コンテンツにスキップ

新約聖書譬喩略解/第二十 無花果の樹斫るの譬

提供:Wikisource

第二十 無花果いちじくきらるるのたとへ

[編集]
路加十三章六節より九節

またこのたとへをいへり 或人あるひとその萄園だうえんうえおきたる無花果樹いちじくありしがきたりこれもとむれどもざりければその園丁はたけつくりいひけるはわれとせきたりてこの無花果樹いちじくもとむれどもこれ斫去きりされ なんぞいたづらふさぐや 園丁はたけつくりこたへけるはしゅわれその周囲まはりほりこれこやしするまで今年ことしゆるせ もしむすばばし もしむすばずばのちこれきるべし


〔註〕とう総督そうとくピラト ガリラヤひところこともつイエスつぐるものあるによりてこのたとへかたりたまへるなり ピラト為人ひととなりはなは厳酷むごくしてガリラヤつみおかすものありしがきたりてんはいするところをうかがひこれその殿堂みやころせり ユダヤこくまつりにはかならうしひつじだん四周まはりそそげり ピラトそのところにおひてひところせしゆへそのぜうながれまつりまざれりといへり きたりつぐるもののこころには献祭まつりときにあたりてかみほうもあるべきにだんまへころさるるはかならずそのひと罪悪ざいあく衆人ひとびとくらぶればもっとはなはだしきゆへこのおもばつうけしなりとおもへるなり イエスかたりたまへるは ひとこの殺害さつがいうけたりともいまだかならずしも罪悪ざいあく報應むくひあらはすにたれりとなしがたし ガリラヤひとうちにはころされざるものにもまたつみおもきものあり シロアムやぐらかたむたをるるとき圧死おしころされし十八じふはちにんのものはエルサレムにすめるすべての人々ひとびとよりもまさりてつみあるものおもふやと ひとみなつみあるによりばつうくべし あるひ生前このよにおひてうけあるひ死後のちのよにおひてうけおそきはやきさだまりなし いまだむくひうけざるはときいたらざるなり ゆへイエスまたこれいましめていひたまふはなんぢ悔改くひあらためずんばまたみなかくのごとほろびんと このことばののちはたしてしるしあり イエス昇天せうてんしたまふののちローマ軍長たいせうタイダスへいひきひエルサレムしろ攻破せめやぶユダヤ人民じんみん股栗おののきおそれだんまへにきたりわざわひのがれんことをてん祈祷いのりたりしがローマへい殿堂みや入来いりきた祈祷いのるものをだんかたわらころしそのながれまた祭物さいもつまざれり またはなち各処しょしょ遷延うつりしろへいかたむきたをれてあまたひと圧死おしころせり このへいころされへい圧死おしころさるるものむかしことなることなし ひと災難さいなんうくるをてこれを大罪だいざい大悪だいあくによるといふはにん審判さばくしり自己おのれ審判さばくらず ひと通病つねのくせなればイエスこころおもひたまふやうなんぢひと災難さいなん突然ふいにきたるをおのれかへりてそのひとかがみとしすみやか自己おのれもまた突然ふいにかかるなんにあはんかと自省みづからかへりみつつしむべし あらかじこのそなへをなさざればなが沉淪ほろびうけん この機會おりによりておのれの悔改くひあらためはげむならばままえきあるべきなりとゆへになんぢ悔改くひあらためずんばまたかならほろびんといへり イエスすでにこのこといひおはりまたこのたとへまうけひとをしてつねこれ記念しるさしめたまへり ○いふ無花果いちじくだうばたけうへたればそのもよくこえかつ園丁はたけつくり日々にちにちこやしそそぎてやまうえひと栽培せわせざるとはおなじからず もと園主あるじこのうゆるはそのむすばんがためなり じゅくするときにいたれば有無あるなきことごとあらはるることなれば園主あるじそのもとむるためにこれ査験しらべり しかるにこのあるのみにてむすばざればおほひ園主あるじのぞみうしなへり ただし園主あるじこのなきをすぐきりのぞかんとするにあらず なほ三年みとせあひだ忍耐こらへ時々よりよりきたりしなり またそのなきを灌漑せわもせずにただながく忍耐こらへたるにあらず そのおのづから生長そだつまかせて植置うへおきしがある園丁はたけつくりかたりていわわれ三年みとせこのむすぶもとむれどもざるなりこれを斫去きりさるべしなんぞいたづらにふさぐやと 園主あるじなんぞふさぐきらへるや あまたうへ美観ながめとなすにあらず このよきもとめんとのぞめるなり むすばざればえきなきのみにあらずほかの肥潤こへげんずればかへつてこのなきまされりとせり たとへえだ蒼々あおあおとしてこまやかなるかげおほふともまたかならおしまざるべし 園主あるじすでにきりすてんとせしに園丁はたけつくり請求こひもとめていふやう今年ことししばらゆるして周囲ぐるりほりこやしそそがばむすぶこともあるべし もしちからつくしてもむすばずばそのときこれるもおそからずまたふたた培養てがへしねがはざるなりただあるじきるまかすべしとなり さてこのたとへほんは(無花果いちじく)をユダヤびとにたとへ(葡萄ぶだうばたけうゆ)とはてんユダヤびとケナン福地よきちたま許多おほくめぐみほどこ言者げんじゃめいじてこれ管理しはいして教訓おしへたまふをす 菓樹くだもの園丁はたけつくりがへしうくるとことなるなし(もとむ)とはてんあつきめぐみたまひその善行よきおこなひあるをもとめたまふをす 聖書せいしょしばしばひと行為おこなひにたとへりかつかみ言者げんじゃくちかりひと善行よきおこなひすすめたまふはもとむるの徴據しるしなり〔以賽いざや五章二節より七節はよくその性質せいしつあらはしよきかならよきにてあしきかならあしきなり によりて善悪ぜんあくわかつなほおこなひひと性質せいしつあらはし善行よきおこなひかなら善人よきひとにて悪行あしきおこなひかなら悪人あしきひとなるがごとくそのおこなひによりてそのひとわかつべし 新約書しんやくしょむすぶかうぜるはみつたぐひわかてり ひとつまことぜんなりあるひ善工よきわざをいひ〔提摩太てもて前二章十節あるひ善行よきおこなひをいひ〔馬太五章十六節あるひしんおこなふをいひあるひかみしごとなすをいへり〔帖撒羅てさろにけ前一章三節れは善心ぜんしんよりおこるものにてこれかみのわざとなせり〔約翰傳よはねでん六章二十八節ふたつにはぜんといふあるひおこなひをいひ〔希伯來へぶる九章十四節あるひおきておこなひるをいふ〔加拉太がらてや二章十六節〕そのことぜんなりといへどこころよりしておこるにあらざればよきもちきたりてうへかけたるがごとくそのよりせうずるにあらざればこれくわとなせり みつには悪行あしきおこなひなりあるひにくおこなひをいひ〔加拉太がらてや五章十九節あるひ昏暗くらきおこなひをいふ〔羅馬ろうま十三章十二節〕これは悪心あくしんよりおこるものにてこれ悪果あくくわとなせり たぐひみつわかてりといへどかみもとめたまふはその善果ぜんくわむすぶことをもとめたまふなり ユダヤびとむすぶくわくわもっとおほ法利はりさいびとしょくきんなが祈祷いのりをなしとをにそのひとつおさむでんまもるがごときはくわなり 悪果あしきくわもまたすくなからずむかしより言者げんじゃころ悪習あしきならひそみしばしばかみむねそむイエスそこなふごときはみな悪果あしきくわなり くにたつるの年代ねんだいはひさしといへどもこの善果よきくわなし ゆへくわもとめてずといへり(三年みとせきたりてもとむ)といふは一説いつせつひとぜんおこなはしめたまふかみさんすといへり 第一だいいちアダム是非ぜひこころあたへそのよきおこなひもとめたまふなり だい二次にじイスラエル律法おきてさづけてそのおこなひきをもとめたまふなり 第三だいさんかい福音ふくいんたまひその善行よきおこなひもとめたまふなり また一説いつせつわかち三層さんだんとせり ひとつかみモーセくちより律法おきてひとおしへたまひふたつには言者げんじゃくちよりげんひとおしへたまひみつにはかみイエスくちより福音ふくいんひとおしへたまふなり また一説いつせつイエスいますとき三年みとせあひだみちつたへたまへり 便すなわちこれ三年みとせもとむるのせうなりと諸説しょせついづれもつうずれどもかならずこれになづむべからず 大約おほむねイエスこころにはしばしばきたりもとむることをいへり ひとたびよりしてふたたび ふたたびよりしてたびとてん忍耐こらへたまふことをあらはせり(園主あるじ園丁はたけつくり)とに両説れうせつあり 或人あるひと園主あるじきらんとするはてんおほやけなる審判さばき園丁はたけつくりかはりこひもとむるはイエスかみみぎいましてひとかはり祈祷いのりたまふことをす〔希伯來へぶる書七章二十五節或人あるひと園主あるじきたりもとむるはイエス福音ふくいんつた三年みとせひとくひあらためすすめたまふことを園丁はたけつくり請求こひもとむるは聖霊せいれいわれ荏弱よはきたすけわれいのるべきこといはしめたまふをす〔羅馬ろうま八章二十六節二十七節 創世記六章三節両説れうせつともあれどもまへせつただしとなす ひとかはり祈祷いのるはイエスとし聖霊せいれいとするをろんぜず ただしゅつみばつしたまふのときゆるめんことをもとかれくひあらたむ機會おりあらしめたまふなり けつしめぐみたまふによりて審判さばきすてたまふことなし しゅ永遠かぎりなきばつくわへたまはざるをもとむるなり 究竟つまり恩惠めぐみたまはれども公議おほやけのさばきむねとなしたまふ ゆへにもしむすばざればこれれといへるなり 世末をはりときには救主すくひぬし審司さばきてとなりおほやけ審判さばつみゆるしたまはざるなり かみわざはひひとくわへたまはんとするにまづそのときゆるめたまへり 洪水かうずいわざはひごときはひゃく十年じふねんまついたれり〔創世記六章三節ソドム ゴモラゆうほろぼさんとするときにアブラハムかはり請求こひもとむるをゆるしたまひ十人じふにん義者ただしきものあらばばつくださずといひたまへり〔創世記十八章二十四節ユダヤひとイエス釘死ころせしは十年じふねんまつエルサレムほろぼせり またしゅ約束やくそくしたまひしところおこなひたまふにおそきは或人あるひとおそきとおもふがごときにあらず 一人ひとりほろぶるをものぞみたまはずすべてのひと悔改くひあらためいたらんことをのぞみたまふてわれながしのびたまふなり〔彼得ぺてろ後書三章九節〕(すたるによりてるべし)といふはこのあしどくあるによりて剪除きりすてんとするにあらず さればひと大罪だいざいあるにより刑罰けいばつうくるにあらず 日々にちにちてんめぐみながらさかへてんせずてんしゃせずまたあやまちあらためずぜんうつらざるはひとのりとなすべからず 家族やからもそのところならひまたおなじようとならん しんさまた所謂いわゆるすてるなり ユダヤひとてん誡命いましめしれどもたへ善行よきおこなひなくさかへかみせざるはまったくこのついへおかせるなり(園丁はたけつくり周囲ぐるりほりこやしそそぐ)といふイエス教訓おしへ聖霊せいれいたすけとをせり ひとてん忍耐にんたいていまだ剪盡きりつくさざればなほ善法よきてだて教導おしへみちびきよくふるきをすてあたらしきしたがはしめたまへり これくわい聖書せいしょいへ眷顧めぐみなり〔路加十九章四十一節四十四節ユダヤこくのみしかるにあらずすべてひとみなこのくわいあり このくわいおへかみめぐみやすくこのくわいうしなへばかならかみばつうくべきなり つみあるをしりなほ悔改くひあらためざるものは立刻たちどころ醒悟さとるべし 眷顧めぐみいま盡頭つきんとするイエスよらずんばおそらくはわが壽命いのちもまたつきんとせんくゆるともおひがたし たとせずしてこころたまたまさとることあるもややまたまよひしづま救主すくひぬしかはりもとめたまふことなく聖霊せいれいくわんくわなくなが心硬こころふさがりてつひ悔改くひあらたむときなし くわいひとたびすぎなばまたがたくてんめぐみたへなんとす