埃及マカリイ全書/第四十講話

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第四十講話[編集]

<< すべての徳行とくこうまたすべての悪行あくこうたがひ関連かんれんすること、たまきくさりけるごとくして、いつかかこと。 >>

一、 愛者あいしゃよ、がいぞくするぎょうてき生活せいかつと、生活せいかつ有様ありさま高尚こうしょうにして第一だいいちなるものにつきてはごとくなりとるべし、すべての徳行とくこうたがひあひ関連かんれんすること、霊神的れいしんてきれんにおけるたまきごとくにして、いつかかるなり、すなはちとうあいかかり、あいよろこびに、よろこび温柔おんじゅうに、温柔おんじゅう謙遜けんそんに、謙遜けんそん勤勉きんべんに、勤勉きんべんのぞみに、のぞみしんに、しん従順じゅうじゅんに、従順じゅうじゅん正直せいちょくかかるなり。かくのごとくこれと反対はんたいなるかはにありても、悪行あくぎょういつかかるなり、怨恨えんこん忿ふんかかり、忿ふん驕傲きょうごうに、驕傲きょうごうきょに、きょしんしん残忍ざんにんに、残忍ざんにん緩慢かんまんに、緩慢かんまんらんに、らん煩悶はんもんに、煩悶はんもん勘忍かんにんに、勘忍かんにんしゃかかるなり、そのもろもろ悪習あくしゅうまたたがひ関連かんれんすること、なほぜんなるかはにありて徳行とくこうたがひあひ関連かんれんしていつかかるがごとし。

二、 すべてぜんなる勉励べんれいうちおい首要しゅようなるものと功労こうろう頂上ちょうじょうとは、勉焉べんえんとしてとうもっぱらなるにあり。とうもつかみにねがひて徳行とくこう日々ひびもとむることをべし、とうたまものたるものおいかみ聖徳せいとく霊神れいしんじょうちからしんすることも、聡明そうめいなる心情しんじょうしゅたいするもいはれざるあい連合れんごういつすることも、これよりしょうぜん。けだし日々ひびおのれひてとうつとむるものは、かみたいする霊神的れいしんてきあいもつ神聖しんせいなる心服しんぷくえんごとくなる願望がんぼうとのためひとせいにする霊神的れいしんてき完全かんぜん恩寵おんちょうをうけん。

三、 問、 ひとあり財産ざいさんり、れいはなち、誡命かいめい遂行すいこうすれども、このおいしんをうくるをつとめざるにより、かれはかくのごと生活せいかつするも天国てんこくらざるか。

答、 これ精考せいこうようするのけんなり。けだし或者あるもの主張しゅちょうしていふ、くにいつごくいつなりと、しかれどもわれはいはん、同一どういつくにまた同一どういつごくおほくの階段かいだん差異さいていのあるありと。それすべてのたいおい霊魂たましひいつなれども、うへにありてはかれ大脳たいのううちはたらき、したにありてはかれあしうごかさしむ、神性しんせいもかくのごとし、かれてんにあるものをもしたふちにあるものをもことごとくの造物ぞうぶつ包括ほうかつして、そのはかるべからざるとかこあたはざるとにより、造物ぞうぶつほかにもれども、何処いづこにもすべて造物ぞうぶつうちり。ゆえに神性しんせいはみづから人々ひとびとちゅうしてすべてをえいもつせつするなり。それ或者あるものもとむるところをらずしてとうし、禁食きんしょくし、またえきもっぱらなるにより、なる審判者しんぱんしゃたるかみ信仰しんこうりょうにしたがひて各人かくじんしょうするなり。けだしかれすところのものはかみおそるるの寅畏おそれによりてせども、かれはみなことごとたり、おうたり、業者ぎょうしゃたるにあらざるなり。

四、 いつおい殺人者さつじんしゃたり、姦淫者かんいんしゃたり、或者あるもの搶奪者そうだつしゃたれど、或者あるものまたおのれ財産ざいさん貧者ひんしゃわかほどこさんに、しゅかれこれとをて、ぜんものにはあんしょうとをあたふべし、しかしてあまるの分量ぶんりょうもあり、またしょうなる分量ぶんりょうもありて、そのひかりそのさかえとにおいては種々しゅじゅおなじからざるなり。ごくばつとにおいても毒殺者どくさつしゃあり、盗賊とうぞくあり、またしょうおいつみおかしゝものあらん。されば天国てんこくいつごくいつにして、階級かいきゅうあらずと、断定だんていするものしくせつすなり、今日こんにち観玩かんがんふけり、その放蕩ほうとうおぼるる人類じんるい幾許いくばくあるか。またとうしてかみおそるるもの幾許いくばくあるか。かみかれこれとをなる審判者しんぱんしゃとして、一者いつしゃにはあんをそなへ、しゃにはばつをそなふるなり。

五、 人々ひとびとくるまし、うまぎょして、たがひ突進とっしんし、おのおのてき衝落つきおとして、かちそうせんをつとむ。かくのごとぎょうしゃこころはみづから観場かんぢょうをあらはして、かしこに凶悪きょうあく諸神しょしん霊魂たましひとたたかひて、かみてん使ぎょうていせん。しかのみならず、おほくのあらたなるねん時々ときどき霊魂たましひもつしょうぜらるべく、また悪者あくしゃもつれらるるなり。けだし霊魂たましひかくれたるねんおほゆうするありて、ときにこれを生出せいしゅつせしむべく、また悪者あくしゃにもおほくのねん目算もくさんとありて、時々じじ霊魂たましひむかつてあらたなるねんしょうぜしめん、なんとなれば騎士きしなり、かれ霊車れいしゃし、ねんくつわりて、サタナくるまむかつて突進とっしんす、けだしサタナ霊魂たましひむかつてくるまじゅんすればなり。

六、 問、 とうすなはちあんなるに、或者あるものとうするあたはず』といひて、とうつとめざるは何故なにゆえか。

答、 あんそのゆうもつ矜恤きょうじゅつまたつとめおよぼさん、たとへば兄弟けいてい訪問ほうもんし、傳道でんどうつとむるごとこれなり。また天性てんせいゆき兄弟けいていふてことばぶるをうながす。とうぜらるるものはその天性てんせいのままにてそんするあたはず、かならみづかとならん。かくのごとく、もし細末さいまつなるいしとうぜば、それよりしてそこばくの石灰いしばひらん。もしひとあまりにふか海中かいちゅうしづみて、その中心ちゅうしんいたらば、できせん。されど漸々ぜんぜん水中すいちゅうものふたたきたり、うかんで、きしたつして、陸上りくじょうひとんとほつす。霊神界れいしんかいおいてもかくのごとし、或人あるひと恩寵おんちょうふかきにりてさら其友そのともことおくすべく、また天性てんせいゆき兄弟けいていいたり、あい本分ほんぶんつくし、ことばもつかれかためんことをうながす。

七、 問、 恩寵おんちょうつみとはどう心中しんちゅうるをるか。

答、 どうほかにあれど、ついたきぎふるときは、うつはねつして、うつはうちにあるものはうつはそとゆるためられて沸騰ふっとうせん。されどもしひとおこたりてたきぎをそへずんば、ねつ漸々ぜんぜんげんじて消滅しょうめつせん、かくのごと恩寵おんちょうなんぢないにあるてんなり。もしなんぢとうして、そのねんハリストスあいするのあいするならば、さながらたきぎをそふるごとく、なんぢねんかみあいするのあいひたされん。それしんとほざかりてなんぢほかにあるがごとしといへども、かれなんぢうちにもりて、なんぢほかにあらはるるなり。されどもしたれいささかたりともあるひせいあるひ放心ほうしんみづからおのれして、ようや怠慢たいまんなるときは、つみふたたきたり、霊魂たましひて、ひと窘逐きんちくするをはじめん。霊魂たましひぜん安息あんそくおもひいだし、憂愁ゆうしゅうして、しきりにくるしむをはじめん。

八、 あらたかみむかひ、ぜんあんあらたにかれにちかづききたり、かみをいよいよせつたづぬるをあらたはじめていはん、いはく『しゅなんぢ切願せつがんす』と。霊魂たましひもやしてこれをやすんぜしむる漸々ぜんぜんくははりきたること、あたか釣針つりばりもつうおすこしづつふかより引出ひきいだごとくならん。しかれどももしこれあらずして、霊魂たましひにがきととをあぢはふならば、いかんぞにがきをあまきより、せいよりべつして、生活せいかつほどこすのちち聖神せいしん世々よよ感謝かんしゃするをん。アミン。