シリヤの聖イサアク全書/第二十六説教

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第26説教[編集]

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知識ちしき肉体にくたいのぞみしたがとき方法ほうほう引誘いんゆうしてこれいつにならん、とみなり、虚栄きょえいなり、修飾しゅうしょくなり、安佚あんいつなり、このしょするに便利べんりにして、発明はつめい芸術げいじゅつ学問がくもんとに新規しんきいだことば智慧ちえつとむると、そのすべて有形ゆうけいかいおいかざところのものこれなり。これらの特別とくべつなる方法ほうほうれば、われらがすでかつさだめたるごとく、知識ちしき信仰しんこう反対はんたいするものとならん。かれ裸体らたいなる知識ちしきづけらるべし、なんとなればすべて神聖しんせいなるおもんばかり排除はいじょし、肉体にくたい優勝ゆうしょうゆえ無智むち陋劣ろうれつ心中しんちゅうに入れて、すべておもんばかところのものはまったくただ此世このよためなればなり。よ、この知識ちしき自己じこたいする意見いけんごとし、へらく知識ちしき奥密おうみつに人を統治とうぢする思想しそうちからにして、人々ひとびと監視かんしし、まったく人のためおもんばか神聖しんせい後見こうけんたることはなんうたがいこれあらんと。ゆえにかれ世界せかい統治とうぢかみ照管しょうかんせずして、すべてひとおけぜんなるものと、ひとため有害ゆうがいなるものよりひとすくふと、いんにもようにもわれらのせい随伴ずいはんする困難こんなんなるもの、およおほくの反対はんたいなるものよりひと警戒けいかいする天然てんねん預防よぼうとをもっひと自己じこ勉励べんれい自己じこ方法ほうほう結果けっかなるごとおもふなり。知識ちしきもてあそもの自己じこたいする意見いけんはかくのごとし。かれはその経画けいかくごと万事ばんじるべしと妄想もうそうす、このてんおいてはかれ有形ゆうけい世界せかいおさむるの掌理しょうりしと主張しゅちょうするものらといつす。さりながらかれ身体しんたいため不断ふだんおもんばかるなく、おそるるなくしてるあたはず、ゆえ小胆しょうたんあい絶望ぜつぼう魔鬼まきためおそれ、人々ひとびとためおそれ、ぞく風説ふうせつ伝聞でんぶん疾病しっぺいおけ掛念けねん必要ひつようなるものに欠乏けつぼうするの心配しんぱいおそれ、災難さいなんおよ悪獣あくじゅうおそれ、およびそのほかすべてこれるいするものと、時々じじ刻々こくこくひるよる動乱どうらんして航海者こうかいしゃなみ傾注けいちゅうするうみたるものとはかれ主宰しゅさいするなり、なんとなればこの知識ちしきかみしんずるはたらきにより自己じこたいするおもんばかりをかみはしむるあたはざるによる。ゆえにすべて自己じこ関係かんけいするものにおいてはその方法ほうほうかんがへ、工夫くふうこらすがため占領せんりょうせらるるなり。さればその発明はつめい方法ほうほういつあいおい不成効ふせいこうとなりおわれども、奥密おうみつなる照管しょうかんをもうかがはざるにより、そのときかれこれさまたげてこれ反対はんたいする人々ひとびとあらそはん。

あい剿絶しょうぜつする善悪ぜんあく認識にんしきこの知識ちしきうえつけらるるなり。ゆえにかれ人々ひとびとしょうなる錯誤さくごとその過失かしつとその弱点じゃくてんとをさがし、ひととなると、ことばもっさかふと、狡獪こうかいなる発明はつめい詭計きけいとをもちふるをひとすすめ、ひとため陵辱的りょうじょくてきなる方法ほうほうにもたすけらんとす。かれには高慢こうまん驕傲きょうごうとあり、なんとなればすべてぜんなる行為こうい自己じこうばふてかみせざればなり。しかれども信仰しんこうはその行為こういもっ恩寵おんちょうす、ゆえに自負じふすることあたはず、しるしてごとし、いはく『われかたむるハリストスりてよくせざるところなし』と〔フィリッピ四の十三〕、またふ、『われあらすなはちわれともにするかみ恩寵おんちょうなり』と〔コリンフ前十五の十〕。しかるにふくなる使徒しとが『知識ちしきほこりいたす』〔コリンフ前八の一〕とひしは、かみしんずるとかみのぞむとをもっ溶解ようかいせられざる如上にょじょう知識ちしきにつきてふものにして、真実しんじつ知識ちしきふにあらず。ねがはくはこれあらざらんことを。

真実しんじつ知識ちしきこれたるもの心霊しんれい完全かんぜんにして、謙遜けんそんならしむること、モイセイダワィドイサイヤペトルおよびそのしょ聖人せいじん完全かんぜんにしたるごとくなるべし、かれらは人性じんせい尺度しゃくどにしたがひて完全かんぜんなる知識ちしきたまはりぬ。これしょ聖人せいじん知識ちしきつね非常ひじょうなる直覚ちょっかく神聖しんせいなる黙示もくし霊界れいかい高尚こうしょうなる直観ちょっかんざる奥義おうぎとのためまる、ゆえにその霊魂れいこんかれらの眼中がんちゅう塵芥視じんかいしせらるるなり。されど知識ちしきはそれに相応そうおうして自負じふす、なんとなれば暗中あんちゅう往来おうらいし、そのゆうするところのものを地上ちじょうにあるものとして、これあたいし、さらきわめてなるもののあるをらざるによる。ひとみな高慢こうまんひきれらる、なんとなればかれらは地上ちじょうにありて、その生涯しょうがい肉体にくたいもっはか自己じこ行動こうどう依頼いらいして、人智じんちおよばざるものを心にかんがへざればなり。さればかれらは波間はかんただよあいだこれためあっせらるるなり。しかれども聖人せいじん光栄こうえい神聖しんせいなる道徳どうとくおほい進歩しんぽしてその活動かつどう上方じょうほうむかひ、そのおもい発明はつめいことむなしきもののおもんばかりにはならず、なんとなればかれらはひかりうちきて、まよふあたはざればなり。ゆえにすべてかみ認識にんしきするひかりとおざかりて、真実しんじつよりはなれたるものは、この狭路きょうろりて来往らいおうす。これぞ知識ちしきの第一のきゅうにしてこれによりひと肉体にくたいよくしたがふ。ゆえにわれらはこの知識ちしきなんし、これもっ信仰しんこうはんするものとするのみならず、道徳どうとくなんらのはたらきにもはんするものとす。