埃及マカリイ全書/第三十九講話

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第三十九講話[編集]

<< かみわれ神聖しんせいなるしょあたへたるはなんためか。 >>

一、 おうあり、その詔勅しょうちょくそのたまものとをあたへんとほつするもの文書ぶんしょつかはし、しゅうらしめていはん、『すみやかわれきたりておうたまものわれよりうけんことをつとめよ』と、しかるにもしきたりてこれをうけずんば、文書ぶんしょむは其者そのものえきあたへざるのみならず。きたりておうよりえいをうけんことをのぞまざるために、ただちばつせらるるものとならん、かみしょもかくのごとし、おうたるかみ文書ぶんしょとしてこれをこくし、人々ひとびとまへにあらはしたるは、かみかつしんじたるものてんたまものねがふて、これをその神性しんせい実在じつざいよりうけんためなり。けだしろくしていへるあり、『かみせいあづかものとならんためなり』〔ペトル後一の四〕。されどもしひときたらず、ねがはず、けずんば、聖書せいしょをよむも、かれえきするところあらざるべし、かへつててんおうより生命いのちたまものをうけんことをのぞまざるために、ばつせらるるものとならん、けだしたまものなくんば、不死ふし生命いのちなるハリストスもとるあたはざればなり。かれ光栄こうえい世々よよに。アミン。