教育議

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博文

誠惶頓首、前日

陛見ヲ忝クシ下問親シク教育ヲ改良シ以テ風俗ヲ矯正スルノ事ニ及フ、此レ誠ニ

聖意ノ在ル所、深ク時弊ヲ鑑ミ、宏図悠遠ナリ、感激ノ至ニ堪ヘス、謹テ議一道ヲ草シ、仰テ

聖鑑ヲ乞フ、葢シ

陛下ノ既ニ悉セル所ノ者、敢テ贅言ヲ重ネ以テ聡聴ヲ煩サス、今陳スル所ノ者ハ、専ラ闕遺ヲ採拾シ、涓埃ノ微、万一ニ裨補センコトヲ願フノミ、惟

聖明之ヲ裁セヨ

博文誠惶誠恐頓首

明治十二年九月


教育議

詐ヲ尚ヒ利ヲ務メテ廉恥ヲ知ラス、訟ヲ好ミ争ヲ長シテ情誼ヲ顧ミス、礼譲地ニ墜チ、倫理漸ク衰フ、是ヲ制行ノ敗レトス、好テ怪僻ノ説ヲ為シ、輙ク激昻ノ論ヲ掲ケ、人心ヲ扇動シ、国体ヲ破壊シ、禍乱ヲ醸成シテ以テ快ト為ス、是ヲ言論ノ敗レトス、此二ツノ者其勢相依ル、要シテ之ヲ論スル時ハ、実ニ風俗ノ弊ニ外ナラス、此時ニ当テ教育ノ道ヲ慎ムコト固ヨリ緊要トス、

但風俗ノ弊、葢シ由テ来ル所アリ、譬ヘハ疾ヲ治ムルカ如シ、先ツ其病因ヲ求メテ而シテ後始メテ薬石ヲ下スヘシ、病因明ナラスシテ、専ラ病候ニ拘ハルトキハ、剤ヲ下スニ誤ラサル者少ナシ、今弊端ノ因由スル所ヲ求メテ之ヲ左ニ述ヘントス、

維新ノ際、古今非常ノ変革ヲ行フテ、風俗ノ変亦之ニ従フ、是勢ノ已ムヲ得サル者ナリ、何トナレハ第一鎖国ノ制ヲ改メテ交際ノ自由ヲ許シ、第二封建ヲ廃シテ武門ノ紀律ヲ解ク、葢シ鎖国ノ制ハ、人心ヲ拘束シテ故常ニ安習シ、耳目ヲ制限シテ範囲ノ中ニ局促シ、他ニ企テ望ム所アルヲ得サラシム者ナリ、封建ノ紀律ハ、戦国ノ余ニ出テ、士人廉隅ヲ磨砺シ、名ニ死スルヲ以テ栄トス、生ヲ計ル者ハ汚トシ、利ヲ言フ者ハ歯セス、而シテ割拠ノ遺風、各藩自ラ限リ、運輸通セス、人民去留ノ自由ナク、郷里ニ老死シテ都鄙相移ラス、此二ツノ者ハ、中古数百年以来現ニ十年前迄ニ行ハレタル風俗ナリ、然ルニ世道一変シ、廟堂深ク宇内ノ大勢ヲ察シ、断シテ之ヲ行ヒ、尽ク鎖国封建ノ旧ヲ改ム、是ニ於テ我人民始メテ意ノ向フ所ニ従ヒ、尋常例格ノ外ニ馳驟シ、云為自由ナルヿヲ得、然而一時勢ノ激スル所、淳風美俗其中ニ在ル者モ、亦従テ倶ニ亡ヒタリ、是ヲ一大原因トス、

言論ノ敗レニ至テハ、更ニ又諸般ノ原因アリ、今之ヲ歴挙センニ、新タニ世変ヲ経、兵乱相継キ、人心躁急ニ習フテ、静退ニ難シ、而シテ詭言行ヒ易ク、激論投シ易シ、是其一ナリ、士族ノ産ヲ失フ者、其方嚮ニ迷ヒ、不平之ニ乗シ、一転シテ政談ノ徒ト為リ、故サラニ激切ノ説ヲ為シテ以テ相聳動ス、是其二ナリ、欧州過激政党ノ論、漸ク世変ヲ醸成シ、未タ底止スル所ヲ知ラス、而シテ其影響ハ暗ニ我東洋ニ波及シ、唱和ヲ相為ス者アリ、是其三ナリ、此数多ノ者ハ、前ノ一大原因ヲ幇助シテ、其勢ヲ激成スルコト、猶数個小川ノ均シク一大川ニ聚マリ、其流レヲ増加スル者ノ如シ、

概シテ之ヲ論スルニ、風俗ノ弊ハ、実ニ世変ノ余ニ出ツ、而シテ其勢已ムヲ得サル者アリ、故ニ大局ヲ通観スルトキハ、是ヲ以テ偏ニ維新以後教育其道ヲ得サルノ致ス所ト為スヘカラス、但之ヲ救フ所以ノ者如何ト云ニ至テハ、教育ノ法、尤其緊要ノ一ニ居ルノミ、抑弊端ノ原因ハ、既ニ専ラ教育ノ失ニ非ス、故ニ教育ハ此弊端ヲ療スル為ニ間接ノ薬石タルニ過キス、以テ永久ニ涵養スヘクシテ、而シテ急施紛更以テ速効ヲ求ムヘカラス、

明治五年学制ヲ頒布セシ而来、各地方遵奉施行、今日ニ至リ纔カニ成緒ニ就ク、但其興立日浅ク、或ハ形相ニ失シテ精神ニ欠キ、其末ニ馳セテ其本ヲ遺ス者アリ、今誠ニ廟議ヨリ出テ振作シテ之ヲ拡張シ、其足ラサル所ヲ修補セハ、文明ノ化猶之ヲ数年ノ後ニ望ムヘシ、其教則ハ略ホ現行ノ法ニ依リ、而シテ読本ノ倫理風俗ニ係ル者ハ、其良善ナルヲ択テ之ヲ用ヒシメ、又教官ヲ約束シ、教官訓条ヲ施行シ、其レヲシテ自ラ制行ヲ謹ミ言議ヲ平カニシ、生徒ノ模範タラシムヘシ、

更ニ又慮ルヘキ者アリ、凡ソ物其弊ヲ見ルニ当テ、或ハ匇遽紛更シテ以テ矯正ヲ求メ、従テ又一偏ニ傾欹シ、他ノ弊端相因テ生スル者アリ、此尤政抦ヲ執ル者ノ慎重セサルヘカラサル所ナリ、維新ノ初、廟堂遠ク観深ク慮リ、陋ヲ洗ヒ頑ヲ破ル、其艱キコト蟠根ヲ析クカ如シ、全力ノ致ス所僅カニ成緒ヲ期ス、今或ハ末弊ヲ救フニ急ニシテ、従テ大政ノ前轍ヲ変更シ、更ニ旧時ノ陋習ヲ回護スルカ若キコトアラハ、甚タ宏遠ノ大計ニ非サルナリ、

若シ夫レ古今ヲ折衷シ、経典ヲ斟酌シ、一ノ国教ヲ建立シテ、以テ行フカ如キハ、必ス賢哲其人アルヲ待ツ、而シテ政府ノ宜シク管制スヘキ所ニ非サルナリ、

唯政府深ク意ヲ留ムヘキ所ノ者、歴史文学慣習言語ハ、国体ヲ組織スルノ元素ナリ、宜シク之ヲ愛護スヘクシテ、之ヲ混乱シ及ヒ之ヲ残破スルコトアルヘカラス、高等生徒ヲ訓導スルハ、宜シク之ヲ科学ニ進ムヘクシテ、之ヲ政談ニ誘フヘカラス、

政談ノ徒過多ナルハ、国民ノ幸福ニ非ス、今ノ勢ニ因ルトキハ、士人年少稍ヤ才気アル者ハ、相競フテ政談ノ徒トナラントス、葢シ現今ノ書生ハ、大抵漢学生徒ノ種子ニ出ツ、漢学生徒往々口ヲ開ケハ輙チ政理ヲ説キ、臂ヲ攘ケテ天下ノ事ヲ論ス、故ニ其転シテ洋書ヲ読ムニ及テ、亦静心研磨、節ヲ屈シテ百科ニ従事スルコト能ハス、却テ欧州政学ノ余流ニ投シ、転タ空論ヲ喜ヒ、滔々風ヲ成シ、政談ノ徒都鄙ニ充ルニ至ル、今其弊ヲ矯正スルハ、宜シク工芸技術百科ノ学ヲ広メ、子弟タル者ヲシテ高等ノ学ニ就カント欲スル者ハ、専ラ実用ヲ期シ、精微密察歳月ヲ積久シ、志嚮ヲ専一ニシ、而シテ浮薄激昻ノ習ヲ暗消セシムヘシ、葢シ科学ハ、実ニ政談ト消長ヲ相為ス者ナリ、若シ夫レ法科政学ハ、其試験ノ法ヲ厳ニシ、生員ヲ限リ、独リ優等ノ生徒ノミ其入学ヲ許スヘシ、其詳細節目ハ、文部ノ委員ニ任シ、按ヲ具ヘシムヘキナリ、


  • 底本: 『教育勅語渙発関係資料集 第一巻』国民精神文化研究所、1938年3月
  • 底本中の旧字を新字に改めた。
  • 「コト」の合字は「ヿ」を用いて表記した。

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