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シリヤの聖イサアク全書/第六十五説教

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第65説教

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<<黙想者もくそうしゃこと。 黙想者もくそうしゃそのこうもつへんうみいたる、すなはち沈黙ちんもく生涯しょうがいいたるをかいはじむるはなんときなるか、其労そのろう結果けっかさんするを多少たしょうのぞむをるはなんときなるか。>>


なんぢ或事あることげん、これうたがひるゝなかれ、またぐるところげんをもさいなるものゝごとかろんずるなかれ、なんとなればこれつたへたるはしんずべき人々ひとびとにして、此言このげんおいても、またのすべてのげんおいてもなんぢ真実しんじつぐればなり。もしなんぢ自己じこそのまぶたけ、これなみだたつするときは、その生涯しょうがいあいだ最早もはや何物なにものをかたるごとおもふなかれ。けだしいまいたまでなんぢかくれたるものはつかへ、すなはち生活せいかついとなみてかみことは、がいひともつこれせども、ないひとなほ結果けっかなり、なんとなればそのは、なみだもつしょうずればなり。なみだいきいたたつするときは、るべしなんぢこのごくよりでて、其足そのあししんかいちまた奇異きいにしてあたらしきくうかおりはじめたるを。其時そのときなみだながすをはじめん、なんとなればれい誕生たんじょうちかづきたればなり。衆人しゅうじん一般いっぱんははたる恩寵おんちょう来世らいせいひかりため神聖しんせいなる形像けいぞう奥密おうみつ霊中れいちゅう生出せいしゅつせんをねがふ。しかしてさんすでいたときは、彼処かしこにあるところ或物あるものかんせらるゝこと、なほえいそのたいない吸収きゅうしゅうし、これへずして、にはか其体そのたいうごかし、みつあまきをこんしたる叫声きょうせいはつす。しかしてこれもつ心中しんちゅうやしなはるればやしなはるゝほどなみだぞうするなり。しかれどもしょするなみだ順序じゅんじょ黙想者もくそうしゃ間歇的かんけつてきしょうずるものをふにはあらず、なんとなれば黙想もくそうもつかみともるすべてのひとにもときとしてこのあんしょうずるありて、あるい抽象的ちゅうしょうてき直覚ちょくかくり、あるい祈祷的きとうてき談話だんわときしょうずるあればなり。さりながらなみだ順序じゅんじょのことをふにはあらずして、昼夜ちゅうやだんかなしものしょうずるところのものをふ。

しかれどもこれ状態じょうたい真実しんじつなる価値かち真実しんじつ的確てきかく発見はっけんするもの黙想もくそうおいこれ発見はっけんせん。けだしかれ渾々こんこんとしてまざる源泉げんせんごとくなることねんゆうわたるべくして、其後そののちかれ思慮しりょ鎮静ちんせいいたらん。しかしてせい幾分いくぶんをかめて思慮しりょ鎮静ちんせいいたりたるのちかれせいパウェルところ安息あんそくらん〔エウレイ四の三〕。しかしてこの穏静おんせいなる安息あんそくのちおう直覚ちょくかくはじめん。其時そのとき聖神せいしんかれ天上てんじょうこともくはじむべく、かみかれみてしんかれ復活ふくかつせしむるなり、ゆゑに多少たしょう明了めいりょう推察的すいさつてきなりとはいへども、ひとみづからそのないせい種々しゅじゅなる改新かいしんによりへんうくるをかんずるなり。

自己じこおくつるためにも、また此文このぶんむすべてのひとおくつるためにも、聖書せいしょにより、およなるくちによりつたへられたるものゝうちよりり、また自己じこ実験じっけんよりもすくなからずりて、其儘そのままこれしょするはこれ益用えきようするものとうによりためたすけとならんためなり、なんとなれば此事このことためすくなからざるろうもちひたればなり。

しかれどもまたくべし、いまなんぢぐるものはいつはらざるくちによりおしへられしものなることを。思慮しりょ鎮静ちんせいはんときは、なみだおほきはなんぢよりうばはるべくして、其後そののちなみだてきに、また緊要きんようのときになんぢしょうぜん。もっとも適確てきかくなるしんなり、これ簡言かんげんすればすべての教会きょうかいはかくのごとしんずるなり。