<< 遁世の益 >>
生活上の事に於て我らが眼前に臨む戦は、実に頑固に且困難にして、容易にはあらざるなり。人は幾ばく堅固にして勝たれざる者となり得るとも、格闘と苦行の源因となるべきものが人に近づくならば恐怖は人を去らずして、魔鬼と顕然なる戦を為す時よりも滅亡は更に速ならん。故に人がその恐るる所のものより遠ざからざる間は、敵には常に人を襲ふの便あり。もし僅かに坐睡し始むるならば、敵は容易に人を滅ぼさん。けだし霊魂が世と有害の交際を為して、之に繋がるときは、此交際は敵の為に鋭鋒利刃となるべし、さればもし之を迎ふるならば、自然に自から勝利を譲るものといふべし。故に古来此路を経過せる我らが諸神父も、我らの智が何れの時にも一所に固く止まりて警衛看守する能はず、又その力あるにもあらずして、或時には之を害せんとするものを看破するさへ能はざるを知り、睿智を以て之を慮りて、無慾を衣ること武器の如くし、録して言へる如く多くの格闘より免れて、〈かくの如くなればその欠乏を以て人は多くの陥罪より救はるるを得ん〉慾の源因となるべき生活上の憧擾を免るる野に避けたり、是れ彼らが弱るとき滅亡の因たる忿怒、慾望、怨恨、名誉を迎へざらんが為にして、野は此の凡てを容易ならしむるによる〈けだし彼らは野を以て己を堅め且衛ること勝たれざる城楼の如くせり〉。その時彼らはおのおの黙想によりその苦行を成すを得たりき。けだし彼処に於ては五感も自から或る有害なるものを迎へて我らの敵に加勢する為に助を得るあらざればなり。我ら堕落に生きんよりは寧ろ苦行に於て死を迎へん。