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Page:Textbook of Japanese History for Elementary School on 1943 vol 2.pdf/68

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となりました。しもじもの生活を思ひやつて、自分も質素な生活を續け、產業を興して、よく領內を治めました。つねに皇室をうやまひ、話が朝廷の御事に及ぶと、かならず、ゐずまひを正したといふことであります。二人の兄が相ついで病死しましたので、紀伊家へ歸つて藩主となり、よく大藩を治めました。やがて、家繼が幼少でなくなり、世つぎがないため、迎へられて德川の本家をつぐことになりました。

中御門天皇の享保元年、吉宗が將軍に任じられると、まづ、儉約をすすめ、武事をはげまして、武士の氣風をひきしめました。また、大岡忠相を江戶の町奉行に用ひるなど、裁判を公平にし、貧民のために病院などをたてて、人々をいたはりましたが、特に力を注いだのは、產業の方面でありました。農業が產業の本であることを考へ