- 「ユタヤ」の表記は「ユダヤ」に改め、「羣臣」は「群臣」に改めた。
第十二 王子婚礼の譬[編集]
- 馬太二十二章一節より十四節
イエス彼等に答て又譬を語けるは天國は或王其子の為に婚筵を設るが如し 婚筵に請おける者を迎んために僕たちを遣ししかど彼等きたることを好まず 又外の僕を遣さんとして曰けるは我筵すでに備れり 我が牛また肥畜をも宰りて盡く備りたれば婚筵に来れと請たる者に言 然ども彼等かへりみずして去ぬ 其一人は己の田にゆき一人は己の貿易に往り他の者等は其僕を執へ辱めて殺せり 王これを聞て怒り軍勢を遣して其殺せる者を亡し又其邑を焼たり 是に於てその僕等に曰けるは婚筵すでに備れども請たる者は客となるに堪ざる者なれば衢に往て遇ほどの者を婚筵に請け 其僕途に出て善者をも悪者をも遇ほどの者を悉く集ければ婚筵の客充満す 王客を見んとて来りけるに茲に一人の禮服を着ざる者あるを見て之に曰けるは友よ如何なれば禮服を着ずして此處に来る乎 彼黙然たり 遂に王僕に曰けるは彼の手足を縛りて外の幽暗に投いだせ 其處にて哀みまた切歯すること有ん それ召るる者多しと雖も選者は少なし
- 〔註〕此譬と路加傳第十四章十六節より二十四節迄に釋明せる筵席の譬とはよく似たれども其実は同じからず 遺なく細に見べし この譬はイエス會堂にて衆人に語りたまひ路加に載する譬は法利賽の家にて集る客に語たまへるなり 路加に載する譬は先に法利賽の人イエスと往来する者ありしにこの時に至てはイエス殺されんとせしかば法利賽の人イエスと敵対の形を顕はせり 故に其譬を設たまふの意尤も厳しくまた報應の事を言たまふこと尤も重し 前には唯一人も我宴に嘗ものなしとあり ここには兵を遣して斯悪人を殺し其城を焼といへり 又路加に載する譬は或人大筵を設くとあり 是は尋常の富家を指せり 此譬には国王その子のために婚筵を設くといへり 是最も重だちたる事なり 又路加の譬は法利賽に棄らるとあり この譬にはユダヤの国必ず滅さるといひ且請来る客の中に禮服を着ざるものありといへり 路加にはこの意を載ず 此譬と路加の譬とは逈に同じからざれば読者細に別べきなり○又この譬と前の譬と較れば意味ことさら厳し 前の譬には園主とあり是は一家の主なり 此譬には国王とあり是一国の君にて其位格別に尊とす 前の譬にはあまたの僕同く往きて租を収め愛子も亦その事に與るを言り 此譬には専愛子のために婚筵を設ることを言るは衆人に関ず唯一己のことを謂るなり 前の譬に僕を遣し果を収むといふは主の本分の業なれば農夫ども事に推て辞むことならざるなり 舊約の天父我儕をして十誡を守らしめたまふといふの意にて農夫の果を収めざるは便ち主の命に逆に同じ また此譬に子のために婚筵を設くといへるは是君たる者の恩を施し臣の喜は望の外にいづることなれば新約の天父イエスを遣し代て罪を贖ふの意なり 臣の筵に赴ざるは君の恩を軽蔑することなれば其罪さらに大なり この譬と前の譬と合せて看るときは其義理完く備り人の守分と神の恩と明に知るべし 聖書に神と人と相連ることを謂るときは屡筵席或は婚姻を以て譬となせり 筵席の事は以賽亜書に 萬軍の主エホバこの山に在んとす萬民の為に肥美と醴酒の宴を設け肥美滫髓醴酒の極て清宴なりとあり〔二十五章六節又六十五章十三節〕又婚姻の事は以賽亜書に 選ばれし民曰く我まさに大にエホバを楽まんとす 我霊は我神を喜んとす 其救の衣を以て我に着せ其義の帔を以て我を蔽ふ 新娶もの自ら花の冠を整るが如く又新婦の寳の物を以て自飾るが如しと〔六十一章十節又六十二章五節 何西書二章十九二十節 又馬太九章十五節 約翰福音三章二十九節 又以弗所書五章三十二節 哥林多後書十一章二節〕あるもみなここと意を同ふせり さて此譬に指所の意味は国王を天父に比べその子をイエスに比べり 子のために婚筵を設るといふは天父此世に於てイエスの教會を立て人をして其會に入りイエスに親ましむるに喩へり 僕を遣して客を請こと再三なり 先に僕を遣して筵に赴の日を預定め再び僕を遣してさまざまの物備たることを告げ速に筵に就しめり 先に遣す僕は歴代の預言者を指て基督の臨まんとしたまふ時なれば人々預め信仰を備へて天国に入るを求むべきことをいへり 再び遣す僕はバフテスマのヨハネおよび各の使徒を指て速にイエスに就親まんことを促せることを言へり 故に天国近し爾宜く悔改て福音を信ずべしと言しなり 衆の来らざるに因て君僕に語て曰けるは(請所の者客となるに堪ず通衢に往偶ほどの者を迎て筵に赴しめよ)と三次めに遣す僕は救主復活たまふ後弟子および傳道者を諸方に遣し教を傳ることを命じたまふを指せり(請所の客きたらず)とはユダヤの人預言者の言を信ぜず悔改て救主に倚頼ざることを指せり 故にイエスは爾我が處に生を得んが為に来るを好まずと曰たまへり〔約翰福音五章四十節〕此輩の人は両等に分て見るべし 一は専ら私の事を顧みて君の恩を軽蔑するもの 一は心に兇悪を懐きて君と仇敵をなす者なり 世の人眞理を接納ざるも大抵またこの両輩あり 一は専ら己の私慾の為に道理を等閑になし天父の恩を忽になせり 一は己の本性の悪を現はし道理と仇敵となり教を傳るの人を妨て恤ざるなり 君の恩を軽蔑するはまた二の故あり 田に往ものはすでに得し財を戀しためなり 市に往ものはいまだ得ざりし所の利を求んがためなり 世の人或は富に因て目前の楽を戀ひ道を戀意なき者あり また貧窮にして心の欲いまだ満ざるために道を求るに暇なしといふ者あり ここに僕の受る害は一度にあらず或は執られ或は辱られ或は殺されたりしなり イエス此譬を設たまひし後其言果してみなしるしあり 使徒の執へらるることあり〔使徒行傳四章三節 五章十八節 八章三節〕辱らるることあり〔使徒行傳五章四十節 十四章十五節 二十一章三十節 二十三章二節〕殺さるることあり〔使徒行傳十四章五節十九節 二十一章三十節 二十三章二節〕悉く聖書に載られたり 此輩の害を受ることはイエスすでに之を知たまふ故に我爾等に預言者と智者と書士とを遣さんに或は之を殺しまた十字架に釘或は其會堂にて之を鞭ち或は邑より邑に逐窘めんと明に曰たまへり〔馬太二十三章三十四節〕(王之を聞て怒り軍勢を遣し其殺せる者を亡し其邑を焼)とは或はイエス死たまふ後天父ローマの兵を借てユダヤ国を滅したまふことを指といひ或は世界の末日に天父神使に命じて悪人を永刑に行たまふことを指すといへり この譬を観るに凡教師を軽蔑し信者を害する者あれば天父必ず怒を動し己を辱ると同様に視たまふことを知るべし(堪ず)とは彼等王の恩を藐視じ其僕を害ひしかば筵の福を得るに堪ざることを表せるなり(衢に往て遇ほどの者を婚筵に請け )とは天父ユダヤ人の信ぜざるを見たまひて使徒を遣し天下の萬民に普く福音を傳へ志の道に向ふものはみなこの教會に入れしむるを指せり 僕遂に路中に出て遇ものはみな請集め或は善もの或は悪もの婚姻の席に充満せり これ君の意は原善ものを請きて悪ものは望まざれども僕命を奉るに急ければ委しく擇ことあたはざれば善悪を論ぜずしてみなこれを請きて婚姻の筵に赴かしめしなり 是れ我等の諸国に往て傳道し人に悔改を勧めイエスを認めて主となし及び人の前に於て悔改を應承ものは之を入れて教會を充満しむるが如きなり 人の心の善悪は盡く知りがたく其心平素義を慕ものあり 平素悪をなしていま醒悟ものあり 眞に主を信ずるものあり 偽善にして人を欺き名利を求んとするものあり古よりしかりとせり 教會はこの世に善者のみにして悪者なきやうにはなしがたし 然れども我等には其善悪知がたけれども終には必ず露はさるべし 故にこの譬に王客を見んとて来りけるに茲に一人の禮服を着ざる者あるを見て如何なれば禮服を着ずしてここに至るやと問ることを説たまへるなり ユダヤの例は国王に見へおよび王の筵に赴んとするときは必ず禮服を衣ることに定れり その禮服は国王より群臣に貸あたへたまふ服にて王に見へんとするときはこの禮服を着て見へり 若此禮服を着ざれば君を軽蔑するに當れり 故に家の貧きを推諉にして禮服を用意せずといふを得ざるなり 軍人はすべて上司に見るには必ず號衣を着ると同じことなり この號衣を着ざるときは上司其無禮を怒れり もと是宦の給所にして私に辨ずるものにあらざる故なり(外の暗に投いだす)といふは婚禮は夜に及て設ることに定たれば宮殿の内は燈を飾り光華にして宮殿の外は寥寞して黒暗なり 故に外の暗と謂るなり 此譬のここの意を説に禮服は善と義とに比しなり 以賽亜の書にエホバ我に仁義を加る麗服を着長衣を襲が如しといへり 此義といふはイエスの罪を贖ひたまふ功を信仰して義といわるることを指せり イエスの功労を人に賜るときは必ず聖霊を受けまことに悔改めさせ其人の善と義と必ず外に表るること恰も禮服を衣たるが如きなり 若救主の功を信ぜず自ら義となすものは此禮服を衣ざるものに似たり 甚しき無禮なれば主に見ゆべき顔無るべし 平日は多言を以て信仰せざることを推諉すれども此際に至ては黙然として辭なきなり 王僕に曰けるといふ(僕)は神の使を指せり(外の暗)は永刑を指せり 世末審判の時は天父必ず神の使に命じて救主に信服せざるものを幽暗に投入たまへり 此譬の意はユダヤの人天父の恩を棄て預言者および使徒を辱めし故に其国滅されて福音眞道は異邦に傳ることを説きまた眞道の世に傳るときは偽善の輩ひそかに教會に入て信者を欺ことあり されども人よく人を欺けども神を欺ことあたはず 審判の時には必ず天父の面を見ることを得ざるを説り さらば救主の弟子たるものはすでにバフテスマを受てイエスを認て主となし我名は教會の内にあればとて天父の賞賜を得べしと思べからず 実に悔改めて信仰するにあらざればイエスの功を賜ことなし 必ず我を永遠不滅の火に投入られ哀哭切歯して悔るも及なきなり 生前に基督の僕我を訓るに眞理を以てし我を勧て教會に入らしむれども禮服を着ざる者の招れて筵に赴くが如く其席にありてはおほくの客と異なることなきも一旦天父きたりて視たまふときは眞偽立に顕れ刑罰逃がたく徒に教會に入るは誠に益なきことなり イエスは招るるもの多して選るるもの少しと曰たまへり 人常にこの言を以て自ら省みいましむべきなり