コンテンツにスキップ

シリヤの聖イサアク全書/第二十三説教

提供:Wikisource

第23説教

[編集]

<< 黙想もくそうあいするいち兄弟けいていつかはしょ。 >>


なんぢ黙想もくそうあいするをり、またあくなんぢこころのぞみりて善行ぜんこうくちり、おほくのこともつなんぢわづらはし、ぜんおほくの種類しゅるい含有がんゆうする道徳どうとくおさむるなんぢせつし、かつこれ妨礙ぼうがいするにいたまでまざるをる、ゆえにぜんなる兄弟けいていよ、なんぢ密着みっちゃくえだだる有益ゆうえきことばもつなんぢぜんなるのぞみたすけんがために、賢明けんめい道徳どうとく人々ひとびとより、しんしょより、およ自己じこ経験けいけんによりみづからたるところのものをなんぢしるさんことをこころけたり。けだしひとめいめいかろんじて、黙想もくそうため陵辱りょうじょく罵詈ばり損害そんがいまたげきをさへ忍耐にんたいするなくんば、しょうとなるなくんば、ところ人々ひとびとをしてじんしゃおもはしむるなくんば、黙想もくそうぜんなる企図きととどまあたはざるべし、なんとなればひとえんため一度ひとたびひらくならば、あくこれえんちゅうるものをおほくの口実こうじつによりあらはすをめずして、人々ひとびとかぎりなく会見かいけんするを頻繁ひんぱんならしむればなり。ゆえ兄弟けいていよ、もしなんぢいにしへひと放心ほうしん分裂ぶんれつぶんみづから容忍ようにんせずしてたるところ黙想もくそう道徳どうとくかくとしてあいし、しんしてかれ行状ぎょうじょう自己じこあらはさんとするならば、かかるあいおいてはしょうさんすべきねがひたつらるべきを発見はっけんせん。かれ完全かんぜんなる黙想もくそうあいして、近者きんしゃあいうしなはざらんことをばおもんばからず、かれやすんぜんがためちからもちふることをつとめず、尊敬そんけいすべき人々ひとびとみとめらるるものとの会見かいけんさくるをはぢとはなさざりき。

かくのごとかれ進行しんこうしたりしも、賢明けんめいにして達識たつしきなる人々ひとびとは、かれなんして近者きんしゃかろんずる慢者まんしゃとはせず、あるいらんものまたせいうしなひしものともなさずしてかへつ人々ひとびと交際こうさいするよりも黙想もくそう遁世的いんせいてき生活せいかつ尊敬そんけいするものたいしてはかれ弁解べんかいしてへることごとし、いはく『おのれあんちゅうおい黙想もくそう実地じっちまなひと近者きんしゃ会見かいけんするをくるは、かれかろんずるものくるごとくなるにあらず、黙想もくそうによりて拾集しゅうしゅうするじつためなり』。こころみはん、『ちちアルセニイ何人なんびとにかふあるや、逃奔とうほんしてかれためとどまらざりしはなんためなるか』。またちちフェオドル何人なんびとをかむかへしならば、そのむかふるやつるぎむかふるごとくなりき。かれいおりそとありてもたれにも挨拶あいさつさざりき。しかしてせいアルセニイ問安もんあんためきたりしものにさへ問安もんあんをなさざりき。けだしぼうしんあり、一日いちにちちちアルセニイはんためきたりけるが、老人ろうじんアルセニイかれおのれじゅうしゃおもひ、ひらけり、しかるに来者らいしゃたれたるをみとむるや、そのおもてしぬ、しかして来者らいしゃしゅくふくけてらんことを証言しょうげんし、ついかれたんことをひさしく懇願こんがんするや、聖者せいしゃこれしゅんきょしてへり、『らざるあいだたず』と。しかして其者そのものるにいたまでたざりき。そも福者ふくしゃせるは、けだしひとたびかれあたふるならば、ふたたおのれにかへきたらざるがためなり。

ことばつづきをよ、しかときなんぢアルセニイもつこのしんあるいひとをばそのなるがためかろんじたれど、別人べつじんにはそのこうためへんをあらはして、かれかいせしなるべしとはざらん。これはんしてアルセニイしょうなるものをも、だいなるものをも、すべてのもの一様いちようけたり。かれ目前もくぜんにはただいつあるのみなりき、すなはち黙想もくそうためにはだいなるひとしょうなるひとろんなくすべてのひとともまじはるをかろんじ、黙想もくそうごんとをそんしゅうするためにはしゅうじんよりせめうくるともせざることこれなり。大主教だいしゅきょうなるフェオドル聖者せいしゃ尊敬そんけいひょうせんとのゆうし、ほう裁判官さいばんかんともアルセニイ来訪らいほうせしことはわれところなり。しかるにアルセニイかれともするや、かれアルセニイことばかんことをはなはねがひしにかかはらず、すこしのことばもつてもかれこうたっとばざりき。しかしてだい主教しゅきょうこれふや、ぜんなる老人ろうじんざん沈黙ちんもくして其後そののちひけるは、『もしなんぢふあらば、ことばまもるか』と。かれこたふ『だくもつどうひょうせり。老人ろうじんかれげてふ『もしアルセニイこのところりとかばそのところちかづくなかれ』と。老人ろうじんなる品性ひんせいるか。かれ人間にんげんかいかろんずるをるか。よ、これ黙想もくそう結果けっか認識にんしきしたるひとなり。福者ふくしゃぜんかいにして教会きょうかいしゅちょうたるものきたれることをばはからずして、ごとおもひうかびぬ『ためいつ永遠えいえんせり、生者せいしゃためしゃなんえきやある』と。ちちマカリイあいてる詰責きっせきをもてひけるは、『如何いかんしてなんぢくるか』としかるに老人ろうじんなるしょうさんすべき弁解べんかいをあらはし、こたへへり『なんぢあいするはかみところなり、しかれどもかみ人々ひとびととも一所いつしょるあたはず』と。かれ奇異きいなる認識にんしきみちびかれたるは、何人なんびとをももつてせしにあらずしてかみこえもつてせり。けだしかれげてへり、『アルセニイよ、人々ひとけよ、しからばすくはれん』。

閑散かんさんにして談論だんろんこのひとたりとも、アルセニイことば顛倒てんとうして、これなんするほど無耻むちなるものは一人いちにんもあらざるべし、また之にさからこれもつて『人間にんげんそうしゅつにて、黙想もくそうえきするためそうしゅつせるなり』とものなかるべし。かへつててんじょうおしへなり。ねがはくはわれアルセニイ此事このことげられしをて、かれをしてのがれてとほざからしめんがためにて、兄弟けいていよりものがれしめんとの旨意しいにはあらざるべしとおもはざらん、けだしかれてたるのちゆきしゅう道院どういんり、さらかみとうしてひけるは、如何いかにせば道徳どうとくもつ生活せいかつするをべきか。『しゅ如何いかにせばすくはるべきか、其途そのみちわれしめたまへ』と。かれおもへり、なにべつくあらんと、されどだい二次にじにもまたおなじ主宰しゅさいこえをきかり、いはく『のがれよ、アルセニイよ、もだせよ、言者ごんしゃとなれ。兄弟けいてい面会めんかいしてともだんずるはえきおほしといへどもかれよりのがるるほどなんぢえきあるにあらず』と。ふくなるアルセニイかみもくおいこれけ、まだりしときのがるることをめいぜられ、其後そののち兄弟けいていともりたるときにもおなじこれげらるるや、其時そのときかれぜんなる生活せいかつんがため俗人ぞくじんよりのがるるのみにてはじゅうぶんなり、ことごとくのひとより一様いちようのがれざるべからずと確信かくしんかつ認識にんしきしたりき。けだしたれかみこえ反抗はんこうしてこれげんするをるか。しかるに神聖しんせいなるアントニイにももくおいつぎごとげられたりき『もし言者ごんしゃとならんことをねがはば、ただワィワイダくのみならず、ふかおくいたるべし』と。これによりてれば、かみわれことごとくのひとよりのがるるをめいじ、かみあいするもの黙想もくそうもっぱらなるときにさへかくのごと沈黙ちんもくあいすべきをめいずるならば、たれ人々ひとびとともだんともあひちかづくがため口実こうじつもうくるをんや。遁世とんせい戒慎かいしんとはアルセニイアントニイにさへえきありしならば、ましれつじゃくしゃにはこと有益ゆうえきなるにあらずや。ことばもつても面会めんかいもつても、たすけんことを挙世きょせい必要ひつようとする其者そのものかみたっとびしはかれがすべての兄弟けいてい社会しゃかいたすくるがためなるよりも、確言かくげんすれば全人間ぜんにんげんたすくるがためなるよりも黙想もくそうためならば、黙想もくそうおのれまもあたはざるものためにはこと必要ひつようなるにあらずや。

聖人せいじんことをもる、その兄弟けいていやまいおもかりけるにかれ別庵べつあん籠居ろうきょしてでざりき。けだし聖者せいしゃ兄弟けいていびょうちゅうおのれれんじょうせいし、きたりて面会めんかいせざりしかば、びょうしゃ生命せいめいおはりにのぞみ、使しゃもつごとはしむ、いはく『いまいたまでなんぢきたらざりき、しかれどもいまきたるべし、るにさきだちてなんぢためなり、あるいかんなりともきたれ、しからばなんぢ接吻せっぷんしてねん』と。しかれども福者ふくしゃ天性てんせいわれそう憐憫れんびんつねうながして意思いし定限ていげんえしめんとする此時このときにもがへんぜずしてひけるは、『もしいづれば、こころかみまへいさぎよからず、なんとなれば霊的れいてき兄弟けいてい訪問ほうもんするをおろそかにしてハリストスよりも天然てんねんおもんずればなり』と。兄弟けいていしてかれついはざりき。

ゆえ何人なんびと意思いし怠慢たいまんにより、此事このことあたはざるがごとおもうなかれ、かみしょうかんしりぞけてその黙想もくそうやぶるなかれ、これむなしきにするなかれ。天然てんねん如何いかつよくとも、聖者せいしゃその天然てんねんちしならば、ハリストスけいせらるるとどう黙想もくそうそんしゅうするときに、ハリストスあいさるるならば、なんぢ此事このこと遭遇そうぐうするとき、これけいするあたはざる如何いかなる緊要きんようありや。『なんぢしゅかみあいせよ』〔マトフェイ二十二の三十七〕とへるかれ誡命かいめいは、黙想もくそうまもときまった遂行すいこうせらるべくして、近者きんしゃあいすることの誡命かいめいおのづから其中そのうちり。福音ふくいん誡命かいめいしたがひ、近者きんしゃたいするあいそのこころんとほつするか。かれよりとほざかれ、其時そのときかれたいするあいほのおなんぢえて、かれ対面たいめんするときは、これよろこぶことせいなるてん使るときのごとくならん。またなんぢあいするものなんぢ対面たいめんねがふをなんぢほつするか。ただ一定いっていおいかれ対面たいめんせよ。経験けいけんじつしゅうじんためなり。康健こうけんなれ。われかみ感謝かんしゃ光栄こうえい世々よよす。「アミン」。