シリヤの聖イサアク全書/第四十二説教

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第42説教[編集]

<< れイサアクがあいするところ一人ひとりあたふるしょにして、かれ此中このうちに(ア)黙想もくそう奥義おうぎかんする教訓きょうくんあらわし、おほくのもの此奥義このおうぎらざるにり、神妙しんみょうなる練修れんしゅう等閑とうかんにし、往々おうおう修道しゅうどうあいだおこなはるる傳説でんせつにより庵中あんちゅうとどまることをぶ(カ)黙想もくそうのことにかんする訓話くんわ摘要てきよう。 >>

兄弟けいていよ、しるすべきものについては、これしるさざるべからざる義務ぎむ余儀よぎなくせられしによりなんぢあたへしやくごとく、此書このしょもっなんぢあいこころみん、けだしなんぢするのげんもっみづから準備じゅんびし、ゆき黙想もくそうつとめんとするをたればなり。ゆえにすべて練修れんしゅうのことにつき思慮深しりょぶか人々ひとびとよりきしところのものと、そののちちか実地じっちたる経験けいけんもっかれらの諭言ゆげん如何いか適用てきようしたるとを簡短かんたんにあらはしてなんぢ記憶きおくいんせんとす。ただねがふ、なんぢみずからも此書このしょ注意ちゅうい細読さいどくしたるのちなんぢつねなる勉励べんれいもっ自己じこたすけとなさんことを、けだしなんぢ此書中このしょちゅうおさめたることば通常つうじょうところのものと同視どうしせず、聡明そうめいなる通暁力つうぎょうりょくもっむに着手ちゃくしゅし、此中このうちかくれたるだいなるちからによりて、しょさいにもこれうくることひかりごとくせんことをようす、そのときなんぢ黙想もくそうまもるはなんいひなるか、その練習れんしゅう如何いかなるか、如何いかなる奥義おうぎ此練習このれんしゅうかくるるかを審知しんちし、或者あるものらが公生涯こうしょうがいおけ公道こうどう価値かちぎて黙想もくそうまもり、修道士しゅうどうし生涯しょうがい患難かんなん苦行くぎょうとを選取せんしゅするのなんゆえなるかを審知しんちせん。兄弟けいていよ、短日月たんじつげつあいだ不朽ふきゅうなる生命いのちんをねがはば、ふかおもんばかりて黙想もくそうくべし。そのところふか研究けんきゅうすべく、ただのみによりて此途このみちくなかれ、すなはこれ推究すいきゅうすべく、深思しんしすべく奮闘ふんとうすべし、此生涯このしょうがい如何いかふかくしてかつたかきにたっせんことを諸聖者しょせいしゃとも勉励べんれいすべしけだしすべて人間にんげん業事ぎょうじは、これはじめにそのおわりかんがへ、これ成就じょうじゅすべき方法ほうほうと、その希望きぼうとをあらかじはかるべし、これ心意しんいはげまして事業じぎょうもといくなり。しかしてあらかじはかりたる目的もくてき心意しんい事業じぎょうかたきをにんずるにかたむべくして、此目的このもくてき翹望ぎょうぼうするによりこころはその業事ぎょうじおい慰藉いしゃみづからきたらん。それ或者あるものはその事業じぎょうおわりいたまでよわらず智力ちりょく緊張きんちょうするごとく、黙想もくそう尊敬そんけいすべき行為こういも、熟慮じゅくりょたる目的もくてきにより、奥義おうぎみなととなるべし、これによりてながくしてかつおも労苦ろうくことごと注意監察ちゅういかんさつするなり。たとへば船長せんちょうほしむかふがごとく、遁世とんせい生活せいかつするものも、その進行しんこうのすべての継続けいぞくあいだおいて、内心ないしん看望かんぼうは、その目的もくてきむかふ、すなはち真珠しんじゅ発見はっけんせざるあいだは、黙想もくそううみおそるべき旅行りょこうをなさんと最初さいしょ決心けっしんしたるそのより、最早もはやそのかんことをこころけっしたる目的もくてきむかふべくして、此目的このもくてきためるるあたはざる黙想もくそううみふかきにるべし。されば希望きぼうたされたる注意ちゅういは、そのところわざかたきと、その進行中しんこうちゅう遇会ぐうかいするあやうきとを軽減けいげんするなり。これはんしその黙想もくそうはじめおい前途ぜんとところわざため此目的このもくてきみづからあらかじはからざるものは、空気くうきたたかものおなじく無分別むふんべつ挙動きょどうするなり。かくのごともの生涯しょうがいけっして精神せいしん煩悶はんもんまぬかれずして、かれため二者にしゃいつかならしょうぜん、あるいかれがた困難こんなん持続じぞくするあたはず、これためたれて黙想もくそうまったつるにいたるべく、あるい忍耐にんたいして黙想もくそうとどまるも、かれためいおり獄舎ごくしゃとなりて、かれはそのうちかれん、なんとなれば黙想もくそう練修れんしゅうによりてしょうずる慰安いあん依頼いらいするをらざればなり。ゆえ此慰安このいあんねがふも、中心ちゅうしんよりかなしんでこれもとめず、祈祷きとうときあたはざるなり。憐憫れんびんててそのあいするわれらが神父しんぷらは、そのしょもっわれらが生命せいめい要求ようきゅうたいするのすべてのため訓示くんじわれらにのこしぬ。

神父しんぷらの一人いちにんへり、いはく『ところいえよりとおざかるときは、戦闘準備せんとうじゅんびよりきゅうするをて、きわめてぜんなる練修れんしゅうむかふ、ため黙想もくそうよりしょうずる利益りえきなり』。これおなじ神父しんぷへり、いはく『黙想もくそうおい奮闘ふんとうするは、読経どくきょう祈祷きとうとき句々くくためたのしからんためなり。しかしてこれ通暁つうぎょうして悦懌えつえきするにより、したもくするときは、あたか夢中むちゅうにあるもののごとく、感覚かんかく思想しそう圧縮あっしゅくする性状せいじょうきたらん、しかしてこれおなじこの黙想もくそうつづくるにより、こころ記憶きおく動乱どうらんよりしづむるときは、こころたのしましむるため忽然こつぜんとしてにわかしょうずる内部ないぶ思念しねんにより、欣喜きんきなみえずわれつかはさるるなりしかして此波このなみ霊魂れいこんふねちかづくとき霊魂れいこん説話せつわ肉身的生活にくしんてきせいかつとよりだっして、かみそんするところ真実しんじつなるせき黙想もくそうとに埋没まいぼつせしめん』。

されど神父しんぷこれたいしてつぎごとくいへり、いはく『黙想もくそうあらたなる思念しねんおけ口実こうじつとその源因げんいんとを截断せつだんして、われ預占よせんしたるものの記憶きおくをその壁内へきない灰滅かいめつ衰萎すいいせしむるなりしかして意中いちゅう旧見きゅうけんおとろふるときは、これらを矯正きょうせいしてその秩序ちつじょふくせしめん』。

また神父しんぷへり、『なんぢ思念しねん差別さべつによりて、なんぢうちかくれたるものの尺度しゃくどさとるべし、これふはかわらざる思念しねんのことにして、偶然ぐうぜんおこ一時いちじすぎるものをふにあらず。身体しんたいゆうするものにしてぜんなるあるいあくなるふたつ変化へんかわかれげずして、自家じかかえきたらんものけっしてあらず、もしかれ勉励者べんれいしゃならば、些細ささいなるものの変化へんかよりわかれて、本性ほんせいたすけもとにあるべしちちうまるるものちちなればなり、されどもしかれ怠慢者たいまんしゃならばだいなるものの変化へんかよりわかれて、性中せいちゅうかくれたる恩寵おんちょうたねたすけのもとにあらん』。

神父しんぷへり、『たのしき練修れんしゅう夜間やかんえざる儆醒けいせいとをみづからえらぶべし、是時このときすべての神父しんぷ旧人きゅうじんだっして、心意しんい更新こうしんたまはりぬ、とき霊魂れいこん不死ふしなる生命せいめいかんじて、その感応かんのうにより、暗黒あんこくころもぎて聖神せいしんおのれにけん』。

また神父しんぷへり、いはく『たれ種々しゅじゅなる人物じんぶつて、霊的練修れいてきれんしゅうあいせざる種々様々しゅじゅさまざまなるこえき、かくのごとものらととも会談かいだんし、ともあいまじときは、かれため閑暇かんかときずして、ひそかおのれ省察せいさつすることも、みづからおのれつみ記憶きおくすることも、おのれおもいきよむることも、その目前もくぜんあらはるるものに注意ちゅういすることも、祈祷きとうおい奥密おうみつ談話だんわすることも、あたはざるべし』。

またへり、『これらの感覚かんかく霊魂れいこん権下けんかぞくせしむることは、黙想もくそう人々ひとびととおざかることなくんばあたはざるべし、なんとなれば聡明そうめいなる霊魂れいこんは、これらの感覚かんかくじつ連接結合れんせつけつごうするによる、ゆえにもしひと神秘しんぴなる祈祷きとうおい儆醒けいせいするあらずんば、その意思いしはからずいざなられん』。

またへりいはく『儆醒けいせいいくばくたのしみをあた如何いか愉快欣喜ゆかいきんきならしめて、その覚醒かくせいともにする祈祷きとう読経どくきょうとをもっ霊魂れいこん如何いかきよむるか、その生命いのちなんときにも此事このことため占有せんゆうせられて最厳重いとげんじゅうなる苦行的くぎょうてき生活せいかつものは、ことこれらん。ゆえひとよ、黙想もくそうあいするものよ、なんぢこれらの神父しんぷことば命令的めいれいてき指示しじおのれまえおきて、目標もくひょうごとくし、そのところ進行しんこうこれ接近せっきんするにむかはしむべし。しかれどもなんぢところ目標もくひょう調和ちょうわせしむるをことようするは何故なにゆえなるか、これ確知かくちせんことをおもふべし。けだしこれなくんば、真理しんり知識ちしきあたはざればなり、ゆえに此事このことおいてその忍耐にんたいをあらはさんことをおほい勉励べんれいすべし』。

沈黙ちんもく来世らいせい奥義おうぎにして、言論げんろん此世このよ器械きかいなり。禁食者きんしょくしゃたるひと沈黙ちんもく不断ふだん禁食きんしょくもって、その霊魂れいこん神的本性しんてきほんせいせんをこころみるなり、ひとはその神聖しんせいなる練修れんしゅうにより、神秘しんぴなるものをまもるがために、おのれ分離ぶんりするときは、此奥義このおうぎささげらるべくして、そのつとめは神聖しんせいなる機密きみつたさるべく、これりてえざるちから万物ばんぶつしゅたるけんせいなるとにたされん、しかしてもし或者あるもの神聖しんせいなる奥義おうぎるがために、一時いちじおのれ分離ぶんりするならば此印このいんもっおのれひょうせん。しかしてそのうち或者あるものには中間ちゅうかん階級かいきゅうものあらたにするがためるべからざるしゅ沈黙ちんもくかくるる奥義おうぎあらはすことを委任いにんせらるべし、なんとなればかくのごときの奥義おうぎつとむることは、はらたして、不節制ふせっせいためこころみだされたるひとには不適当ふてきとうなるによる。

さりながら諸聖人しょせいじん飢餓きがあいすると沈黙ちんもくなる心意しんいとにより、肢体したい無力むりょくになり、顔色がんしょく蒼白そうはくになりて、地上ちじょうのあらゆる念慮ねんりょたちときほかかみ談話だんわするをあえてせずして、奥義おうぎ秘密迄ひみつまでのぼせられざりき。けだしなんぢなが時日じじつあいだそのいおりおい労苦ろうく神秘しんぴなるものをまも行為こういうちり、感覚かんかくせいして、なんらの会見かいけんをもくるにより、黙想もくそうちからなんぢおほときは、なんぢゆえなくしてなんぢ霊魂れいこん時々ときどき占領せんりょうするのよろこびむかふべくして、そののちなんぢ清潔せいけつしたがかみ造物ぞうぶつかたきと、造成ぞうせいとをるがためなんぢひらかれん。しかして現象げんしょう奇跡きせきもっみちびかるるときは、ひるよるかみ造成ぞうせい光栄こうえいなる奇跡きせきいつになるべし。しからば是時このときよりよく感覚かんかくは、その霊底れいていおい此現象このげんしょう愉快ゆかいためうばらるべくして、これしたが順序じゅんじょおいては、清潔せいけつよりはじまりて愈々いよいよたかまりさら心中しんちゅう黙示もくしふたつきゅうのぼらん。

ねがはくはかみわれらにもこれめぐたまはん。「アミン」。