シリヤの聖イサアク全書/第二十八説教

提供:Wikisource

第28説教[編集]

<< 知識ちしき第三だいさん階級かいきゅうすなはち完全かんぜん階級かいきゅう。 >>


くべし、ひとはいよいよ練修れんしゅうし、しんぞくするものをけて、その生涯しょうがいえざる天軍てんぐんひつることを、けだし天軍てんぐんつとめおこなふは、感覚かんかくじょうおこなはるる行為こういもってするにはあらずして、智慮ちりょによりところのものにおいてするなり。しきぞくするものと、ぞくする行為こういおもんばかりよりたかのぼせられ、内部ないぶかくれて眼目がんもくたっせざるものを思念しねんするをこころみ、よく放蕩ほうとうおこるべきものを方法ほうほうによりかろんじて、てんむかひ、信仰しんこうしたがつて来世らいせいおもんばかり、われらに約束やくそくせられしものを願望がんぼうして、不可思議ふかしぎなる奥義おうぎたづぬるとき信仰しんこうそのものはこのしきみ、これへんして、あらたこれまん、りてそのしきまったしんとなるをいたす。

そのときしき思想しそうぞくすると感覚かんかくぞくする本体ほんたいせい統治とうぢする神妙しんみょう不可思議ふかしぎなるはたらき智力ちりょくにて想像そうぞうしつつけいなるもの範囲はんいよくもっ高翔こうしょうし、るるあたはざる洋海ようかいふかきに関係かんけいするをて、単純たんじゅんにして機微きびなる智力ちりょくもっさとらるべき霊界れいかい奥義おうぎさぐらん。そのときない感覚かんかく不死ふし不朽ふきゅう生命せいめいそんするところ秩序ちつじょにしたがひて霊的れいてき活動かつどうため覚醒かくせいせられん、なんとなればなほ此処このところおいてもそうじょう復活ふっかつ奥密おうみつうくるもののごとく、これもっ一般いっぱん復新ふくしん真證しんしょうとなせばなり。

よ、知識ちしきみつ方法ほうほうにしてたいれいしんとにおけひと一切いっさい経過けいかこれ結合けつごうせらるるを。ひとあくぜんよりわかはじむるときよりこのづるにいたまで、人の霊魂れいこん知識ちしきみつ程度ていどそんす。すでべたるごとく、みつ程度ていどおけひとつしきはすべての不義ふぎ不法ふほう充満じゅうまんをも、充満じゅうまんをも、精神せいしんのすべてのみつふかきにかんするものをもしょうずべくして、あるいぜんのぼるべく、あるいあくくだるべく、あるいぜんあく中間ちゅうかんにあるりょくことごとくの活動かつどうこのうちるなり。これらの程度ていどしょ神父しんぷづけてぜんてきはんぜんてきおよちょうぜんてきといふ。これみつ方針ほうしんにして、聡明そうめいなる霊魂れいこん記憶きおくこれによりあるいのぼるべく、あるいくだるべくして、すでべたるごとく、ひとあるい自然しぜんによりすべく、あるいはその記憶きおくもっ自然しぜんよりたかとりられて、ぜんがいかみ直覚ちょっかくすべく、あるいでてぶたぼくすること魔鬼まきむれともはたらきて思慮しりょ分別ふんべつとみついやしたるものごとくならん。


みつ知識ちしきつきべたること要略ようりゃく

知識ちしきの第一のきゅうかみ進行しんこうする行為こういため霊魂れいこんひややかにせん。第二のきゅう信仰しんこう階段かいだんにあるものにすみやか進行しんこうするがため霊魂れいこんあたためん。第三のきゅう活動かつどうきゅうして、〈これ未来の状態なり〉らいおうたのしりょく独一どくいつ練習れんしゅうなり。さりながらせい死者ししゃごとくなる状態じょうたいと、肉体にくたいおもきとより高挙こうきょせられて、かいする知識ちしきより一層いっそううえなる霊的れいてき知識ちしきもっ成全せいぜんせらるることはいままったあたはざるごとく、この知識ちしき欠点けってんゆうせざる完全かんぜんためつとむることも、ためすることも、肉体にくたいせいまったつることもあたはざるなり。しかしてひと肉体にくたいあいだこれよりかれうつ過渡かと状態じょうたいにあり。あるいひと霊魂れいこんひんにして一物いつもつなきものごとく、性中せいちゅうされたる道徳どうとくの第二のきゅうなる中間ちゅうかんきゅうおいつとめおこなふをにわかはじめ、身体しんたいせいたすけによりてすあるべく、あるいたるのしんけしものごとゆうおうとどまり、ちょくしたがひてあたふるもの霊的れいてき恩寵おんちょうたのしみて、そのこう謙遜けんそんあらたかえらん、これ身体しんたいたすけによりておこなはるる行為こういなり。しかして霊魂れいこんこれらをまもるは、てきをしてこの悪世あくせいおいところえばもっても、おなじまた錯乱さくらんせるへんおもいもっても、霊魂れいこんとらへしめざらんためなり。けだし人は肉体にくたいまくうちとじめらるるあいだは、希望きぼうゆうせざるなり。けだし完全かんぜんなる完全かんぜんゆうあるなし。すべてしきところ活動かつどう連綿れんめんとしてまざる研修けんしゅうとにあれども、信仰しんこうところどうもっおこなはるるにはあらずして、もっぱ心霊しんれいじょう活動かつどうにより心神しんしんてき想像そうぞうもっ実行じっこうせらるるなり、ゆえにかれ感覚かんかくよりはきわめてたかし。けだし信仰しんこう知識ちしきよりせいなること、知識ちしき感覚かんかくぞくするものよりせいなるごとし。行為こういすなはかみ大悦たいえつすること〕をるをたまはりししょ聖人せいじん信仰しんこうちからによりちょうぜんなるこうたのしみにるなり。

るべし信仰しんこうとは崇拝そうはいせらるべき神聖しんせいなる実在じつざいと、神体しんたいそのもののすべてに超絶ちょうぜつする特別とくべつなるせいと、われらがせいけて肉体にくたいとなれる不可思議ふかしぎなる摂理せつり信仰しんこうきわめてたかしといへども〕との差別さべつかんしてひとゆうするものをふにはあらず、かえっ恩寵おんちょうひかりにより霊底れいていかがやき、智力ちりょく證明しょうめいによりこころかためて、なにらの疑念ぎねんにもとおざかる希望きぼう確実かくじつもっ動揺どうようせざる信念しんねんふなり。しかしてこの信仰しんこうみみくことのぞうによりあらはるるにはあらずして、霊底れいていかくるるおうると、肉体にくたいにはかくるれども、ハリストスほうまなびて、ハリストス晩餐ばんさんによりやしなはるるものにはしんもっもくせらるる不可ふかけん神妙しんみょうなるとみ心神しんしんあらはるるなり、しゅひしごとし、もしいましめまもらば、なんぢらにじゅつしゃ真実しんじつしんつかはさん、かれくるあたはず、かれおよそ真理しんりなんぢらにおしへん〔イオアン十四の十七、二十六〕。かれいづれのときにもひとこのせいなるちからと、つねひとおほこの庇蔭おほいと、すべての有害ゆうがいなるものをひとより反拒はんきょして、霊魂れいこんにも身体しんたいにもこれちかづかしめざるこの思想しそうかたきとを人に指示さししめす。清明せいめいにして霊妙れいみょうなるは、信仰しんこうもっこのちから冥々めいめい感知かんちすべくして、このちからしょ聖人せいじんおいてはことこれ実験上じっけんじょうけて認識にんしきするなり。

しかれどもこのちから信念しんねんつよきをもっ霊魂れいこん諸部しょぶくにもってするごとくなるじゅつしゃみづからなり。ゆえに霊魂れいこんかみのぞみ、突進とっしんして如何いかなる危難きなんをもかろんじ、信仰しんこうつばさ有形ゆうけい造物ぞうぶつうえたかげられて、つね酩酊めいていするものごとくなり、かみはかべからざるものをまなぶに謹慎きんしん注意ちゅういするものとならんことをならひつつ、かみ照看しょうかん驚愕きょうがくし、かみせいさと純然じゅんぜんなる直覚ちょっかく冥々めいめいなる観察かんさつとをなさん。けだしみつものきたりて顕然けんぜんこれ啓示けいしするをたまふにいたまでは、信仰しんこうかみ聖者せいしゃとのあいだべからざるみつ執行しっこうつとむべく、ハリストス恩寵おんちょうにより、われらもこのところおいこれたまはることへいごとくならん、しかれどもその真正しんせい現実げんじついたりては、彼処かしこハリストスあいするものとも天国てんごくおいこれたまはらん。「アミン」。