南洲手抄言志録
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一 勿下認二游惰一以爲中寛裕上。勿下認二嚴刻一以爲中直諒上。勿下認二私欲一以爲中志願上。
〔譯〕
を めて以て と爲すこと れ。 を認めて以て と爲すこと勿れ。 を認めて以て と爲すこと勿れ。
二 毀譽得喪、眞是人生之雲霧、使二人昏迷一。一二掃此雲霧一、則天青日白。
〔譯〕
は、 に是れ人生の 、人をして せしむ。此の雲霧を一 せば、則ち く し。〔評〕徳川
公は の臣たり。 の要する所となりて となる。猶南洲勤王の臣として終りを くせざるごとし。公は を し位に せらる、南洲は永く の名を る、悲しいかな。(原漢文、下同)
三 唐虞之治、只是情一字。極而言レ之、萬物一體、不レ外二於情之推一。
〔譯〕
の は只是れ情の一字なり。極めて之を言へば、萬物一體も情の に外ならず。〔評〕南洲、官軍を帥ゐて京師を發す。
あり別れを惜みて に至る。兵士 つて之を る。南洲輿中より之を招き、其背を つて曰ふ、 なれと、金を より出して之に與へ、 ら人なき若し。兵士 だ其の情を さざるに服す。幕府 を神奈川に き、外人の來り觀るを許さず、木戸公 に雜り、自ら を うて之を觀る。茶店の あり、公の常人に非ざるを知り、善く之を遇す。公志を得るに及んで、厚く之に報ゆ。皆情の なり。
四 凡作レ事、須レ要レ有二事レ天之心一。不レ要レ有二示レ人之念一。
〔譯〕凡そ事を
すには、 らく天に ふるの心あるを すべし。人に示すの あるを要せず。
五 憤一字、是進學機關。舜何人也、予何人也、方是憤。
〔譯〕
の一字、是れ の なり。 ぞや、 何人ぞや、 に是れ 。
六 著レ眼高、則見レ理不レ岐。
〔譯〕
を くること高ければ、則ち を見ること せず。〔評〕三條公は西三條、東久世諸公と長門に走る、之を七
と謂ふ。幕府之を に す。既にして七卿が勤王の士を り國家を亂さんと欲するを憂へ、 に するの あり。南洲等 めて之を拒ぎ、事終に む。南洲人に つて曰ふ、七卿中他日 に任ぜらるゝ者は、必三條公ならんと、果して然りき。
七 性同而質異。質異、教之所二由設一也。性同、教之所二由立一也。
〔譯〕
は同じうして而て は る。質異るは の由つて けらるゝ所なり。性同じきは教の由つて立つ所なり。
八 喪レ己斯喪レ人。喪レ人斯喪レ物。
〔譯〕
を へば に人を ふ。人を喪へば斯に を喪ふ。
九 士貴二獨立自信一矣。依レ熱附レ炎之念、不レ可レ起。
〔譯〕
は を ぶ。 に り に くの 、起す可らず。〔評〕
三年九月、山内 公は寺村 、後藤 次郎を以て使となし、書を幕府に す。曰ふ、中古以 、 武門に出づ。洋人來航するに及んで、 、東攻西 して、 嘗て る時なく、終に外國の を くに至る。此れ 二 に出で、天下耳目の する所を異にするが故なり。今や時勢一 して を す可らず、宜しく政 を王室に還し、以て萬國 の を建つべし。其れ則ち當今の にして、而て容堂の なり。 下の なる、必之を するあらんと。他日幕府の政權を せる、其事實に公の に づけり。當時 既に へたりと雖、 未だ地に ちず。公 して まず、獨立の見ありと謂ふべし。
一〇 有二本然之眞己一、有二躯殼之假己一。須レ要二自認得一。
〔譯〕
の 有り、 の 有り。須らく自ら め得んことを要すべし。〔評〕南洲
を病む。英醫 之を して、 を む。南洲是より山野に せり。人或は病なくして犬を き兎を ひ、自ら南洲を學ぶと謂ふ、 なり。
一一 雲煙聚二於不一レ得レ已。風雨洩二於不一レ得レ已。雷霆震二於不一レ得レ已。斯可三以觀二至誠之作用一。
〔譯〕
は むことを得ざるに る。 は已むことを得ざるに る。 は已むことを得ざるに ふ。 に以て の を る可し。
一二 動二於不レ得レ已之勢一、則動而不レ括。履二於不レ可レ枉之途一、則履而不レ危。
〔譯〕已むことを得ざるの
に けば、則ち動いて せず。 ぐ可らざるの を めば、則ち履んで からず。〔評〕官軍江戸を
つ、關西諸侯兵を出して之に從ふ。是より先き を けんと欲する者ありて、 かに を江戸に ず。 公之を へ、田中 、丹羽淳太郎等と議して、大義 を すの令を下す、實に已むことを得ざるの に出づ。一藩の 以て定れり。
一三 聖人如二強健無レ病人一。賢人如二攝生愼レ病人一。常人如二虚羸多レ病人一。
〔譯〕聖人は
病無き人の如し。賢人は 病を む人の如し。常人は 病多き人の如し。
一四 急迫敗レ事。寧耐成レ事。
〔譯〕
は事を る。 は事を す。〔評〕大坂城
る。徳川 公火船に乘りて江戸に歸り、諸侯を召して罪を つの状を告ぐ。余時に江戸に在り、特に に し告げて曰ふ。事此に至る、言ふ可きなし。汝將に京に入らんとすと く、請ふ吾が爲めに の意を致せと。余江戸を發して桑名に り、柳原 公軍を して至るに遇ふ。余爲めに之を告ぐ。京師に至るに及んで、松平 公を見て又之を告ぐ。慶喜公江戸城に在り、衆皆之に り、死を以て城を守らんことを請ふ。公 かず、水戸に赴く、近臣二三十名從ふ。衆奉じて以て主と爲すべきものなく、或は じて四方に き、或は に る。若し公をして の力無く、共に つて事を擧げしめば、則ち府下悉く と爲らん。 都を遷すも、其の盛大を むること今日の如きは實に難からん。然らば則ち公常人の ぶ能はざる所を忍ぶ、其功亦多し。 藩士 時に句あり云ふ。「
尤も多かりしは 。 直に の中に在り」と。
一五 聖人安レ死。賢人分レ死。常人恐レ死。
〔譯〕聖人は死を
んず。賢人は死を とす。常人は死を る。
一六 賢者臨レ※〈[#「歹+勿」、33-1]〉、見二理當一レ然、以爲レ分、恥レ畏レ死、而希レ安レ死、故神氣不レ亂。又有二遺訓一、足二以聳一レ聽。而其不レ及二聖人一亦在二於此一。聖人平生言動無二一非一レ訓。而臨レ※〈[#「歹+勿」、33-3]〉、未三必爲二遺訓一。視二死生一眞如二晝夜一、無レ所レ著レ念。
〔譯〕賢者は〈[#「歹+勿」、33-4]〉するに み、 の に然るべきを見て、以て と爲し、死を るゝを ぢて、死を んずるを ふ、故に れず。又 あり、以て を かすに足る。而かも其の聖人に及ばざるも亦此に在り。聖人は平生の 一として訓に非ざるは無し。而て※〈[#「歹+勿」、33-6]〉するに みて、未だ必しも遺訓を らず。 を ること眞に の如し、 を くる所無し。
〔評〕十年の
、私學校の 、 を む。南洲時に兎を 山中に ふ。之を聞いて に を へて曰ふ、 つたと。 肥後日向に轉戰して、神色 たり。
一七 堯舜文王、其所レ遺典謨訓誥、皆可三以爲二萬世法一。何遺命如レ之。至二於成王顧命、曾子善言一、賢人分上自當レ如レ此已。因疑孔子泰山之歌、後人假託爲レ之。檀弓叵レ信、多二此類一。欲レ尊二聖人一、而却爲二之累一。
〔譯〕
文王は、其の す所の 、皆以て萬世の法と爲す可し。何の か之に かん。 王の 、 子の善言に至つては、賢人の 上 ら に此の如くなるべきのみ。因つて ふ、孔子 の歌、後人 之を れるならん。 の信じ きこと此の類多し。聖人を尊ばんと欲して、 つて之が を爲せり。
一八 一部歴史、皆傳二形迹一、而情實或不レ傳。讀レ史者、須レ要下就二形迹一以討中出情實上。
〔譯〕一
の 、皆 を へて、 或は傳らず。史を讀む者は、須らく形迹に いて以て情實を ね出だすことを要すべし。
一九 博聞強記、聰明横也。精義入レ神、聰明竪也。
〔譯〕
は、 の なり。 神に入るは、 の なり。
二〇 生物皆畏レ死。人其靈也、當下從二畏レ死之中一、揀中出不レ畏レ死之理上。吾思、我身天物也。死生之權在レ天、當レ順二受之一。我之生也、自然而生、生時未二嘗知一レ喜矣。則我之死也、應三亦自然而死、死時未二嘗知一レ悲也。天生レ之而天死レ之、一聽二于天一而已、吾何畏焉。吾性即天也。躯殼則藏レ天之室也。精氣之爲レ物也、天寓二於此室一。遊魂之爲レ變也、天離二於此室一。死之後即生之前、生之前即死之後。而吾性之所二以爲一レ性者、恒在二於死生之外一、吾何畏焉。夫晝夜一理、幽明一理。原レ始反レ終、知二死生之理一、何其易簡而明白也。吾人當下以二此理一自省上焉。
〔譯〕生物は皆死を
る。人は其 なり、當に死を畏るゝの中より死を畏れざるの理を すべし。吾れ思ふ、我が身は天物なり。死生の は天に在り、當に之を すべし。我れの生るゝや自然にして生る、生るゝ時未だ嘗て ぶことを知らず。則ち我の死するや に亦自然にして死し、死する時未だ嘗て悲むことを知らざるべし。天之を生みて、天之を す、一に天に さんのみ、吾れ何ぞ畏れん。吾が性は即ち天なり、 は則ち天を むるの室なり。 の物と爲るや、天此の室に す。 の を爲すや、天此の室を る。死の後は即ち生の前なり、生の前は即ち死の後なり。而て吾が性の性たる所以は、 に死生の外に在り、吾れ何ぞ畏れん。夫れ晝夜は一 なり、 は一理なり。始めを ねて りに らば、死生の理を知る、何ぞ其の にして明白なるや。吾人は當に此の理を以て すべし。
二一 畏レ死者生後之情也、有二躯殼一而後有二是情一。不レ畏レ死者生前之性也、離二躯殼一而始見二是性一。人須レ自二得不レ畏レ死之理於畏レ死之中一、庶二乎復一レ性焉。
〔譯〕死を畏るゝは生後の情なり、
有つて後に の情あり。死を畏れざるは生前の性なり、 を れて始て是の性を見る。人は らく死を畏れざるの理を死を畏るゝの中に すべし、性に るに し。〔評〕幕府勤王の士を
ふ。南洲及び 、 等尤も其の する所となる。僧 嘗て近衞公の を みて水戸に至る、幕吏之を むること急なり。南洲其の免れざることを知り相共に鹿兒島に る。一日南洲、月照の宅を ふ。此の夜月色 なり。 め を へ、舟を薩海に ぶ、南洲及び平野次郎一僕と從ふ。月照船頭に立ち、和歌を朗吟して南洲に示す、南洲 する所あるものゝ如し、遂に相 して海に ず。次郎等水聲起るを聞いて、 として之を救ふ。月照既に死して、南洲は ることを得たり。南洲は 月照と死せざりしを みたりと云ふ。
二二 誘掖而導レ之、教之常也。警戒而喩レ之、教之時也。躬行以率レ之、教之本也。不レ言而化レ之、教之神也。抑而揚レ之、激而進レ之、教之權而變也。教亦多レ術矣。
〔譯〕
して之を くは、教の常なり。 して之を すは、教の時なり。 に行うて之を きゐるは、教の本なり。言はずして之を化するは、教の なり。 へて之を げ、 して之を ましむるは、教の にして而て なり。教も亦 多し。
二三 閑想客感、由二志之不一レ立。一志既立、百邪退聽。譬二之清泉湧出、旁水不一レ得二渾入一。
〔譯〕
は、志の立たざるに由る。一志既に立てば、百邪退き く。之を せば、 することを得ざるに ふべし。〔評〕政府
の を せんと欲す、木戸公と南洲と尤も之を主張す。或ひと南洲を見て之を説く、南洲曰く すと。其人又之を説く、南洲曰く、吉之助の一諾、死以て之を守ると、 を へず。
二四 心爲レ靈。其條理動二於情識一、謂二之欲一。欲有二公私一、情識之通二於條理一爲レ公。條理之滯二於情識一爲レ私。自辨二其通滯一者、即便心之靈。
〔譯〕心を
と爲す。其の の に く、之を と謂ふ。欲に 有り、情識の條理に通ずるを公と爲す。條理の情識に るを私と爲す。自ら其の と とを ずるは、即ち心の なり。
二五 人一生所レ遭、有二險阻一、有二坦夷一、有二安流一、有二驚瀾一。是氣數自然、竟不レ能レ免、即易理也。人宜二居而安、玩而樂一焉。若趨二避之一、非二達者之見一。
〔譯〕人一生
ふ所、 有り、 有り、 有り、 有り。是れ の自然にして、 に るゝ能はず、即ち なり。人宜しく居つて安んじ、 んで しむべし。若し之を せば、 者の見に非ず。〔評〕或ひと岩倉公幕を佐くと
す。公 して岩倉邸に す。大橋 、 川 三、玉松 、北島 等、公の志を知り、深く す。南洲及び大久保公、木戸公、後藤象次郎、坂本龍馬等公を洛東より迎へて、朝政に任ぜしむ。公既に職に在り、 の する所となり、 りに至る、而かも も せず。
二六 心之官則思。思字只是工夫字。思則愈精明、愈篤實。自二其篤實一謂二之行一、自二其精明一謂二之知一。知行歸二於一思字一。
〔譯〕心の
は則ち思ふ。思の字只是れ の字なり。思へば則ち愈 なり、愈 なり。其の篤實より之を行と謂ひ、其の精明より之を知と謂ふ。知と行とは一の思の字に す。
二七 處レ晦者能見レ顯。據レ顯者不レ見レ晦。
〔譯〕
に る者は能く を見る。顯に る者は晦を見ず。
二八 取二信於人一難也。人不レ信二於口一、而信二於躬一。不レ信二於躬一、而信二於心一。是以難。
〔譯〕
を人に取るは難し。人は口を信ぜずして を信ず。躬を信ぜずして心を信ず。是を以て難し。〔評〕南洲
と爲る。島津 公其の として人を るを見て 人に非ずと ひ、 して之を用ふ。公 て書を り、南洲に命じて之を の 公に致さしめ、初めより を加へず。烈公の も亦然り。
二九 臨時之信、累二功於平日一。平日之信、收二効於臨時一。
〔譯〕
の は、 を平日に ぬればなり。平日の信は、 を臨時に むべし。〔評〕南洲官軍の
となり、品川に る、 、大久保一翁、山岡鐵太郎之を見て、慶喜 を つの を し、 を べんことを請ふ。安房素より南洲を知れり、之を説くこと甚だ力む。乃ち令を諸軍に傳へて、攻撃を む。
三〇 信孚二於上下一、天下無二甚難レ處事一。
〔譯〕信上下に
す、天下甚だ し難き事無し。
三一 意之誠否、須下於二夢寐中事一驗上レ之。
〔譯〕
の は、須らく の事に於て之を すべし。〔評〕南洲
の時、 に す、東湖は 、 にして、 の を 、 の を して南洲を ふ。南洲一見して たり。乃ち室内に入る、一大白を して を めらる。南洲は と を せず、 ひて之を す、 ち して を す。東湖は南洲の にして るところなきを見て だ之を す。嘗て曰ふ、他日我が志を ぐ者は獨此の少年子のみと。南洲も亦曰ふ、天下 に る可き者なし、 畏る可き者は東湖一人のみと。二子の言、 相 ずる者か。
三二 不レ起二妄念一是敬。妄念不レ起是誠。
〔譯〕
を起さゞるは是れ なり。妄念起らざるは是れ なり。
三三 因二民義一以激レ之、因二民欲一以趨レ之、則民忘二其生一而致二其死一。是可二以一戰一。
〔譯〕民の
に因つて以て之を し、民の に因つて以て之を らさば、則ち民其の生を れて其の死を さん。是れ以て一 す可し。〔評〕兵數は〈[#「竹かんむり/束」、41-8]〉、民の に因つて之を らしたればなり。是を以て の ありたり。
れか き、 は孰れか なる、 は孰れか める、この數者を以て之を べば、 の兵は固より幕府に及ばざるなり。然り而して の一戰、東兵 するものは何ぞや。南洲及び木戸公等の
三四 漸必成レ事、惠必懷レ人。如二歴代姦雄一、有下竊二其祕一者上、一時亦能遂レ志。可レ畏之至。
〔譯〕
は必ず事を し、 は必ず人を づく。 の如き、其 を む者有り、一時亦能く志を ぐ。畏る可きの至りなり。
三五 匿情似二愼密一。柔媚似二恭順一。剛愎似二自信一。故君子惡二似而非者一。
〔譯〕
は に る。 は に似る。 は に似る。故に君子は て なる者を む。
三六 事レ君不レ忠非レ孝也、戰陳無レ勇非レ孝也。曾子孝子、其言如レ此。彼謂三忠孝不二兩全一者、世俗之見也。
〔譯〕君に
へて忠ならざるは孝に非ざるなり、 に 無きは孝に非ざるなりと。 は孝子なり、其の言 の如し。彼の忠孝 せずと謂ふは、 の見なり。〔評〕十年の
、賊の 熊本城下に る。而て 未だ達せず。谷中將死を以て之を守り、少しも動かず。 遂に屈し、其兵を東する能はず。 加藤 言へるあり。曰ふ、 を り を るは、氣盛なる者之を能くす、而かも に非ざるなり。 を なきに守り、 主を衆 くに つ、 に非ざれば能はず、故に眞勇は必ず に出づと。 曰ふ、 とは し にして信あるを謂ふと。余謂ふ、孤城を なきに守るは、谷中將の如くば可なりと。嗚呼中將は忠且つ勇なり、而して孝其の に在り。
三七 不レ可レ誣者人情、不レ可レ欺者天理、人皆知レ之。蓋知而未レ知。
〔譯〕
ふ可らざる者は人情なり、 く可らざる者は天理なり、人皆之を知る。 し知つて而して未だ知らず。〔評〕
等五 の兵已に敗る。 二卷を以て我が海軍に つて云ふ、是れ嘗て に學んで たる所なり、身と倶に ぶることを惜しむと。武揚の誣ふ可らざるの情 に し、其の死を宥し せらる、天理なり。
三八 知是行之主宰、乾道也。行是知之流行、坤道也。合以成二體躯一。則知行、是二而一、一而二。
〔譯〕
は是れ の なり、 なり。行は是れ知の なり、 なり。合して以て を成す。則ち知行は是れ二にして一、一にして二なり。
三九 學貴二自得一。人徒以レ目讀二有字之書一、故局二於字一、不レ得二通透一。當三以レ心讀二無字之書一、乃洞而有二自得一。
〔譯〕
は を ぶ。人 に目を以て有字の書を讀む、故に字に し、 することを得ず。 に心を以て無字の書を讀むべし、乃ち して自得するところ有らん。
四〇 孟子以二讀書一爲二尚友一。故讀二經籍一、即是聽二嚴師父兄之訓一也。讀二史子一、亦即與二明君賢相英雄豪傑一相周旋也。其可レ不下清二明其心一以對中越之上乎。
〔譯〕孟子讀書を以て
と爲す。故に を讀む、即ち是れ 父兄の訓を聽くなり。 を讀む、亦即ち明君賢相英雄豪傑と相 するなり。其れ其の心を清明にして以て之に せざる可けんや。
四一 爲レ學緊要、在二心一字一。把レ心以治レ心、謂二之聖學一。爲レ政著眼、在二情一字一。循レ情以治レ情、謂二之王道一。王道聖學非レ二。
〔譯〕學を爲すの
は心の一字に在り。心を つて以て心を治む、之を聖學と謂ふ。政を爲すの は情の一字に在り。情に うて以て情を治む、之を王道と謂ふ。王道と聖學と二に非ず。〔評〕兵を
して し、互に あり。兵士或は 者の を爲す、 故に之を す。兵士初め負傷者とならんことを惡む。一日、 して負傷者を し、 を ふ、此より兵士負傷者とならんことを願ふ。是に由つて之を觀れば、兵を するも亦情に外ならざるなり。
四二 發レ憤忘レ食、志氣如レ是。樂以忘レ憂、心體如レ是。不レ知二老之將一レ至、知レ命樂レ天如レ是。聖人與レ人不レ同、又與レ人不レ異。
〔譯〕
を發して食を る、 の如し。 んで以て を忘る、 是の如し。 の將に至らんとするを知らず、 を知り天を樂しむもの の如し。聖人は人と同じからず、又人と ならず。
四三 講二説聖賢一、而不レ能レ躬レ之、謂二之口頭聖賢一、吾聞レ之一惕然。
〔譯〕聖賢を
して之を にする能はず、之を 聖賢と謂ふ、吾れ之を聞いて一たび たり。
四四 學、稽二之古訓一、問、質二之師友一、人皆知レ之。學必學二之躬一、問必問二諸心一、其有二幾人一耶。
〔譯〕
之を に へ、 之を師友に すは、人皆之を知る。學必ず之を躬に學び、問必ず諸を心に問ふは、其れ幾人有らんか。
四五 以レ天而得者固。以レ人而得者脆。
〔譯〕天を以て得たるものは
し。人を以て得たるものは し。
四六 君子自慊、小人自欺。君子自彊、小人自棄。上達下達、落二在一自字一。
〔譯〕君子は自ら
くし、小人は自ら く。君子は自ら め、小人は自ら つ。上 と下 とは、一の の字に す。
四七 人皆知レ問二身之安否一、而不レ知レ問二心之安否一。宜下自問中能不レ欺二闇室一否、能不レ愧二衾影一否、能得二安穩快樂一否上。時時如レ是、心便不レ放。
〔譯〕人は皆身の
を ふことを知つて、而かも心の安否を問ふことを知らず。宜しく自ら能く を かざるや や、能く に ぢざるや否や、能く を得るや否やと問ふべし。時時 の如くば心 ち たず。〔評〕某士南洲に
して を む。南洲曰ふ、汝 を求むるやと。某曰ふ、三十圓ばかりと。南洲乃ち三十圓を與へて曰ふ、汝に の 金を與へん、汝は宜しく汝の心に うて我が 如何を問ふべしと。其人 た來らず。
四八 無レ爲而有レ爲之謂レ誠。有レ爲而無レ爲之謂レ敬。
〔譯〕爲す無くして爲す有る之を
と謂ふ。爲す有つて爲す無し之を と謂ふ。
四九 寛懷不レ忤二俗情一、和也。立脚不レ墜二俗情一、介也。
〔譯〕
に はざるは、 なり。 俗情に ちざるは、 なり。
五〇 惻隱之心偏、民或有二溺レ愛殞レ身者一。羞惡之心偏、民或有下自二經溝涜一者上。辭讓之心偏、民或有二奔亡風狂者一。是非之心偏、民或有二兄弟鬩レ牆父子相訟者一。凡情之偏、雖二四端一遂陷二不善一。故學以致二中和一、歸三於無二過不及一、謂二之復性之學一。
〔譯〕
の心 すれば、民或は に れ身を す者有り。 の心偏すれば、民或は に する者有り。 の心偏すれば、民或は する者有り。是非の心偏すれば、民或は兄弟 に ぎ父子相 ふ者有り。凡そ情の偏するや、四 と雖遂に に る。故に學んで以て中和を し、 無きに す、之を の學と謂ふ。〔評〕江藤
、前原 等の如きは、皆 の功臣として、勤王二なく、官は に至り、位は人臣の を む。然り而して前後皆亂を爲し誅に伏す、惜しいかな。豈四 の ありしものか。
五一 此學吾人一生負擔、當二斃而後已一。道固無レ窮、堯舜之上善無レ盡。孔子自レ志レ學、至二七十一、毎二十年一、自覺二其有一レ所レ進、孜孜自彊、不レ知二老之將一レ至。假使二其踰レ耄至一レ期、則其神明不レ測、想當レ爲二何如一哉。凡學二孔子一者、宜下以二孔子之志一爲上レ志。
〔譯〕此の學は吾人一生の
、 に れて後に むべし。道固より窮り無し。堯舜の上、善盡くること無し。孔子學に志してより七十に至るまで、十年毎に自ら其の む所有るを り、 として自ら めて、 の將に至らんとするを知らず。 し其をして を え に至らしめば、則ち其の神明 られざること、 ふに當に何如たるべきぞや。凡そ孔子を學ぶ者は、宜しく孔子の志を以て志と爲すべし。
五二 自彊不レ息、天道也、君子所レ以也。如下虞舜孳孳爲レ善、大禹思二日孜孜一、成湯苟日新、文王不二遑暇一、周公坐以待レ旦、孔子發レ憤忘上レ食、皆是也。彼徒事二靜養瞑坐一而已、則與二此學脈一背馳。
〔譯〕自ら
めて まざるは天道なり、君子の ゐる所なり。 の として善を爲し、大 の日に孜孜せんことを思ひ、 の に日に新にせる、文王の あき あらざる、 公の して以て を つ、孔子の りを發して食を忘るゝ如きは、皆是なり。彼の に を事とすのみならば、則ち此の と す。
五三 自彊不レ息時候、心地光光明明、有二何妄念游思一、有二何嬰累罣想一。
〔譯〕自ら
めて まざる は、 にして、何の 有らん、何の 有らん。〔評〕三條公の筑前に在る、或る人其の
の を して美女を進む、公之を く。某氏 を いて女 を く、公 然として去れり。
五四 提二一燈一、行二暗夜一。勿レ憂二暗夜一、只頼二一燈一。
〔譯〕一
を げて、 を行く。暗夜を ふる勿れ、只だ一 を め。〔評〕
戰を開き、 に聞え、愈 しく愈 づく。岩倉公南洲に問うて曰ふ、 何如と。南洲答へて曰ふ、西郷隆盛在り、憂ふる勿れと。
五五 倫理物理、同一理也。我學二倫理之學一、宜三近取二諸身一、即是物理。
〔譯〕
と物理とは同一理なり。我れ倫理の學を學ぶ、宜しく近く を身に取るべし、即ち是れ物理なり。
五六 濁水亦水也。一澄則爲二清水一。客氣亦氣也。一轉則爲二正氣一。逐レ客工夫、只是克レ己、只是復レ禮。
〔譯〕
も亦水なり、一 すれば則ち となる。 も亦氣なり、一 すれば則ち となる。 を ふの工夫は、只是れ己に克つなり、只是れ禮に るなり。〔評〕南洲
を好み、 に壯士と角す。人之を しむ。其 と爲るや、 中に を けて、 を とせず。既にして として天下を以て自ら じ、 を して書を讀み、遂に の大 を成せり。
五七 理本無レ形。無レ形則無レ名矣。形而後有レ名。既有レ名、則理謂二之氣一無二不可一。故專指二本體一、則形後亦謂二之理一。專指二運用一、則形前亦謂二之氣一、竝無二不可一。如二浩然之氣一、專指二運用一、其實太極之呼吸、只是一誠。謂二之氣原一、即是理。
〔譯〕理は
と 無し。形無ければ則ち名無し。形ありて後に名有り。既に名有れば、則ち理之を氣と謂ふも、不可無し。故に專ら を指せば、則ち も亦之を理と謂ふ。專ら を指せば、則ち形前も亦之を氣と謂ふ、 に不可無し。 の氣の如きは、專ら運用を指すも、其の實 の にして、只是れ一 なり。之を氣 と謂ふ、即ち是れ理なり。
五八 物我一體、即是仁。我執二公情一以行二公事一、天下無レ不レ服。治亂之機、在二於公不公一。周子曰、公二於己一者、公二於人一。伊川又以二公理一、釋二仁字一。餘姚亦更二博愛一爲二公愛一。可二并攷一。
〔譯〕
一 は即ち是れ仁なり。我れ を つて以て公事を行ふ、天下服せざる無し。 の は公と不公とに在り。 子曰ふ、 に公なる者は人に公なりと。 又 を以て仁の字を す。 も亦博愛を めて公愛と爲せり。 せ ふ可し。〔評〕余嘗て木戸公の言を記せり。曰ふ、
は、性直にして用ふ可し、 の及ぶ所に非ざるなりと。夫れ は の なり、 かも其の言 の如し。以て公の事を すること皆 なるを知るべし。
五九 尊二徳性一、是以道二問學一、即是尊二徳性一。先立二其大者一、則其知也眞。能迪二其知一、則其功也實。畢竟一條路往來耳。
〔譯〕徳性を尊ぶ、是を以て
に る、即ち是れ徳性を尊ぶなり。先づ其の大なる者を立つれば、則ち其知や なり。能く其の知を めば、則ち其功や なり。 の往來のみ。
六〇 周子主レ靜、謂三心守二本體一。※〈[#「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」、52-8]〉説自二註無レ欲故靜一、程伯氏因レ此有二天理人欲之説一。叔子持レ敬工夫亦在レ此。朱陸以下雖三各有二得レ力處一、而畢竟不レ出二此範圍一。不レ意至二明儒一、朱陸分レ黨如二敵讐一。何以然邪。今之學者、宜下以二平心一待上レ之。取二其得レ力處一可也。
〔譯〕〈[#「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」、52-12]〉に、「 無し故に 」と す、 に因つて天 人 の 有り。 を する も亦 に在り。 以下各 を得る處有りと雖、 かも 此の を出でず。 はざりき に至つて、 を分つこと の如くあらんとは。何を以て然るや。今の學ぶ者、宜しく平心を以て之を待つべし。其の力を得る處を取らば可なり。
を とす、 を守るを謂ふなり。
六一 象山、宇宙内事、皆己分内事、此謂二男子擔當之志如一レ此。陳澔引レ此註二射義一、極是。
〔譯〕
の、 の事は皆 れ の事は、 れ男子 の志 の如きを謂ふなり。 此を引いて を す、 めて なり。〔評〕南洲
て東湖に從うて學ぶ。 書する所、今猶民間に す。曰ふ、「 の に す」と。 し の を以て することを爲す。 征東の 實に此に す。 び を成せるは、 しむべきかな。
六二 講二論語一、是慈父教レ子意思。講二孟子一、是伯兄誨レ季意思。講二大學一、如二網在一レ綱。講二中庸一、如二雲出一レ岫。
〔譯〕
を ず、是れ の子を教ふる 。 を講ず、是れ伯兄の を ふる 。 を講ず、 の に在る如し。 を講ず、 の を出づる如し。
六三 易是性字註脚。詩是情字註脚。書是心字註脚。
〔譯〕
は是れ の字の なり。 は是れ情の字の註脚なり。 は是れ心の字の註脚なり。
六四 獨得之見似レ私、人驚二其驟至一。平凡之議似レ公、世安二其狃聞一。凡聽二人言一、宜二虚懷而邀一レ之。勿レ苟二安狃聞一可也。
〔譯〕
の は に似る、人其の に く。 の は公に似る、世其の に安んず。凡そ人の言を くは、宜しく にして之を ふべし。 に することなくんば可なり。
六五 心理是豎工夫、愽覽是横工夫。豎工夫、則深入自得。横工夫、則淺易汎濫。
〔譯〕
は是れ の工夫なり、 は是れ の工夫なり。 の工夫は、則ち せよ。 の工夫は、則ち なれ。
六六 讀レ經、宜下以二我之心一讀二經之心一、以二經之心一釋中我之心上。不レ然徒爾講二明訓詁一而已、便是終身不二曾讀一。
〔譯〕
を讀むは、宜しく我れの心を以て經の心を讀み、經の心を以て我の心を すべし。然らずして に を するのみならば、 ち是れ終身 て讀まざるなり。
六七 引レ滿中レ度、發無二空箭一。人事宜二如レ射然一。
〔譯〕
を き に り、發して 無し。人事宜しく の如く然るべし。
六八 前人、謂二英氣害一レ事。余則謂、英氣不レ可レ無、但露二圭角一爲二不可一。
〔譯〕前人は、
は事を すと謂へり。余は則ち謂ふ、英氣は無かる可らず、 だ を はすを不可と爲すと。
六九 刀槊之技、懷二怯心一者衄、頼二勇氣一者敗。必也泯二勇怯於一靜一、忘二勝負於一動一。動レ之以レ天、廓然太公、靜レ之以レ地、物來順應。如レ是者勝矣。心學亦不レ外二於此一。
〔譯〕
の 、 心を く者は け、 を む者は る。必や を一 に し、 を一 に れ、之を かすに天を以てして、 に、之を むるに地を以てして、 來つて せん。 の如き者は たん。心學も亦 に外ならず。〔評〕長兵京師に
る。木戸公は岡部氏に つて を るゝことを得たり。 丹波に き、 を へ、 に り、 に り、以て時勢を へり。南洲は の某樓に す。幕吏 して樓下に至る。南洲乃ち を觀るに託して、舟を りて げ去れり。此れ皆 を し を忘るゝものなり。
七〇 無レ我則不レ獲二其身一、即是義。無レ物則不レ見二其人一、即是勇。
〔譯〕
れ無ければ則ち其身を ず、即ち是れ なり。物無ければ則ち其人を見ず、即ち是れ なり。
七一 自反而縮者、無レ我也。雖二千萬人一吾往矣、無レ物也。
〔譯〕自ら
みて きは、 無きなり。千萬人と雖吾れ往かんは、物無きなり。
七二 三軍不レ和、難二以言一レ戰。百官不レ和、難二以言一レ治。書云、同レ寅協レ恭和衷哉。唯一和字、一二串治亂一。
〔譯〕三軍和せずば、以て
を言ひ し。百官和せずば、以て を言ひ難し。書に云ふ、 を同じうし を せ せよやと。唯だ一の和字、 を す。〔評〕
の は の に成る。是れより先き、土人坂本 、薩長の和せざるを へ、薩 に り、大久保・西郷諸氏に説き、又長邸に り、木戸・大村諸氏に説く。薩人黒田・大山諸氏長に至り、長人木戸・品川諸氏薩に き、而て後 成り、 の を せり。
七三 凡事有二眞是非一、有二假是非一。假是非、謂三通俗之所二可否一。年少未レ學、而先了二假是非一、迨レ後欲レ得二眞是非一、亦不レ易レ入。所レ謂先入爲レ主、不レ可二如何一耳。
〔譯〕凡そ事に
有り、 有り。假是非とは、 の可否する所を謂ふ。年 く未だ學ばずして、先づ假是非を し、後に んで眞是非を得んと欲するも、亦入り からず。謂はゆる と り、如何ともす可らざるのみ。
七四 果斷、有二自レ義來者一。有二自レ智來者一。有二自レ勇來者一。有下并二義與一レ智而來者上、上也。徒勇而已者殆矣。
〔譯〕
は、 より來るもの有り。 より來るもの有り。 より來るもの有り。義と智とを せて來るもの有り、 なり。 に のみなるは し。〔評〕
は古より武を用ふるの地と稱す。 王 すと雖、猶 に説いて之に らしむ。小田原の 、 公は徳川公に謂うて曰ふ、東方に地あり、 と曰ふ、以て を開く可しと。 の め、大久保公 の を じて曰ふ、官軍已に つと雖、 猶未だ びず、宜しく の を以て非常の事を行ふべしと。先見の明 と謂ふ可し。
七五 公私在レ事、又在レ情。事公而情私者有レ之。事私而情公者有レ之。爲レ政者、宜下權二衡人情事理輕重處一、以用中其中於上レ民。
〔譯〕
は事に在り、又情に在り。事公にして情私なるもの之有り。事私にして情公なるもの之有り。政を爲す者は、宜しく人情 の處を して、以て其の を民に用ふべし。〔評〕南洲城山に
る。官軍 を ゑて之を守る。 中將書を南洲に寄せて兩軍 の を す。南洲其の書を見て曰ふ、我れ山縣に かずと、 死に けり。中將は南洲の を て曰ふ、 しいかな、天下の一勇將を失へりと、 すること之を久しうせり。 公私情盡せり。
七六 愼獨工夫、當下如三身在二稠人廣座中一一般上。應酬工夫、當下如二間居獨處時一一般上。
〔譯〕
の は、 に身 の中に在るが如く一 なるべし。 の工夫は、 に の時の如く一般なるべし。
七七 心要二現在一。事未レ來、不レ可レ邀。事已往、不レ可レ追。纔追纔邀、便是放心。
〔譯〕心は
せんことを す。事未だ來らずば、 ふ可らず。事已に かば、 ふ可らず。 かに追ひ纔かに邀へば、 ち是れ なり。
七八 物集二於其所一レ好、人也。事赴二於所一レ不レ期、天也。
〔譯〕
其の好む所に るは、人なり。 せざる所に くは、天なり。
七九 人貴二厚重一、不レ貴二遲重一。尚二眞率一、不レ尚二輕率一。
〔譯〕人は、
を貴ぶ、 を貴ばず。 を ぶ、 を尚ばず。〔評〕南洲人に
して、 に を へず、人之を る。然れども其の人を知るに及んでは、則ち心を けて之を く。其人に非ざれば則ち はず。
八〇 凡生物皆資二於養一。天生而地養レ之。人則地之氣精英。吾欲三靜坐以養レ氣、動行以養レ體、氣體相資、以養二此生一。所二以從レ地而事一レ天。
〔譯〕凡そ生物は皆
を る。天生じて地之を ふ。人は則ち地の氣の なり。吾れ靜坐して以て氣を養ひ、 して以て體を養ひ、氣と體と相 つて以て此の生を養はんと欲す。地に從うて天に事ふる所以なり。〔評〕維新の
は三藩の兵力に由ると雖、抑之を養ふに あり、曰く なり、曰く なり。或は云ふ、維新の は 及び外史に づくと、亦 しとせざるなり。
八一 凡爲レ學之初、必立下欲レ爲二大人一之志上、然後書可レ讀也。不レ然、徒貪二聞見一而已、則或恐二長レ傲飾一レ非。所レ謂假二寇兵一、資二盜糧一也、可レ虞。
〔譯〕凡そ學を爲すの初め、必ず大人たらんと欲するの志を立て、然る後書讀む可し。然らずして、
に聞見を るのみならば、則ち或は を じ非を らんことを恐る。謂はゆる に兵を し、 に を するなり、 る可し。
八二 以二眞己一克二假己一、天理也。以二身我一害二心我一、人欲也。
〔譯〕
を以て に つ、天理なり。 を以て心我を す、 なり。
八三 無二一息間斷一、無二一刻急忙一。即是天地氣象。
〔譯〕一
の 無く、一 の 無し。即ち是れ天地の なり。〔評〕木戸公毎旦
の木主を拜す。身 に居ると雖、少しくも らず。三十年の間一日の如し。
八四 有レ心二於無一レ心、工夫是也。無レ心二於有一レ心、本體是也。
〔譯〕心無きに心有るは、
是なり。心有るに心無きは、 是なり。
八五 不レ知而知者、道心也。知而不レ知者、人心也。
〔譯〕知らずして知る者は、
なり。知つて知らざる者は、 なり。
八六 心靜、方能知二白日一。眼明、始會レ識二青天一。此程伯氏之句也。青天白日、常在二於我一。宜下掲二之座右一、以爲中警戒上。
〔譯〕心
にして、 に能く白日を知る。眼明かにして、始めて青天を識り すと。此れ の句なり。青天白日は、常に我に在り。宜しく之を に げて、以て と爲すべし。
八七 靈光充レ體時、細大事物、無二遺落一、無二遲疑一。
〔譯〕
に つる時、 の事物、 無く、 無し。〔評〕死を決するは、
の長ずる所なり。公義を説くは、土の なり。 の初め、一公卿あり、南洲の所に往いて の事を説く。南洲曰ふ、夫れ復古は に非ず、且つ九重 し、 に藩人を通ずるを得ず、必ずや 死を致す有らば、則ち事或は成らんと。又 次郎に いて之を説く。象次郎曰ふ、復古は きに非ず、然れども を し、 を め、 を ぐること なきに非ざれば、則ち不可なりと。二人の本領自ら はる。
八八 人心之靈、如二太陽一然。但克伐怨欲、雲霧四塞、此靈烏在。故誠レ意工夫、莫レ先下於掃二雲霧一仰中白日上。凡爲レ學之要、自レ此而起レ基。故曰、誠者物之終始。
〔譯〕人心の
、 の如く然り。但だ 、 せば、此の くに在る。故に意を にする工夫は、 を うて白日を ぐより先きなるは し。凡そ學を爲すの は、 よりして を す。故に曰ふ、誠は物の と。
八九 胸次清快、則人事百艱亦不レ阻。
〔譯〕
なれば、則ち人事百 亦 せず。
九〇 人心之靈、主二於氣一。氣體之充也。凡爲レ事、以レ氣爲二先導一、則擧體無二失措一。技能工藝、亦皆如レ此。
〔譯〕人心の
は、 を とす。氣は に之れ つるものなり。凡そ事を爲すに、氣を以て と爲さば、則ち 無し。 も、亦皆 の如し。
九一 靈光無二障碍一、則氣乃流動不レ餒、四體覺レ輕。
〔譯〕
無くば、則ち 乃ち して ゑず、 きを えん。
九二 英氣是天地精英之氣。聖人薀二之於内一、不三肯露二諸外一。賢者則時時露レ之。自餘豪傑之士、全然露レ之。若下夫絶無二此氣一者上、爲二鄙夫小人一、碌碌不レ足レ算者爾。
〔譯〕英氣は是れ天地
の氣なり。聖人は之を内に めて、 て を外に はさず。賢者は則ち時時之を はす。 豪傑の士は、全然之を はす。 の えて なき者の若きは、 小人と爲す、 として ふるに足らざるもののみ。
九三 人須レ著二忙裏占レ間、苦中存レ樂工夫一。
〔譯〕人は須らく
に を め、 に を存ずる工夫を くべし。〔評〕南洲岩崎谷洞中に居る。砲丸雨の如く、洞口を出づる能はず。詩あり云ふ「百戰無レ功半歳間、首邱幸得レ返二家山一。笑儂向レ死如二仙客一。盡日洞中棋響間」(編者曰、此詩、長州ノ人杉孫七郎ノ作ナリ、南洲翁ノ作ト稱スルハ誤ル)謂はゆる
中に間を占むる者なり。然れども亦以て其の戰志無きを知るべし。余句あり、云ふ「可レ見南洲無二戰志一。砲丸雨裡間牽レ犬」と、是れ なり。
九四 凡區二處人事一、當下先慮二其結局處一、而後下上レ手。無レ楫之舟勿レ行、無レ的之箭勿レ發。
〔譯〕凡そ人事を
するには、當さに先づ其の の處を かりて、後に手を下すべし。 無きの舟は る れ、 無きの は つ勿れ。
九五 朝而不レ食、則晝而饑。少而不レ學、則壯而惑。饑者猶可レ忍、惑者不レ可二奈何一。
〔譯〕
にして はずば、 にして う。 うして學ばずば、壯にして ふ。饑うるは猶 ぶ可し、 ふは奈何ともす可からず。
九六 今日之貧賤不レ能二素行一、乃他日之富貴、必驕泰。今日之富貴不レ能二素行一、乃他日之患難、必狼狽。
〔譯〕今日の
に する能はずば、乃ち他日の に、必ず ならん。今日の に する能はずんば、乃ち他日の に、必ず せん。〔評〕南洲、〈[#「陷のつくり+欠」、65-6]〉として、 の時の如し。
に居り を ふと雖、身極めて なり。朝廷 ふ所の 二千石は、 く私學校の に つ。 なる者あれば、 を けて之を ふ。其の自ら視ること
九七 雅事多是虚、勿下謂二之雅一而耽上レ之。俗事却是實、勿下謂二之俗一而忽上レ之。
〔譯〕
多くは是れ なり、之を と謂うて之に ること勿れ。俗事却て是れ實なり、之を俗と謂うて之を にすること勿れ。
九八 歴代帝王、除二唐虞一外、無二眞禪讓一。商周已下、秦漢至二於今一、凡二十二史、皆以レ武開レ國、以レ文治レ之。因知、武猶レ質、文則其毛彩、虎豹犬羊之所二以分一也。今之文士、其可レ忘二武事一乎。
〔譯〕
の帝王、 を く外、眞の なし。 より今に至るまで、凡そ二十二史、皆武を以て國を開き、文を以て之を治む。因つて知る、武は猶 のごとく、文は則ち其の にして、 犬羊の分るゝ所以なるを。今の文士、其れ武事を忘る可けんや。
九九 遠方試レ歩者、往往舍二正路一、※〈[#「走にょう+多」、66-3]〉二捷徑一、或繆入二林※〈[#「くさかんむり/奔」、66-3]〉一、可レ嗤也。人事多類レ此。特記レ之。
〔譯〕〈[#「走にょう+多」、66-5]〉り、或は つて〈[#「くさかんむり/奔」、66-5]〉に入る、 ふ可きなり。人事多く此に す。 に之を す。
に歩を むる者、往往にして を て、 に
一〇〇 智仁勇、人皆謂二大徳難一レ企。然凡爲二邑宰一者、固爲二親民之職一。其察二奸慝一、矜二孤寡一、折二強梗一、即是三徳實事。宜下能就二實迹一以試レ之可上也。
〔譯〕智仁勇は、人皆
て難しと謂ふ。然れども凡そ たる者は、固と の たり。其の を察し、 を み、 を くは、即ち是れ三徳の實事なり。宜しく能く實迹に就いて以て之を みて可なるべし。
一〇一 身有二老少一、而心無二老少一。氣有二老少一、而理無二老少一。須丙能執下無二老少一之心上、以體乙無二老少一之理甲。
〔譯〕身に
有りて、心に老少無し。氣に老少有りて、理に老少無し。須らく能く老少無きの心を つて、以て老少無きの理を すべし。〔評〕
南洲に せんと欲す。 之を へ、南洲を に す。南洲 せらるゝこと前後數年なり、而て身益 に、氣益 に、讀書是より大に進むと云ふ。