<< すべての徳行も又すべての悪行も互に関連すること、環の鎖に於ける如くして、一は他に係る事。 >>
一、 至愛者よ、外部に属する苦行的生活と、生活の有様の高尚にして第一なる者につきては左の如くなりと知るべし、すべての徳行は互に相関連すること、霊神的鏈鎖における環の如くにして、一は他に係るなり、即祈祷は愛に係り、愛は喜に、喜は温柔に、温柔は謙遜に、謙遜は勤勉に、勤勉は望に、望は信に、信は従順に、従順は正直に係るなり。かくの如くこれと反対なる側にありても、悪行は一は他に係るなり、怨恨は忿怒に係り、忿怒は驕傲に、驕傲は虚誇に、虚誇は不信に不信は残忍に、残忍は緩慢に、緩慢は懶惰に、懶惰は煩悶に、煩悶は不勘忍に、不勘忍は奢侈に係るなり、其他諸の悪習も亦互に関連すること、猶善なる側にありて徳行の互に相関連して一は他に係るが如し。
二、 すべて善なる勉励の中に於て首要なるものと功労の頂上とは、勉焉として祈祷に専なるにあり。祈祷を以て神にねがひて他の徳行を日々に求むることを得べし、祈祷の賜を得たる者に於て神の聖徳と霊神上の力に親與することも、聡明なる心情が主に対する得もいはれざる愛に連合一致することも、此より生ぜん。けだし日々に己を強ひて祈祷を務むる者は、神に対する霊神的愛を以て神聖なる心服と火焔の如くなる願望との為に燃え人を聖にする霊神的完全の恩寵をうけん。
三、 問、 人あり財産を売り、奴隷を放ち、誡命を遂行すれども、此世に於て神をうくるを力めざるにより、彼等はかくの如く生活するも天国に入らざるか。
答、 これ精考を要するの件なり。けだし或者は主張していふ、国も一、地獄も一なりと、しかれども我等はいはん、同一の国と又同一の地獄に多くの階段と差異と程度のあるありと。それすべての肢体に於て霊魂は一なれども、上にありては彼は大脳の中に働き、下にありては彼は足を動かさしむ、神性もかくの如し、彼は天にあるものをも下は淵にあるものをも悉くの造物を包括して、其測るべからざると囲む能はざるとにより、造物の外にも居れども、何処にもすべて造物の中に在り。ゆえに神性はみづから人々に注意してすべてを睿智を以て摂理するなり。それ或者は求むるところを知らずして祈祷し、他は禁食し、又他は役事に専なるにより、義なる審判者たる神は信仰の量にしたがひて各人を賞するなり。けだし彼等が為すところのものは神を畏るるの寅畏によりて為せども、彼等はみな悉く子たり、王たり、嗣業者たるにあらざるなり。
四、 一は世に於て殺人者たり、他は姦淫者たり、或者は搶奪者たれど、或者等は亦己の財産を貧者に分ち施さんに、主は彼と此とを見て、善を為す者には慰安と賞とをあたふべし、而して餘り有るの分量もあり、又些少なる分量もありて、其光と其栄とに於ては種々同じからざるなり。地獄と罰とに於ても毒殺者あり、盗賊あり、又他の小事に於て罪を犯しゝ者あらん。されば天国は一、地獄も一にして、階級あらずと、断定する者は悪しく説を為すなり、今日観玩に耽り、其他の放蕩に溺るる世の人類は幾許あるか。また祈祷して神を畏るる者は幾許あるか。神は彼と此とを見、義なる審判者として、一者には慰安をそなへ、他者には罰をそなふるなり。
五、 人々車に駕し、馬を御して、互に突進し、おのおの敵を衝落して、勝を奏せんを努む。かくの如く苦行者等の心はみづから観場をあらはして、かしこに凶悪の諸神は霊魂とたたかひて、神と天使等は苦行を諦視せん。然のみならず、多くの新なる意念は時々霊魂を以て生ぜらるべく、亦悪者を以て入れらるるなり。けだし霊魂は隠れたる意念を多く有するありて、時にこれを生出せしむべく、また悪者にも多くの意念と目算とありて、時々霊魂に向つて新なる意念を生ぜしめん、何となれば智は騎士なり、彼は霊車に駕し、意念の轡を執りて、サタナの車に向つて突進す、けだしサタナも霊魂に向つて車を準備すればなり。
六、 問、 祈祷は即慰安なるに、或者等『祈祷するあたはず』といひて、祈祷を務めざるは何故か。
答、 慰安は其有餘を以て矜恤又は他の勤に及ぼさん、たとへば兄弟を訪問し、傳道を勤むる如き是なり。又天性も往て兄弟と遇ふて言を述ぶるを促す。火に投ぜらるるものは其天性のままにて存するあたはず、必ず自ら火とならん。かくの如く、もし細末なる石を火に投ぜば、それよりしてそこばくの石灰は成らん。もし人は餘りに深く海中に沈みて、其中心に至らば、溺死せん。されど漸々水中に入る者は再び出で来り、浮んで、岸に達して、陸上の人を見んと欲す。霊神界に於てもかくの如し、或人は恩寵の深きに入りて更に其友の事を記憶すべく、又天性も行て兄弟に至り、愛の本分を盡し、言を以て彼等を堅めんことを促す。
七、 問、 恩寵と罪とは同時に心中に居るを得るか。
答、 火は銅器の外にあれど、次で薪を添ふるときは、器は熱して、器の内にあるものは器の外に燃ゆる火の為に煮られて沸騰せん。されどもし人は怠りて薪をそへずんば、熱は漸々減じて消滅せん、かくの如く恩寵も汝の内部にある天の火なり。もし汝は祈祷して、其意念をハリストスを愛するの愛に付するならば、さながら薪をそふる如く、汝の意念は神を愛するの愛に浸されん。それ神は遠ざかりて汝の外にあるが如しといへども、彼は汝の内にも居りて、汝の外にあらはるるなり。されどもし誰か聊たりとも或は世事に或は放心に自から己を委して、漸く怠慢なるときは、罪は再び来り、霊魂を衣て、人を窘逐するを始めん。霊魂は以前の安息を思出し、憂愁して、しきりに苦しむを始めん。
八、 智は新に神に向ひ、以前の慰安は新にかれに近づき来り、神をいよいよ切に尋ぬるを新に始めていはん、曰く『主よ汝に切願す』と。霊魂を燃してこれを安んぜしむる火は漸々加はり来ること、恰も釣針を以て魚を少しづつ深處より引出す如くならん。しかれどももしこれあらずして、霊魂は苦きと死とを味ふならば、いかんぞ苦きを甘きより、死を生より区別して、生活を施すの父と子と聖神を世々に感謝するを得ん。アミン。