新約聖書譬喩略解/第二十一 大宴の譬

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第二十一 大宴おほふるまひたとへ[編集]

路加十四章十五節より二十四節

イエスかれいひけるは或人あるひとおほひなるふるまひまうけ多賓おほぜいまねけり ふるまひのときしもべそのまねきたるものつかはして百物すべてのものはやそなはりたればきたるべしといわせけるにかれみなおなじことわりぬ そのはじめものかれにいひけるはわれでんかひたればゆきざるをねがはくはわれゆるたまへ また一人ひとりものいひけるはわれいつくびきうしかひたればこれこころむるためにゆかねがはくはわれゆるたまへ また一人ひとりものいひけるはわれつまめとりたり是故このゆへゆくことをざるなり そのしもべかへりて主人あるじつげければ主人あるじいかつそのしもべいひけるはすみやかにむら衢巷ちまたゆき貧者まづしきもの癈疾かたわ跛者あしなへ瞽者めしひなどをここ引来ひききたれ しもべいひけるはしゅおほせごとなせしかれどもなほあまりのあり 主人しゅじんしもべいひけるは道路みち藩籬まがきほとりにゆきしひ人々ひとびと引来ひききた我家わがいへみたしめよ われなんぢらにつげん かのまねきたる人々ひとびと一人ひとりだにわがふるまひあぢはものなし


〔註〕このたとへだい十二のわう婚筵こんれいたとへとはおほひ分別わかちあり わう婚筵こんれいたとへすでまへつまびらかなり このたとへまうけたまふゆへイエスひとり法利はりさいつかさなるもののいへいたりたまひしに尋常よのつね饗應ふるまひにあらず 大筵おほふるまひまうけ款待もてなせり そのときイエス請所まねくところものたまふにふうひとあるひ書士がくしゃともがらのみきゃくとなりてければ貧苦まづしきのものをよくあわれむべきことをおし義人ただしきひと復活よみがへらんときむくひんことをときたまひしに〔本章十二十三十四節ともしょくするものうち一人ひとりいひけるはかみくにしょくするものはさいわひなりと〔本章十五節〕そのこころ自己おのれもとよりしんあきらかにするのひとにて死後しごにはかなら天國てんこくふるまひにあづかるべきなりとおもへり イエスそのもの心中しんちう驕傲ほこるりたまひしゆへこのたとへかたりてそのひとならびにこのありあふひと警戒いましめられめさるるものいまだかならずしもえらばれずといへり 此時このとき筵席ふるまひにありしゆへすなわち目前もくぜんことたとへとなせり このたとへほんは(或人あるひと)とはてんし(大宴おほふるまひ)はてんおほひなるめぐみす ひと生前このよ福音ふくいん霊賜めぐみ死後のちのよに天國てんこく永福かぎりなきさいわひうくるをいへるなり(多賓おほぜいまね)はてん萬民ばんみんまね信者しんじゃとなしたまはんことをせり 聖書せいしょ所謂いわゆる諸俗しょぞく諸舌しょおん諸民しょみん諸國しょこくうちよりかみせしむと〔黙示録五章九節〕のこころなり(はじまねかるるひと)は書士がくしゃ法利はりさいともがらし(しもべ)はイエスおよびすべての傳道者でんだうしゃす 書士がくしゃ法利はりさいともがらとは舊約きうやくよみ天國てんこくいたるのときあることをれり ここにいふ(ふるまひとき)はこの天國てんこくいたるのときせり イエスならび使徒でしともがらひとすすめみちしんぜしめ天國てんこくちかしといへるはすなわちこのこころなり(百物すべてのものそなは)とは福音ふくいんにいふところのさいわひおのおのひとしくそなはるをす てんめぐみありイエスあがなひあり聖霊せいれいくわんくわあり今世このよ安慰なぐさめ来世のちのよ大榮おほひなるさかへありこれみなかくることなきをいへり(かれみなおなじことわり)とはみちききしんぜざるものをす 三人さんにんことわうち一人ひとりでんのため一人ひとり生意あきなひのため一人ひとり家内かないのためにてみな本分ほんぶんことによりたればいなむことわりなれどもすで主人あるじきたりまねくときはまづ筵席ふるまひおもむきてのちようをなすべきにおのおのわたくしことによりてゆか多方いろいろこと推諉かこつけことわるは主人あるじ恩賜めぐみゆるがせにするなり ひとあるひ家業しんだい富饒とめるしたあるひ貿易あきなひ繁昌はんぜうむさぼあるひ酒食しゅしょく逸楽たのしみおぼれててんひとつかはして福音ふくいんつた悔改くひあらためまねくいへどこばみしんぜずつひ大宴おほふるまひいなむおなじ これ軽重けいじやうべつあやませんだいらずといふべし イエスまづかみくにただしきとをもとめよさらばこれものはみななんぢくはへらるべしといひたまひしをよくこころとむべきなり〔馬太六章三十三節ひとにあるらく暫時しばしにしてよくそのねがひとぐるもまことさいわひにあらずこれ肝要かんようとなすべからず 天國てんこくしたぜううすんずべし ポーロいは兄弟けうだいわれこれをいわんいまよりのちときちぢまれり そはつまもてものもたざるがごとこのもちゆるものはもちひざるがごとくすべきためなり それこの情状ありさま過逝すぎゆくなりと〔哥林多こりんと前書七章二十九節より三十一節聖書せいしょにはしばしばこのことをおしへたまへどもひとさとらざるはおしむべきことなり はじまねところのものきたらず 主人あるじいかりしもべめいじてむら衢巷ちまたゆきまづしきもの癈疾かたわものあしなへのものめしひなるものを引来ひききたるといふこの衢巷ちまた)はまちうちにありて衆人ひとびと往来ゆききするところなり これユダヤくにせり まづしきものより以下いかひとこころうちみづかちからなきをりさまざまのくせあるをるをす 税吏みつぎとり悪人あくにんたぐひごときは書士がくしゃならび法利はりさいともがらもっとかろんずるところなり のち主人あるじまたしもべめいじて道路みち藩籬まがきほとりにゆきしひひとすすきたるといふこの藩籬まがき)は城市まちそとにて田舎いなか耕作かうさくをなすところにあり これはうせり しひすすむところひとぞくせり これひともとより偶像ぐうぞうはいまことかみらずまた書士がくしゃ法利はりさいともがらかろんずるところなり(主人あるじひとししもべめいじてしひすすめきたる)はイエス税吏みつぎとり悪人あくにんまねきて悔改くひあらためしめて弟子でしとなしまた弟子でしつかはして福音ふくいんぞくつたぞくひと天國てんこくすすましむるをせり(しひすすむ)といふは田舎いなか野老ものふくひとしからず形容なり鄙陋いやしくこれまねき荘厳りっぱなる坐席ざしきにつかしむるときはみづか羞赧はづかしきたへざるなり さればこそしひこれまねきたるなり すべてひとみづからおもつみあるをるものは天國てんこくさいわひるにたへずとおもへり そのこころまかせなばますます畏縮ちぢまりてすすまずこと推諉かこつけいなまんとせり ゆへしひこれ教訓おしへこれせめ悔改くひあらたむることをせしめんとするなり しひ教會けうくわいるるをいふにあらず(まねところひと一人ひとり我宴わがふるまひあじはふものなし)とはすべてめさるれども接納うけいれざることをせり 法利はりさいともがらともすくひざるがごとし さればこのたとへよみイエス教訓おしへさとてん意旨みこころるも天國てんこくすすまずんばかなら永生かぎりなきいのちうくるあたはざるをるべし こころみおもへまことかみめぐみかくごとふか生前このよ我心わがこころ安慰なぐさ死後のちのよ我霊わがたましひすくひたまひ天國てんこく大筵おほふるまひたのしみきはまりなし 紛紜まぎらしき世事よのことより其途そのみちへだてたつべけんや もし肉情にくぜうよくにほだされ慈悲じひめぐみゆるがせにせばかならかみ義怒ただしきいかりむかへ恩施たまものうばはるべし これわれもまたかれ大宴おほふるまひいなむのうちにあるなり まことみちくものはかみ大宴おほふるまひいなむをいましめとなすべきなり