第二十七 無益の僕の譬[編集]
- 路加十七章七節より十節
誰か爾曹の中に或は耕し或は畜を牧僕あらんに彼田より帰たる時亟に徃て食に就といふ者あらんや 反て曰ずや我食を備へ我食飲をはるまで帯を束われに事て後なんぢら食飲すべしと 僕主人の命ぜし事に従へばとて主人彼に謝すべきか然じと我は意へり 斯ば亦爾等命ぜられし事を皆行たる時も我儕は無益の僕なすべき事を行たるなりと謂
- 〔註〕此譬はイエス弟子に教たまふに世間に在ては兎角迷る事ありて他人の信仰を阻ることありと語たまひまた兄弟おのれに罪を得るとも包容にして縦一日に七次罪を得るも赦すべしと説たまふを弟子聴て信者となるは甚だ難ことなりと思ひ恐くは自己軟弱して担当ことなりがたしと因て主に求めて信徳を加へたまはんことを願へり 故にイエス此譬を説信者となるは艱難なりと雖も勉めて力を盡し急べからず略辛苦に遇ばすなわち安慰を求んとするものなれば必ず備に諸難を嘗て救主に服事を肝要とし又おのれ主に代て力を出すも自己の功労となすべからず謙遜て自ら無益の僕と謂べしと諭たまへるなり すべて救主の弟子は救主の吩咐を受ること人の僕となりて主人の吩咐を受るが如し眞に信徳あるものは天父に敬事へ惰て半途に廃ることなく天父の賞賜遅しとも心を安じて之を待又慎て自ら功績に誇ること勿れ 世上の艱難を遍く歴たりとも厳に主の命に順て行ふべし 歴代の信者はみな斯の如く行へり 或人曰(僕の主に事るは極て勤労とも亦自ら無益といふべし)とはユダヤ人の天父に服事るは律下にありて恩の下にあらざれば厳に誡命を守る而已にては徒に労して益なし 故に弟子は信徳を以て神の子となりユダヤ人の律法を恃みて神の僕となるを学ぶべからずといふを指せりと 此説理ありと雖も恐くはこの譬の本意にあらず 本意は前説の如く講ずべし イエス此譬を以て我儕に自己の本分を知べきことを教へたまへるなり 我儕すでにイエスを稱へて主となすときは我儕は便イエスの僕なり 辛勤て服事るは理の素よりなすべき所なり 命を受て辭まざるは自己本分の事なれば之を益ありといふべからず 時としてはイエス我儕を友となし兄弟なしたまへども是れは彼の恩を以て斯謂たまへるなり されば今日すでに僕の作をなすべきの時機なり 安然として偃息べきの時にあらず