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(一二)天國、及び煉獄との通功
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豫 備
〇現世に戰ひつゝある信者は、お互に何んな關係がありますか?…一個の家族をなして居るとすれば、その霊的寶を如何することが出來ますか?…善業の功德は他に譲れますか?…償となる分は?…如何なる形式の下に人に譲れるんですか?…罪人は諸聖人の通功に與れますか?…
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[目的指示]、今日は天國及び煉獄との通功に就てお話し致します。
提 示
[凱旋の敎会との通功]
〇天國に凱旋された聖人等は、地上に戰って居る私等のことをお忘れになりません。如何にかして、天晴な勝利を得させ、自分等と同じ凱旋の光榮に入らしたいものと一心に望んで居られます。戰は辛い、敵は強くて恐ろしい、有力な助勢が必要だと云ふことも、自分等の苦い經驗によって、十分御存知なのです。殊に自分等の親族、同じ國の人、或は自分等の關係したのと同じ事業に身を委ねて居る人、別けても自分等の伝達を祈る人の爲に、お世話をして下さいます。例へば聖フランシスコ・ザベリオの如き、日本殉敎者等の如きは、我國の爲に身命を抛ってお働きになったのだから、唯今も殊更ら私等の爲、我國の布敎に當る人々の爲に、お伝達ぎ下さいます。又例へば慈善事業とか、敎育事業とかに骨身を砕いて働いた聖人は、其事業を継続けて行く人々を特別にお助け下さるに相違ないでのです……さて其の聖人等は、何んな鹽梅に私等をお助け下さるんでせうか。
△己の功德と祈禱とを以てお助け下さいます。
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〇聖人等は、此世に在す間に多くの功德を積んで居られました。その功德をば祈禱に添て天主樣に献げ、私等に必要な聖寵を乞求めて下さるのです。して天主樣は聖人等の伝達をばお聽容れ下さいますでせうか。
△喜んでお聽容れ下さいます。
〇然う、聖人等は天主樣の愛し給ふ御親友です。その御親友の切なる願ですもの、天主樣が御斷になる筈がありません。然しながら通功と云ふものは功を通じ合ふのですから、聖人等に助けて戴くばかりでは足りません。私等も何か聖人等の爲に致さなければなりません。何をして上げたら可いでせうか。
△……
〇分りませんか……聖人等の德を譽めます。その戴いて居られる福樂を祝賀します。聖人等に斯る福樂を賜はったに付けて、天主樣を讃美します。霊魂・肉親の必要に應じて、聖人等の御助力を祈ります。すると天主樣の御光榮が幾分なりと輝きを加へ、聖人等の歡喜も夫だけ増して來る訳になります。『改心する一個の罪人の爲には、神の使等の前に歡喜がありませう』(ル カ一五ノ一〇)、と仰有った主の御言を以ても明でせう。其んなにして凱旋の敎会と戰の敎会と
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が、立派に相通功する樣になるのであります。
[苦む敎会との通功]
〇私等は煉獄の霊魂を助けることが出來ますか。
△祈禱、善業、贖宥、殊にミサ聖祭を以て、煉獄の霊魂を助けることが出來ます。
〇よく答へました、先づ、
[祈禱]を以て煉獄の霊魂を助けることが出來ます。祈禱はその善なる所からして、本人の爲には功德となり、聖寵を増し、天國の福榮を大きくなすの基となります。然し之をよく誦へるが爲には、多小の困難を免れません。其點からは償となり、之を煉獄の霊魂に譲って、その償の不足を補ってやることが出來ます。終に祈禱はイエズス・キリスト樣の御約束によって、恩惠を乞受ける力を有って居る。で煉獄の霊魂を憐み給へ、助け給へ、と祈りましたら天主樣はその御約束に從って、私等の願を聽容れ、彼等に御憐を垂れ給ふのであります。
[善業]・とは、慈善業(ほどこし)やら、斷食やら、その他、天主樣に對して病氣・災難などをヂッと堪へるとか、職務を忠實に果すとか云ふ樣なのを申すのであります。是等は本人の爲に功德となるのは申す迄もないが、又祈禱の如く惠を乞求める効力をも有って居る。特に償となり
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ます。何故でせう。
△困難だからです。
〇さう。困難だから償となります。煉獄の霊魂の爲に償の不足を補ってやるのに、最もよく嵌まって居るのであります。
[贖宥]とは、赦された罪に當る有限の罸を聖会から消して戴くことです。大概の祈禱や善業には、贖宥を施してあります。熱心に其祈禱を誦へ、正しい意向を以てその善業を果しますと、贖宥が蒙れる。して其の蒙った贖宥は、大抵之を煉獄の霊魂に譲るとは云っても、自分が直接に譲るのではなく、實は天主樣の御手に之を献げるのです。すると天主樣は思召に從ひ、之を彼處の霊魂に施し給ふのですから、夫が何の位まで施されるか全く分りません。
[ミサ聖祭]は十字架の祭と同じ祭で、その功德は限りがない。罪を償ふにも、恩惠を願ふにも最も効果があります。他の祈禱や、善業や、贖宥は、本人が聖寵の地位を保って居なければ償としての効果は全く無い。たゞ恩惠を乞受ける力が殘るばかりです。然るにミサ聖祭は、イエズス・キリスト樣が自ら献げ給ふ限りなき祭ですから、之を献げる司祭が何んな人であ
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りませうと、之を献げて戴く信者の心掛が如何でありませうと、其効果は異る所がありません。煉獄の霊魂の爲に、一番助になります。だから公敎初歩にも『殊にミサ聖祭』と云ってあるのであります。
△左すれば唯った一つのミサでも、煉獄の霊魂を救ひ上げるには餘りある位ですね。
〇理屈を言へば然うなります。ミサ聖祭の功德は限りないのですから、たゞ一つのミサで以て煉獄の霊魂を殘らず救ひ上げることすら出來ぬものではありません。然し其のミサの功德が幾の程度まで彼等に施されるか、其所は一向分らない、全く天主樣の思召に在るのですから幾回も繰返しゝゝゝミサを献げてやる必要があるのです。そして天主樣はミサの功德や、その他の償を、誰に最も多く施し給ふと思ひますか。
△今の内によく煉獄の霊魂を憐んだ人に最も多く施し給ふと思ひます。
〇よく答ました。『慈悲ある人は幸福である、自分も慈悲を蒙る。自分の量った量で以て自分も量られる』、とイエズス・キリスト樣は仰有いました。で今の内に成るべく慈悲を施し、情を掛けて置くに限ります。左すれば屹っと天主樣から慈悲を施されます。情を掛けられます。天主樣から慈悲を施され、情を掛けられるばかりでせうか。
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△否、煉獄の霊魂も私等の爲に祈って下さいます。
〇然うです。天國に昇った上では、自分の救はれた恩を忘れず、必ず私等の爲に祈って下さいます。夫ばかりか、未だ煉獄に在りながらも、我身の爲にこそ何を何うすることも出來ませんが、恩人の爲には祈ることが出來る。而も其祈は天主樣の御親友の祈ですから、必ず聽届けられると云ふことです。ローマで敎皇ピオ十世陛下の御認可の下に出版された公敎要理には、この事をはっきりと敎へてあります。だから煉獄の霊魂を救ひ上げるのは、自分の爲にも餘程利益になるのです。況んや其霊魂の中には、自分の父母なり、恩人、朋友なりが居ないでせうか。自分の蔭で罪を犯し、爲に煉獄に苦んで居ると云ふ霊魂すら無いにも限りますまい。斯う思ったら、何とかして彼等を救出すべく務めなければならぬぢゃありません[ぬ]か。
〇天國の聖人は我等を助くるか。
△然り、天國の聖人は己の功德と祈禱とを以て我等を助くるなり。
〇我等も煉獄の霊魂を助け得るか。
△然り、祈禱、善業、贖宥、殊にミサ聖祭を以て煉獄の霊魂を助け得るなり。
整 理
〇天國の聖人は地上に戰って居る私等のことをお忘れになりますか△否、何とかして天晴の勝利を得させ、自分等と同じ凱旋の光榮に入いらしたいものと、始終望んで居られます。
〇私等が危険に臨んで居ることも御存知ですか△自分等の苦い經驗によって、十分御存知なんであります。
〇殊に何んな人の爲にお伝達ぎ下さいますか△親族や、同じ國の人や、自分等の關係したのと同じ事業に當って居る人、別けても御伝達を祈る人の爲に、お世話をして下さいます。
〇すると私等日本人の爲に、殊更らお伝達をして下さるのは何んな聖人等ですか△聖フランシスコ・ザベリオや、日本の殉敎者等です。
〇聖人等は何んなにして私等をお助け下さるのですか△自分等の功德と祈禱とを天主樣に献げて、必要な聖寵を乞求めて下さいます。
〇天主樣は聖人等のお伝達をばお聽容れ下さいますか△ハイ、御自分の愛し給ふお親友の伝達ですから、喜んで御聽容下さいます。
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〇私等は聖人等の爲に何をして上げたら可いでせうか△聖人等の德を譽めます。その戴いて居られる福樂を祝賀いたします。
〇夫から?△聖人等に斯る福樂を賜はったに付けて、天主樣を讃美します。
〇夫から?△霊魂、肉身の必要に應じて、聖人等の御助力を祈ります。
〇すると如何なりますか△天主樣の御光榮が幾分なりと輝を加へます。
〇天主樣の御光榮が輝きを加へれば如何なりますか△聖人等の歡喜も夫だけ増して來る訳になります。
〇夫が如何して分りますか△『改心する一個の罪人の爲には、神の使等の前に歡喜がありませう』、と仰有った主の御言によっても明であります。
〇煉獄の霊魂との通功は何んな風に行はれますか△私等が煉獄の霊魂を救って上げれば、煉獄の霊魂もまた私等の爲に祈って下さいます。
〇何んなにして私等は煉獄の霊魂を救ふことが出來ますか△祈禱、善業、贖宥、殊にミサ聖祭を以て救ふことが出來ます。
〇祈禱は何の點が煉獄の霊魂の爲になりますか△祈禱はその善なる所から功德を生じます。
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〇功德は煉獄の霊魂の爲になるのですか△否、功德は本人の爲に聖寵を増し、天國の福樂を大きくなすの基となるばかりです。
〇然らば何處が煉獄の霊魂の爲になるのですか△よく祈るが爲には、多少の困難を免れません。其點が償になりますから、之を煉獄の霊魂に譲ることが出來ます。
〇その他にも爲になる所がありません△祈禱はイエズス・キリスト樣の御約束によって、惠を乞受ける力を有って居ります。
〇煉獄の霊魂を憐み給へ、と祈ったら如何なりますか△天主樣は御約束に從ひ、彼等を憐んで、救ひ上げて下さいます。
〇善業とは何を申すのですか△慈善業やら、斷食やら、天主樣に對して病氣・災難などをヂッと堪へるやら、職務を忠實に果すやらする樣なのを申すのであります。
〇夫等は本人の爲に功德となるばかりですか△また惠を乞受ける力をも有って居ます。
〇夫ばかりですか△之を果すのが困難な所からは償となります。煉獄の霊魂の爲に償の不足を補って上げることが出來ます。
〇贖宥とは何ですか△赦されたる罪に當る有限の罸を、聖会から消して戴くことです。
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〇その贖宥を蒙るには何をせねばなりませんか△大概の祈禱や善業には贖宥を施してあります。その祈禱を熱心に誦へ、善業を正しい意向で以て行ひさへすれば可いのです。
〇その贖宥は自分の爲に蒙るのですか、煉獄の霊魂の爲に蒙るのですか△先づ自分の爲に蒙りその蒙った贖宥をば煉獄の霊魂に譲るのです。
〇自分が直接に譲るのですか△否、天主樣の御手に献げるのです。すると天主樣は思召に從ひ之を彼處の霊魂に施して下さいます。
〇何の程度まで施されると分りますか△夫は全く分りません。
〇最も煉獄の霊魂の爲になるのは何ですか△ミサ聖祭です。
〇何うした訳でミサ聖祭が最も爲になりますか△ミサは十字架の祭と同じ祭ですから、其功德は限りがありません。
〇祈禱や、善業は、何時でも煉獄の霊魂の爲になりますか△否、之を行ふ本人が聖寵の地位を保って居なければ、償としての効果はありません。たゞ惠を乞受ける力が殘るばかりです。
〇贖宥は?△之を蒙ることすら出來ないのです。
〇ミサも之を献げる司祭や、献げて戴く信者の心掛けに由るのぢゃありませんか△否、ミサは
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イエズス・キリスト樣がお献げになる祭ですから、その効果は何時でも變りません。
〇すると唯った一のミサを以ても、煉獄の霊魂を殘らず救ひ上げることすら出來ませんか△ミサの功德は限りないのですから、出來なければならぬ筈です。
〇實際は如何でせう△天主樣がその功德を何の程度まで彼等に施して下さいますか、一向分りませんから、幾回も献げてやる必要があるのです。
〇分らぬとは云っても、分って居る點もありませんか△自分が生きて居る内に、煉獄の霊魂に慈悲を施し、情を掛けた程度に應じて、天主樣もそのミサの功德や、その他の償を施して下さいます。
〇煉獄の霊魂も私等の爲に何かして下さいますか△天國に昇った上では、必ず私等の爲に祈って下さいます。
〇煉獄に在りながらも祈って下さらぬでせうか△ハイ、我身の爲には何を何うすることも出來ませんが、然しこの世の人の爲には祈ることが出來ると云ふことです。
〇何んな書にその事を敎へてありますか△ローマで敎皇ピオ十世陛下の御認可の下に發行された公敎要理にはっきりと敎へてあります。
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〇すると煉獄の霊魂を救ふのは、自分の爲にも利益ですね△餘程利益です。
〇利益問題は別にしても、猶ほ煉獄の霊魂を救はねばならぬ訳がありません[ぬ]△あります[せぬ]か。その煉獄には、自分の父母、兄弟、恩人、朋友の霊魂、自分の蔭で罪を犯し、爲に苦しい償をして居る霊魂が居ないにも限りません[ぬ]。
〇夫を思ったら、知らぬ顔がされますか△義理上でも知らぬ顔はされません[ぬ]。
[實例]
- 昔し或男が敵の虜となり、監獄に繫がれて居ましたが、不思議な事には、毎週一度づゝは必ず手足の銕鎖が自づと落ちるのでした。釈されて自宅へ歸ってから、其事を妻に語りました。妻は非常に驚いた樣子です、『まあ然うでしたか。何うも有難い事でムいます。私は良人が迚も現世の人ではあるまいと思ひまして、毎週一度づゝはミサを献げて居たのでした』と語りましたとか。生きた人の銕鎖さへ、ミサの威力で落ちたと云ふならば、况して煉獄の霊魂を繫いで居る銕鎖の斷れない筈がありませうか。