シリヤの聖イサアク全書/第七十九説教

wikisource:宗教 > シリヤの聖イサアク全書

第79説教

<< 驕傲（きょうごう）の事（こと）。驕傲（きょうごう）なる神（かみ）の敵（てき）の試（し）惑（わく）。 >>

その思（おも）ひを以（もつ）て神（かみ）の仁（じん）慈（じ）の前（まえ）に高（たか）ぶり、傲然（ごうぜん）として神（かみ）の仁（じん）慈（じ）を辱（はづ）かしむる無耻（むち）の人々（ひとびと）に対（たい）し、神（しん）意（い）によりて起（おこ）る誘惑（ゆうわく）は左（さ）の顕然（けんぜん）たる魔鬼（まき）の誘惑（ゆうわく）にして、心霊（しんれい）の力（ちから）に超絶（ちょうぜつ）するなり。即（すなは）ち人々（ひとびと）の有（ゆう）する智慧（ちえ）の力（ちから）を奪（うば）はるゝと、その慢心（まんしん）を抑（おさ）へん為（ため）に放（はな）たるゝ放蕩（ほうとう）なる思（おも）ひを内（ない）部（ぶ）に感（かん）じて、安心（あんしん）を與（あた）へざると、速（すみやか）に怒（いか）ると、すべてに我意（がい）を張（は）りて争論（そうろん）し、非（ひ）難（なん）せんを欲（ほつ）すると、心（こころ）に衆人（しゅうじん）を軽（かろ）んずると、才（さい）智（ち）の全（まった）く迷（まよ）ふと、神（かみ）の名（な）に対（たい）する愚（ぐ）にして笑（わら）ふに堪（た）へたる誹（ひ）謗（ぼう）、之（これ）を確言（かくげん）すれば涕泣（ていきゅう）に値（あたい）する誹（ひ）謗（ぼう）と、その思（し）想（そう）は人々（ひとびと）之（これ）を軽（かろ）んじて、その尊敬（そんけい）を無視（むし）し、陰（いん）にも、陽（よう）にも種々（しゅじゅ）の方法（ほうほう）を以（もつ）て之（これ）に耻（はぢ）を蒙（こうむ）らしめて魔鬼（まき）より侮（ぶ）辱（じょく）せらるゝと、終（つい）に世（よ）と交際（こうさい）往来（おうらい）して、断（た）えず喋々（ちょうちょう）し、荒唐（こうとう）放言（ほうげん）し、常（つね）に己（おのれ）の為（ため）に新（しん）奇（き）を尋（たづ）ね、且（かつ）は偽（ぎ）預（よ）言（げん）をさへ捜（さが）し、己（おのれ）の力（ちから）に過（す）ぐる大（だい）なるものを約（やく）せんとすること是（これ）なり。視（み）よ、心霊（しんれい）上（じょう）の誘惑（ゆうわく）は此（かく）の如（ごと）し。

身体（しんたい）上（じょう）の誘惑（ゆうわく）に属（ぞく）するものは下（しも）の如（ごと）し、即（すなは）ち纏綿（てんめん）として久（ひさ）しきに亙（わた）り、人（ひと）の易（たやす）く治（ぢ）すべからざる病（やまい）の発作（ほっさ）と、悪者（あくしゃ）及び無法（むほう）者（しゃ）と始終（しじゅう）相（あい）会（かい）すること是（これ）なり、或（あるい）は陵辱（りょうじょく）者（しゃ）の手（て）に陥（おちい）り、その心（こころ）は俄（にわか）に且（かつ）常（つね）に故（ゆえ）なくして神（かみ）を畏（おそ）るゝにより揺動（ようどう）すると、岩石（がんせき）高所（こうしょ）又（また）は之（これ）に類（るい）する処（ところ）より墜落（ついらく）して、身体（しんたい）の為（ため）に恐（おそ）るべき挫（ざ）折（せつ）を屡々（しばしば）受（う）くると、終（つい）に神聖（しんせい）なる力（ちから）と信（しん）の望（のぞ）みとを以（もつ）て心（こころ）を助（たす）くるものに乏（とぼ）しきを感（かん）ずる是（これ）なり。之（これ）を略言（りゃくげん）すればすべて能（あた）はざるものと力（ちから）に超（こ）ゆるものとは彼（かれ）等（ら）自己（じこ）とその近者（きんしゃ）とを追（お）ふなり。我（われ）等（ら）があらはしたる此（こ）のすべては驕傲（きょうごう）の誘惑（ゆうわく）の数（かず）に属（ぞく）す。

此（これ）等（ら）の誘惑（ゆうわく）の始（はじ）めて人（ひと）に現（あら）はるゝは、その眼中（がんちゅう）に己（おのれ）を賢（けん）なりと思（おも）ひ始（はじ）むる時（とき）なるべくして、かくの如（ごと）き驕傲（きょうごう）の意思（いし）を己（おのれ）に有（ゆう）するに準（じゅん）じて人（ひと）は此（これ）等（ら）の悉（ことごと）くの不（ふ）幸（こう）を経（けい）過（か）せん。終（つい）にその誘惑（ゆうわく）の性質（せいしつ）によりて汝（なんぢ）の心（しん）意（い）の機微（きび）の路（みち）を帰（き）結（けつ）すべし。もしその誘惑（ゆうわく）の或（あ）るものは先（さき）に述（の）べたる誘惑（ゆうわく）と混（こん）ずるを見（み）るならば、知（し）るべし汝（なんぢ）が此（これ）等（ら）を有（ゆう）する程（ほど）は驕傲（きょうごう）は汝（なんぢ）に深（ふか）く徹底（てってい）するを。

又（また）誘惑（ゆうわく）につきて帰（き）結（けつ）すべき他（た）の方法（ほうほう）をも聴（き）くべし。すべて困迫（こんはく）なる事（じ）情（じょう）と凡（およ）その患難（かんなん）とは、もしその際（さい）に忍耐（にんたい）せずんば、二（に）倍（ばい）の苦（くるし）みとならん、何（なん）となれば忍耐（にんたい）は人（ひと）に於（おい）て不（ふ）幸（こう）を反拒（はんきょ）すれども、怯懦（きょうだ）は苦（くるし）みの母（はは）なればなり。忍耐（にんたい）は慰（い）安（あん）の母（はは）にして、心（こころ）の広（ひろ）きにより常（つね）に生（しょう）ぜらるゝ或（あ）る力（ちから）なり。人（ひと）は祈（き）祷（とう）して退（しりぞ）かざると涙（なみだ）を注（そそ）ぐとにより得（え）らるべき神聖（しんせい）なる賜（たまもの）なくんば、その患難（かんなん）に於（おい）てかくの如（ごと）きの力（ちから）を見（み）んこと難（かた）し。

人（ひと）を更（さら）に大（だい）なる患難（かんなん）に服（ふく）せしむるは神（かみ）の意（い）なるときは人（ひと）の怯（きょう）懦（だ）の手（て）に落（お）つるを許（ゆる）し給（たま）ふ。怯（きょう）懦（だ）は人（ひと）を屈服（くっぷく）せしむる煩悶（はんもん）の力（ちから）を生（う）み、之（これ）により人（ひと）は心霊（しんれい）の圧潰（あっかい）せらるゝを感（かん）ぜん、是（こ）れ地（ぢ）獄（ごく）を試（こころ）みるなり、此（これ）により憤心（ふんしん）は人（ひと）を襲（おそ）ふて、百（ひゃく）千（せん）の誘惑（ゆうわく）は之（これ）より流（なが）れ出（いで）ん、擾乱（じょうらん）、憤（ふん）怒（ど）、冒涜（ぼうとく）、運命（うんめい）を訴（うった）ふると、思（おも）ひの転変（てんぺん）して定（さだ）まらざると、一方（いっぽう）より他（た）方（ほう）に移（うつ）ること等（とう）是（これ）なり。もし汝（なんぢ）は此（こ）のすべての源因（げんいん）は何（なに）なりやと問（と）はば余（よ）は答（こた）へん、汝（なんぢ）の怠慢（たいまん）なりと。汝（なんぢ）は自（みづ）から之（これ）が為（ため）に療方（りょうほう）を尋（たづ）ぬるを慮（おもんばか）らざりき、此（こ）のすべての為（ため）に療方（りょうほう）は一（いつ）なり、ただ此（こ）の療方（りょうほう）の助（たす）けにより人（ひと）はその心（こころ）に慰（い）藉（しゃ）を速（すみやか）に見（み）ん。こは如何（いか）なる療方（りょうほう）なるか。心（こころ）の謙遜（けんそん）是（これ）なり。謙遜（けんそん）なくんば何人（なんびと）も此（これ）等（ら）の悪（あく）の障碍（しょうがい）を破（やぶ）る能（あた）はずして、不（ふ）幸（こう）の彼（かれ）に勝（かち）を制（せい）するを直（ただち）に発見（はっけん）せん。

怒（いか）るなかれ、予（よ）は汝（なんぢ）に真実（しんじつ）を言（い）ふ。汝（なんぢ）は心（こころ）を尽（つく）して謙遜（けんそん）を尋（たづ）ねざりき。もし欲（ほつ）するならば謙遜（けんそん）の範（はん）囲（い）に入（い）るべし、さらば謙遜（けんそん）は汝（なんぢ）をその弊病（へいびょう）より脱（だつ）せしむるを見（み）ん。謙遜（けんそん）に準（じゅん）じて汝（なんぢ）はその不（ふ）幸（こう）に於（おい）て忍耐（にんたい）を與（あた）へらるべく、忍耐（にんたい）に準（じゅん）じて、汝（なんぢ）の患難（かんなん）の重（おも）きは軽（かる）くせられて、慰（い）藉（しゃ）をうくべく、然（しか）して汝（なんぢ）の慰（い）藉（しゃ）に準（じゅん）じて、神（かみ）に対（たい）する汝（なんぢ）の愛（あい）は増々（ますます）大（だい）ならん。義（ぎ）を愛（あい）する我（われ）等（ら）の父（ちち）はその真実（しんじつ）なる子（こ）の為（ため）に誘惑（ゆうわく）を取（と）り上（あ）げずして、誘惑（ゆうわく）に於（おけ）るの忍耐（にんたい）を彼（かれ）等（ら）に與（あた）へ給（たま）ふ。されば彼（かれ）等（ら）はその忍耐（にんたい）の手（て）を以（もつ）て此（こ）の悉（ことごと）くの幸福（こうふく）を受（う）けてその霊（れい）を全（まっと）うせん。願（ねが）はくはハリストス神（かみ）はその恩寵（おんちょう）により我（われ）等（ら）心（こころ）の感謝（かんしゃ）を以（もつ）て彼（かれ）を愛（あい）するにより、悪（あく）を忍耐（にんたい）せしめ給（たま）はんことを。「アミン」。