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家光の代が終るころまで、幕府の取りしまりが特にきびしく、大名の異動もはげしかつたため、藩政は、あまり振るひませんでした。しかし、やがて、世の中が太平になり、取りしまりもゆるやかになると、諸大名は、おちついて政治にはげむことができるやうになりました。家光のころ、すでに岡山藩主池田光政や會津藩主保科正之のやうな名藩主が現れ、學問や產業を興して、りつぱな治績をのこしてゐます。ことに正之は、あつく神をうやまひ、正しい學問を興して、會津藩の美風の基を開きました。しかし、いつぱんに藩政が振るふやうになるのは、もう少したつてからのことであります。

家繼のあとをついで、將軍に任じられた吉宗も、大名の出身で、いはば、藩を治めた腕前を、將軍の政治に發揮した人であります。吉宗は、親藩の紀伊家に、末子として生まれ、十四歲の時、ある小藩の主