾 の魂 とらるること有 べしされば爾 の備 しものは誰 が有 になるやといひたまへり(霊魂 とらるること有 べし)とは善人 の死 するは心 を安 んじ世 を離 れその霊魂 を天 父 に交託 さんとなせり悪人 の死 するときは世 に繋戀 て之 を棄 ること能 はざれども天 父 必 ずその魂 を奪 ひたまへり故 にとらるることあるべしといへるなり(備 しものは誰 が有 なるや)とはすでに死 せしの後 はいま有 る貨財 はみな他 人 の受用 になりその子 孫 に遺 すとも子 孫 之 を保全 や否 いまだ知 るべからざるなり ソロモン曰 へることあり我 身 労瘁 せり悦 をなすべからず経営 ところのものは後 に起 るの人 に遺 すも子 孫 の智 と愚 とは逆 じめ料 がたし ただ我 はその心 を端 世 を畢 まで労苦 て彼 之 を得 て主 れりすべて虚 に属 せんと〔傳道二章十八節十九節〕されば徒 に財 を営 みて毫 も享用 ざるは富 とも何 の益 あらず愚 なることこれより甚 だしきはなし此 愚 なる富人 に錯誤 四 あり一 は貨 のいづれより来 るといふを思 はざるなり都 て人 の得 る財 はみな主 の賜 ふ所 なり しかるに富人 は己 れの有 となせり故 に我産 我倉 我貨 といへり全 く主 の恩 を知 て感謝 する心 なし二 には貨財 の處 置 を思 違 ひ人 すでに富 ては仁愛 を以 て物 に及 すべきを己 れ独 の有 となし大 なる倉 を建 てその産 を藏 んとし貧 を憐 み寡 を恤 むの心 なし三 には貨財 は外物 にして霊魂 に益 なきを思 はず人 暴 に富 ときは暫 く安慰 を覚 れども旋 て財 を保全 がために憂慮 を増 し精神 を損傷 ことを免 れざるに財 あれば心 安 かるべしとなせり四 には生命 は定 なく長 く享 がたきを思 はず死 生 夭壽 は神 の司 どる所 にして飽 煖 なるものも速 に亡 び饑 寒 るものも猶 存 せざることあり しかるに財 あれば便 ち生 を養 ふべしとなせり是 等 の誤 は富 るもののみしかりとせず すべて世上 の人 は類 かくの如 し故 にイエスこの譬 を講 たまふ後 衆 を戒 しめ凡 そ財 を己 に積 み神 に就 て富 ざるものはまた斯 の如 きなりと説 たまへり此 (神 に就 て富 る)といふは下 の三十三 節 に有 る所 を售 て貧 を濟 ひ盡 ざるの財 を天 に積 めとあるの意 なり此 處 の神 の字 は己 の字 と相対 して言 り人 の通病 は己 あるを知 て神 あるを知 らず財 は己 れの物 なりと謂 ひ神 よりこの世上 の物 を將 て我 儕 の手 に交託 し我 をして人 に頒賜 はしむることを知 らざるなり若 し己 れの有 となさば神 の旨 に背 逆 ひ他 に大悪 なしと雖 もまた必 ず永賞 を失 ふべし嘗 て救主 人 もし世 界 を獲 るもその生命 を失 はば何 の益 あらんやと曰 たまへり〔馬太 十六章二十六節〕財 を己 に積 は實 に愚 の至 にて惟 吾主 の教訓 に依 り世 を棄 て天國 を仰 ぎ望 みて常 にイエスに倚頼 て我罪 を贖 はば基督 限 りなき富 を頒 へり〔以弗所 書三章八節〕死後 世 を離 れて天國 の榮 に登 ることを得 ばその富 亦 いかにとせんや此 富人 を観 るに忽然 として生 絶 るときは諸 の楽 は頓 に變 じて烏 有 となるべし我 等 も死 することいまだ必 ずしも旦夕 にあらずと雖 も或 は遅 く或 は早 く終 に壽 盡 て陽 を辭 することを免 れず預 め警醒 せずんば恐 くはまた此 富人 の轍 を踏 ん救主 の我 儕 を教 たまふことかくの如 く懇 なり讀者 心 を盡 すべきなり