<< 悔悟及び悲痛。 >>
我等はまだ時のある間に、祈祷に於て泣かん。主の我等を終り無き涕泣よりすくはんが為なり、又我等を切歯よりも地獄の火よりも救ひて、病と哀みと嘆息のいづくにか消失たる限り無き生活に於て我等に喜をみたしめんが為なり、彼処には死もなく、腐敗もなく、かへつて喜びと楽みと愉快とその他『神を愛するものに神がそなふる』所の幸福は到処にあらざるなけん。此の幸福をうくるに堪ふる者は福なり、至りて福なり、されども此をうばはれたる者は不幸なり、憫然なり、いかんとなれば主は左の如くいへばなり、曰く『人もし全世界を獲るとも己が生命をうしなはば何の益あらん』〔馬可八の三十六〕。故に願くは此のむなしきいつはりの世は我等の為に甘きものと見えざらんことを、彼の消えざる火と永遠に毒を発する蛆とは我等のために苦しきものとならざらんが為なり。懶惰なる者や、汝は己の身にハリストスをうけて彼に倣へよ、汝と共に生活する者らを見よ、彼等は己が救の為にいかに戦ふて尽力するか。彼等が燈火はいかばかり鮮明なるか、彼等が口は不死なる神をいかばかりつねに歌ひほむるか。放心せずして苦行し、奢侈に耽らずして禁食し、笑談せずして哀哭し、舞踏せずして祈祷、邪なる歌をうたはずして霊賦を唱へ、笛を弄せずして誦讀をまなぶ所の者らに倣ふべし。自ら富めりとなさずして心の謙遜なる者らに競ふべし、大闢と共に主に感謝せよ、曰く『主は我等がいやしき時に我等を記念せり』〔聖詠百三十五の二十三(詩編百三十六の二十三)〕。奢侈に耽らずして不幸を忍耐するを愛せよ、爛飲せずして飢え且渇く者、争はずして平和を愛し、且あはれみある者、狂妄ならずして温柔なる者らを愛せよ。悪言する者と共に一家の中に居るなかれ、いかんとなれば悪言する者は神の国を嗣がざればなり〔コリンフ前六の十〕。異端者と決して親しむなかれ、彼等と共に食ふなかれ、共に飲むなかれ、彼等と路に同行者となるなかれ、彼等の家にも又集会にも入るなかれ、いかんとなれば彼等はすべて何に於ても潔からざること、パウェルのいふ如くなればなり、『汚れたる者と不信者には一として潔きなし、彼等の心も良心も共にけがされたり』〔ティト一の十五〕。故に至愛者よ、己の霊魂をまもれ、異端者と交をむすぶなかれ、彼等の社会に加はらざらんが為なり。主のいひし如く、彼等にも、又随つて彼等と共に居る者にも今世にも来世にも罪のゆるしあるなし。けだしおのおの種きしものを穫ればなり。慎めよ、もし能くし得ば、一時間といへども誰とも不和の心をいだくなかれ、誰とも決して不和の心をいだきつつ寝ぬるなかれ、恐らくは夜は汝等をかれこれ相分離せしめん、ゆるされざる定罪の汝に落ちざらんが為なり。能くし得る時は公に祈祷するをやむるなかれ、されどもあたはざる時は、心にて祈れ。主日を待つなかれ、特別の場所或いは聖堂を捜すなかれ、汝或いは田にあるか、路を行くか羊を牧するか、家に座するか、何処にありとも祈祷を廃するなかれ。慎んで不和の心をいだくなかれ、神は近者を憎む者より祈祷をうけざらん。青草を結び、未来を占ひ、吉凶を卜し、符袋をつくり、又は他のつくりしものを佩るを戒めよ、これ符袋にあらずして牢獄なり、預言者イサイヤ此の事をいひて、曰く『不義のおきてをさだめ、暴虐の言を録す者は禍なるかな』〔イサイヤ十の一〕。されども汝は信者として己れに真理を有し、生活を施す救の十字架とそれに釘せられたる主とを有して此を避くべし、彼は凡そ至浄至潔にして生活を施すの十字架を愛する者を守らん。彼に光栄は世々に帰す。「アミン」。