シリヤの聖イサアク全書/第十説教

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第10説教[編集]

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一日あんはなれていつせいなる兄弟けいていひけるが、不快ふかいためかれとも一所いっしょ宿やどりぬ、さいはひにため周旋しゅうせんせんがためなり、なんとなれば彼処かしこ相識しりびといつもあらざりしによる。しかるに兄弟けいてい夜間時やかんどきさきだちてき、しょ兄弟けいていはんとなるべき習慣しゅうかんたり。かれときおおきをもっ聖詠せいえいうたひけるが、そのうたつづくるあいだにわか規則きそくとどめて、そのおもてし、恩寵おんちょうかれこころやせる熱切ねつせつとも頓首とんしゅすることひゃくかいいたりぬ。そののちちて主宰しゅさいじゅう字架じか接吻せっぷんし、あらた叩拝こうはいしておなじくまたじゅう字架じか接吻せっぷんし、しかしてふたたびそのおもてををせり。かくのごと慣例かんれいかれ終生しゅうせいまもりぬ。かれひざかがむるのおおさんすることあたはず、しか兄弟けいてい毎夜まいやかさねたる叩拝こうはいたれかぞへんや。敬虔けいけん熱切ねつせつ虔恭けんきょうもっ融和ゆうわせられたるあいとにより、じゅう字架じか接吻せっぷんすること二十回にしてさらまた聖詠せいえいうたはじむ、しかれどもときはその熱愛ねつあいはげしくやされたるおもひのおおいねっするにより、火焔かえんくにふるあたはざるや、よろこびにへざるかれみずからきんずるあたはずしてさけびぬ。ここおいてか兄弟けいてい恩寵おんちょう苦行くぎょうかみつとめにおけ覚醒かくせいとにおおいおどろけり。しかるにあさ第一だいいちのちいたり、まんとほっしてするや、かれ囚人しゅうじんごとくなりき、しかしてそのつづくる各章かくしょうあいだ一回いっかいならずおもてし、おおくのごとてんげてかみ讃美さんびせり。かれまれて四十さいなりき、かれしょくもちふることもっとも少量しょうりょうにして、かつまった乾萎からびたるものなりき、その身体しんたいこれふることのちからとにぐる屡々しばしばなるによりさながかげごとくなりき。ゆえおおしょくせざるためおとろへしかれおもてふたつゆびほどもあらざるごとせたるは憐憫れんびんひきおこせり。ゆえしばしばかれげてへり『兄弟けいていよ、なんぢ苦行くぎょうおいしんをもしみ、またなんぢもとたるぜんなる生涯しょうがいをもしめよ、たましい連鎖れんさともふべきなんぢ練習れんしゅうみだすなかれ、幾分いくぶんろうさんとのねがいにより、そのみち進行しんこう減殺げんさいするなかれ、これまったむるなかれ、てきしょくせよ、おそらくはしょくあたちからうばはれん、ちからえてあしばすなかれ、おそらくはまったようたざるものとらん』と。かれあわれみふかく、いと温柔おんじゅうにして、善心ぜんしんもっ矜恤きょうじゅつせり。まれながら潔白けっぱくにして、いさめしたがひ、かみよつなるかれはその潔白けっぱくためまたその善心ぜんしんため衆人しゅうじんあいせられたりき。もし兄弟けいていかれようするあれば、兄弟けいていともろうして、三日あるいは四日にいたること度々たびたびなりき。そののち退しりぞきてくれよりくれいたまでときまったおのれあんおくりぬ。けだしなんらの工作こうさくにも器用きようなりき、しかるにたるものあるときはたとひそのものとぼしくなりたりとも、おおすくなきにかかはらずおおい重要ちょうようするによりそのものゆうせずとふことあたはざりき。兄弟けいていともはたらくときはずるごとくにしてこれし、あんよりづることはみずからこころよしとせざるも、おのれゆること度々たびたびなり。じつ奇異きいなるこの兄弟けいてい生涯しょうがい挙動きょどうとはかくのごとくなりき。われらのかみ光栄こうえい世々よよす。「アミン」。