シリヤの聖イサアク全書/第三十七説教

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第37説教[編集]

<< かみなにゆえかみあいするものゆうわくほうにんするか。 >>

しょせいじんかみためくるしみけて、そのあいかみにあらはしたるにより、かみかれこんなんとめくも、そのあいするところものよりはなれざるときは、しょせいじんこころめんもっかみるのゆうけ、きぼうもっかみもとめん。ゆうきあるとうちからおほいなり。ゆえかみほうにんするは、そのせいしゃしゅじゅかなしみをもっこころみられんためにして、これおなじかれかみたすけかみかれいくばくしょうかんするとをじっけんもっしちせんためなり、なんとなれば、わくそんけいうくるによる。これほうにんするは、かれがくにしてそんすれどかれこれとにならふをうばはれずして、けいけんによりすべてのためしきて、まきよりわらはれざらんためなり、なんとなればもしかれをただぜんりょうなるものをもっこころみたらんにはぶんおいがくしゅうすることがかれけつぼうし、せんとうおいかれめしいなるべきによる。

もしかみかれこれらしめずして、かれこれならはすとふならば、すなはかみかれぎゅうどうして、なにじゆうをもゆうせざるものさんをほっすとふをいみするなり、ひとあくなるもののじっけんもっこころみられずんば、ぜんなるものにしゅゆうせずして、ぜんなるものにふときは、にんしきじゆうとをもっこれえきようすることじこしょゆうごとくせざるべし。けいけんれんしゅうとにより、じっさいかりきたれるしきいかかいにして、ひさしきけいけんもっこれじこたるものいかなるちからあたふるか、このことしきたすけをも、おなじまたてんせいれつじゃくかみちからたすけとをもけいけんしてこれかくしんしたるものこれにんしきするなり。けだしかみづそのちからとどめてかれたすけず、かれをしててんせいりょくわくこんなんてきあくぼうと、かれなにものたたかひててんせいいかなるものをると、かみちからもっいかほごせらるると、そのみちいくばくしんこうすると、かみちからかれいくばくたかうすると、またこのちからかれとおざかるならば、よくたたかふにいくばくりょくなるとをかくせしむるならば、ただそのときおいかれこれにんしきせん、りてかれこのすべてによりけんそんけて、かみちかづき、そのたすけちて、とうもっぱつとむるをはじむるなり。もししんによりおほくのあくおちいりてこれためけいけんもとめずんば、のすべてをいづこよりきたるべきか、しとごとし、いはく『もくだいなるによりてたかぶらざらんためひとつとげにくたいあたへられたり、すなはちサタナつかいなり』〔コリンフ十二の七〕。さりながらひとわくおいかみたすけいくかいじっけんして、かたしんこうもとべく、これによりおそれざるものとなるべく、そのたるれんしゅうによりわくゆうかんなることをももとべし。

わくすべてひとえきあり、けだしわくパウェルえきあるときは『およそくちふさがり、みなかみまえつみあるをいたす』〔ロマ三の十九〕。ぎょうしゃこころみらるるはかれにそのとみさんためなり、すいじゃくしゃこころみらるるはかれおのれゆうがいなるものよりほごせんためなり、すいみんふけるものこころみらるるはかくせいじゅんせんためなり、とおはなれしものこころみらるるはかみちかづかんためなり、かみしたしきものこころみらるるはゆうきもったのしまんためなり。すべまなばざるちちいえよりとみうくるは、おのれたすけとならざらん。これによりかみつからして、そののちたまものほどこす。にがくすりもっわれけんこうたのしむをべからしむるしゅさいこうえいす。

がくしゅうときあたりてうれへざらんひとはあらじ、わくどくときにがしとおもはざるひともあらず。これなくんばけんなるたいかくうくあたはざるべし。さりながらわくにんたいするはわれちからにあるにあらず。けだししんせいなるもっかためずんば、いかんしてどきよりみづるるをとどめんや。もしえざるねがいともけんそんしてもとめ、にんたいしてかみしたがふならば、われしゅハリストス イイススによりすべてをけん。「アミン」。