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ニカイア教父とニカイア後教父: シリーズ II/第1巻/エウセビオスの教会史/第3巻/第22章

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第3巻

第22章

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<< アンティオキアの第二司教イグナティオス>>


当時、イグナティオス[1]はアンティオキアの2番目の司教として知られており、エボディオスが最初の司教でした[2]。同様に、シメオン[3]は当時エルサレム教会の2番目の指導者であり、私たちの救世主の兄弟が最初の指導者でした。


脚注

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  1. イグナティオスの生涯、著作、殉教については、下記第36章を参照。
  2. 最古の伝承ではエボディオスがアンティオキアの初代司教とされていたことは疑う余地がない。そうでなければ、イグナティオスという偉大な名前の前にエボディオスの名前が挿入されている理由を説明できないからだ。もちろん、イグナティオスを使徒たちと直接結び付け、初代司教とする傾向があるだろう。この傾向は、エボディオスについてまったく言及していないアタナシオスとクリソストモスに見られる。また、使徒行伝 VII. 46 にも見られるが、そこではエボディオスはペテロによって、イグナティオスはパウロによって叙階されたとされている(ローマのクレメンスの場合と同様)。エボディオスの名前がここに登場しているという事実は、著者にとって彼が初代司教であるという伝承は古すぎて、無視するにはあまりに強力だったことを示している。オリゲネス(Luc. Hom. VI で)は、エボディウスの司教職を間接的に証明しています。なぜなら、彼はイグナティオスをアンティオキアの第一司教ではなく第二司教としているからです。アンティオキアの初期の司教たちのそれぞれの日付については、確かなことは何もわかっていません。彼らの年代については、ハルナックの「イグナティオスの時代」を参照し、スミスとウェイスの「キリスト伝記辞典」の サルモンの「エボディウス」の記事も参照してください。
  3. シメオンについては、上記第11章の注4を参照。


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